栃木
栃木市
ご家庭の照明から電柱まで、幅広い施工を担う電気工事のエキスパート
ホリエ電設工業株式会社
変わりゆく時代のニーズに対応しながら100年企業を目指す
経営理念
「関わる全ての人をハッピーに」
お客様はもちろんのこと、社員、地域社会、協力会社やメーカーなど、仕事を通じて関わる全ての人との出会いを大切にしたい、全員でハッピーになっていきたいというのがホリエ電設工業株式会社の願いです。
行動目標
- 地球環境保全を念頭に置き、CO₂の削減に努めてまいります
- 太陽光発電、LED、エコキュート等のクリーンエネルギーを推奨してまいります
- 常に新しい技術を取り入れ、時代の変化に柔軟に対応したサービスを提供してまいります
- 誠心誠意、お客様の立場で、真心をこめて仕事をしてまいります
代表者メッセージ
弊社は1962年の創業以来、3代続く電気設備工事会社です。一般住宅や店舗、工場、学校、公共施設などの建物における屋内外の電気設備工事から、大規模な公共工事まで多岐にわたる業務を手掛けています。また、太陽光発電システムの設置をはじめ、道路照明の新設工事、防犯カメラの設置など、ご家庭向けの小さな工事も行っております。地域の皆様の安心・安全で快適な暮らしを守るとともに、企業等の活動を支える上でも必要不可欠となる電気を安定的に供給するための整備を通じて、社会のお役に立てるよう努めております。
弊社は50年以上の歴史の中で、常に次の時代を見据え、何度も生まれ変わり進化し続けてきました。初代の祖父は戦後の復興期に起業し、敗戦で荒廃した街の再生に尽力しました。2代目の父は、高度経済成長期、バブル崩壊、リーマンショックと変わりゆく景気状況の中で、その時々のニーズや地域からの要請に合わせて技術をアップデートしてきました。必要に応じて業務内容の方向転換を図るなど、時には大きく舵を切りながら会社の看板を守ってきたことが今に繋がっています。昭和から平成と激動の時代を駆け抜けた二人が大切に受け継いできたバトンを、3代目の私が受け取ったのが令和元年のことです。人手不足の問題や、働き方改革への取り組みなど困難にも直面しましたが、引き継いだ地盤が強固だったことや、主力である公共工事の受注数を伸ばせたこともあり、4億円企業へと成長を遂げることができました。
これからも、積み重ねた歴史と技術力を活かしながら、時代の変化にスピード感と柔軟性を持って対応していくことで、地域になくてはならない100年企業を目指してまいります。
代表取締役 堀江貴浩
私たちのこだわり
戦後から高度経済成長期の地元建設業界を支えた初代と2代目
弊社が拠点を構える栃木市周辺には、昔から下駄屋が多くあり、曾祖父は下駄屋を営んでいたそうです。しかし、その息子である私の祖父が成人する頃、日本は太平洋戦争に突入し、祖父は戦争に行くことになりました。戦地ではモールス信号を打つような通信兵の任務に就いたそうで、それをきっかけに電気に興味を持ち、終戦後は地元の電気関連会社に就職しました。そこは送電線等の外線工事を扱う会社だったと聞いています。記録を見ると、戦争末期の1945年7月に、栃木市はアメリカ軍による空襲を受けており、街全体が大きな損傷を負ったそうです。祖父たちを含めた建設業の頑張りで、荒廃した街のインフラが徐々に元の状態へと再生していくと、今度は建物の新築や改修を行う復興工事が本格化する時代になっていきます。そのような建設業界全体での工事量が増加していた1962年、「地元で建物の電気工事に携わる仕事がしたい」と勤務先から独立、起業した会社がホリエ電設工業株式会社の起源です。
最初は祖父一人で始めた会社でしたが、すぐに住み込みの職人を何人か雇って、経営は順調だったそうです。復興特需ではないですが、いち早くビジネスチャンスに着目して、実行に移した祖父の嗅覚と行動力には感心します。その祖父が脳梗塞で倒れて仕事が出来なくなってしまったため、東京の電気関係の会社へ修業に出ていた父が自宅に戻って家業を継いだのが1976年のことです。ちょうど資金調達や人財確保、節税対策など様々な観点から法人化を検討していた時期だったため、このタイミングで株式会社として新しくスタートを切りました。
2代目となった父も現状に慢心することなく、常に一歩先を見据えて、自分ならではのビジネスのスタイルを確立していきました。それまで祖父は、地元の工場を中心とした建物の電気工事を請け負っていたそうです。というのも戦後、様々な分野の企業で生産工場の開設や増設が相次いでいたからです。しかし、高度経済成長期、ベビーブーム期と移り変わっていく中で、今度は住宅が多く建つ時代となります。そこで父は、住宅に特化した電気工事会社へと業務内容をシフトしていきました。当時は今のような大手のハウスメーカーや工務店はまだないため、地場の大工さんや職人さんと直接取引する仕事への方向転換となります。新しいチャレンジには大変な部分もあったと思いますが、一つひとつのご満足いただける工事を提供し、常に真摯な対応を心がけていった結果が、地域での確かな信頼と実績に繋がったのだと考えています。
現場一筋に経験を積み重ねた新入社員時代
私は電気系の大学を卒業後、すぐに当社へ入社しました。自宅が会社なので、幼少の頃から電気工事が身近な存在だったこともあり、自然な流れでこの仕事に就いたという実感があります。祖父と父を尊敬していたので、「自分もいつか会社を継ぎたい」という気持ちも子ども時代からあり、入社後はすぐに現場に入り、一から仕事を覚えていきました。本当に現場の仕事が好きで、ありとあらゆる工事を全て覚えるくらい現場一筋で知識と技術を身に付けていきました。ですから、「電気のことならどんなことでもご相談ください」と胸を張って言い切る自信があります。お客様に喜んでもらったり、直接感謝の言葉をいただいたりしたときには大きな達成感とやりがいを感じますし、やはりこの仕事をしていて良かったと思います。
私は社会に一度も出ないで家業に入ったため、色々な人の考え方を学んだり、同世代の人から刺激を受ける機会の少なさがネックになっていました。そこで30歳のときに、「何か自分の人間形成や成長に繋がる場を見つけたい」と栃木青年会議所(JC)に入会しました。JCでは地元企業の社長さんや、経営者を目指す若い人たちなど、様々な人たちとの出会いがあり、色々なお話をする中で仕事に対するスタンスや意識も大きく変わりました。JCは40歳で引退する決まりがありますが、その後も、お互いに仕事を紹介し合ったり、経営の悩みを相談し合ったりと、公私にわたって良い関係を続けさせてもらっています。
社内改革に奔走しながら大型の案件にも積極的にチャレンジ
2019年、私がちょうど40歳になった節目で父から会社を継ぎ、3代目社長に就任しました。その数年前から個別に話はされていましたが、全社会議の席で「何年後に代交替する」と父の口から発せられたときには、「いよいよか」と身が引き締まる思いでした。父は代替わり以降、会社のことについて口出しすることはありませんが、いつも傍で見守っていてくれ、何かあったときには一番に相談に乗ってくれる頼もしい存在です。社長に就任してまず初めに考えたのは、一緒に働く社員のことでした。その頃ちょうど「ブラック企業」という言葉が世間で注目され、実際に人手不足や長時間労働など、良好とは言えない労働条件の下で働いている同業者も多くたくさん知っていたので、まずは弊社が率先してより良い職場環境作りに乗り出しました。
ビジネスの面では、将来的に少子高齢化、人口減少の影響で住宅関係の着工数が頭打ちになるのは見えていたため、方向転換を図りました。そして工場やホテル、オフィスビルといった非住宅系の民間工事や、学校、保育園、介護施設、官公庁の庁舎、道路照明といった公共工事を中心に受注を伸ばせるようにしていきました。公共工事の入札では、「入札参加資格の格付け制度」というものがあり、より経営状況や経営規模、技術力、女性の雇用、災害防止やSDGsへの取り組みなどにおいて優れた会社が格付け=ランク上位となり、規模の大きな工事を受注できます。そこで、栃木県が認定している「男女生き活き企業認定」「いい仕事いい家庭つぎつぎ宣言」「とちぎ健康経営事業所」「とちぎSDGs推進企業」への登録や、国土交通省の「災害時の基礎的事業継続力(BCP)」、厚生労働省の「次世代法、女性活躍推進法に基づく一般事業主行動計画」の策定など、必要となる社内システムの整備に一つひとつ取り組んでいきました。
その成果もあり、弊社は2019~20年度格付けで栃木市電気部門の第1位、2021年には栃木県栃木土木事務所管内で電気部門の第1位になるなど、近年では栃木管内の役所関連の格付けで常に上位に位置しています。もちろんさらに上位を目指して、技術の習得や社内制度の整備を進めていく所存であることは言うまでもありません。今では、受注数で住宅:非住宅の割合は3:7、売上高も10年前に比べて2~3倍になっています。公共工事のような大規模な現場に携わるためには、現場作業員も相当数必要なため、定期的に新卒・中途採用を行って社員数も増やしています。大きな仕事をどんどん取っていくことで雇用の創出に繋げていく。そのような好循環をこれからも生み出し続けたいと思っています。
技術を継承できる若手を積極的に採用し人財育成に注力
私たちの電気工事業は建設業の一部であり、業界全体では慢性的な人手不足や職人の高齢化といった深刻な課題を抱えています。そのような中にあって、弊社の平均年齢は38歳と比較的若く、体力、行動力、仕事のスピード、新しい技術への対応力などの面で有利なところが、会社としての大きな強みです。若手が多い分、教育・研修制度もしっかりと整備しています。電気科卒の方はほぼ第二種電気工事士を取得していますが、それ以外の方は、市の工業組合が実施している電気工事士試験のための講習会に参加してもらうなど、資格取得も全面的にバックアップしているのが弊社の特徴です。事務系でも第二種を取得しておくと、お客様とやりとりする上で役立つため、できるだけチャレンジするよう勧めています。若手社員に言っていることは、資格は仕事に不可欠なものですが、それはあくまでも必要最低限の基礎であって、取得してからも学び続けてスキルアップしていくことが大切になります。現場に即した技術と知識を身に付けていくとともに、頭が柔らかい若いうちに、さらに上位の第一種電気工事士や電気工事施工管理技士、電気主任技術者などの資格にもどんどん挑戦していってほしいと思います。
社内には、先輩社員と一緒に仕事の練習やデモンストレーションができる場を設けており、未経験の方でもおおよその仕事のイメージを掴んでから、実際の現場に出られるようになっています。なぜこのような体制を整えたかと言うと、働き始めてから「こんなはずじゃなかった」「思っていた仕事と違う」と辞めてしまう社員がいたからです。「どうすればいいのだろう」とトライアンドエラーを繰り返した結果、このシステムにたどり着きました。現場に出る前にじっくりと時間をかけてデモンストレーションを実施するようになってからはミスマッチも減り、「スムーズに仕事をスタートできた」と好評の声が届くようになりました。
最近の若い人を見ていると自己肯定感が低く、自信がなさそうにしている人が多いと感じることが少なくありません。私たちの仕事はやる気や向上心が品質に直結するため、会社として社員のハートやマインドの部分はしっかりとケアしていかなければいけないと考えています。まずは、「会社にとってあなたが必要であって、あなたがいないと成り立たない、一人ひとりが大切な存在です」と伝えるようにしています。
また私が社長になってから、「ナンバーワンになろう」という理念を掲げました。この理念には、挨拶、掃除、健康、何でもいいから何かのナンバーワンになってほしい、ナンバーワンをどんどん増やして自信をつけていってもらいたい、という願いが込めています。少し珍しいと思われるかもしれませんが、弊社では「会議の司会はあなたね」「ここの部分は君が担当ね」といった具合に、社員一人ひとりに責任を持って行ってもらうために固定の役割を与えて任せています。そうした取り組みの土台になっているのも、「ナンバーワンになろう」です。一人ひとりが会社を大切に思って、ただ単に作業をこなすだけでなく、「自分の会社なんだ」という当事者意識を持って働くことができれば、それが最終的には会社の発展に繋がっていくのではないかと思っています。
地域との繋がりを強みに100年企業を目指す
一般住宅中心から学校、工場、介護施設など大規模な公共工事・民間工事中心へと仕事がシフトする中で、行政の求めに合わせて社内のシステムや制度を整備したことは、改めて経営や組織を見直すきっかけにもなり、より良い会社作りに繋がっています。今後も地元に根差しながら、3年以内に売上5億円を達成したいと思っています。
今、コロナ禍が落ち着いて建設業界も活況を取り戻しつつありますが、今後またどのような厳しい状況に見舞われるかは分かりません。そうしたときに、地域と繋がって構築した信頼関係が強みになると考えています。元々自分を育ててくれた栃木市に恩返ししたい、ただ税金を納めるだけではなく、目に見える形で返したいという気持ちがあったので、奉仕活動を行ったり、行政とコラボ企画ができないか考えたりしています。
つい最近も、栃木市が空き家の再生プランを募集していた際に「無料駄菓子屋」の案で応募しました。というのも、最近入会した地元のライオンズクラブで色々と勉強するうちに、栃木市では食に困っている子どもたちのための「子ども食堂」の運営が、資金面の問題で上手くいっていないことを知ったからです。それならば自分たちが何かできないかと考えて、企業から協賛金を募って無料の駄菓子屋を運営する案を提出したのですが、これは落選してしまいました。でも、それをきっかけにJC時代の仲間たちが、「一緒に何かやろう」「自分も何か起ち上げたいと思っていた」といった賛同を受け、現在新たなプランを検討しています。
駄菓子屋は一例ですが、何か地元企業と市民の繋がりを生み出していきたいと考えています。それをきっかけに本業以外の分野で事業化できることがあれば、社員のセカンドキャリアの道を創出することにも繋がるかもしれません。弊社は65歳が定年ですが、人生100年時代と言われる今、多くの人が定年後も働き続けることになります。そのようなときに、危険や力仕事を伴わない安全で安心して働ける再就職先を用意しておくことも、社長である私の役目なのではないか、と今考えているところです。
会社の将来のことは、M&Aや事業承継など複数の選択肢を視野に入れながら、じっくりと考えていきたいと思っています。一番上の息子は工業系の高校に通っていて、今のところ会社を継ぐ気でいてくれています。息子が「ひいじいちゃんの夢、継ぐからね」と言ったとき、祖父は泣いていました。そのくらい、嬉しかったのだと思います。でも、大学進学も考えており、他にやりたいことを見つけるかもしれません。それでも、継ぐことになった時に備えて、社長の権限委譲を進めて、社内でしっかりとした組織作りをしていくことが当面の目標です。基本はみんな職人ですが、言われたことだけをするのではなく、一人ひとりが会社の看板を背負っているという自覚を持って、お客様との打ち合わせや、現場の管理なども担えるようになってほしいと思っています。これからも錆びない技術と地域との繋がり、強固な組織力を強みに、地域になくてはならない100年企業を目指してまいります。
戦後から高度経済成長期の地元建設業界を支えた初代と2代目
弊社が拠点を構える栃木市周辺には、昔から下駄屋が多くあり、曾祖父は下駄屋を営んでいたそうです。しかし、その息子である私の祖父が成人する頃、日本は太平洋戦争に突入し、祖父は戦争に行くことになりました。戦地ではモールス信号を打つような通信兵の任務に就いたそうで、それをきっかけに電気に興味を持ち、終戦後は地元の電気関連会社に就職しました。そこは送電線等の外線工事を扱う会社だったと聞いています。記録を見ると、戦争末期の1945年7月に、栃木市はアメリカ軍による空襲を受けており、街全体が大きな損傷を負ったそうです。祖父たちを含めた建設業の頑張りで、荒廃した街のインフラが徐々に元の状態へと再生していくと、今度は建物の新築や改修を行う復興工事が本格化する時代になっていきます。そのような建設業界全体での工事量が増加していた1962年、「地元で建物の電気工事に携わる仕事がしたい」と勤務先から独立、起業した会社がホリエ電設工業株式会社の起源です。
最初は祖父一人で始めた会社でしたが、すぐに住み込みの職人を何人か雇って、経営は順調だったそうです。復興特需ではないですが、いち早くビジネスチャンスに着目して、実行に移した祖父の嗅覚と行動力には感心します。その祖父が脳梗塞で倒れて仕事が出来なくなってしまったため、東京の電気関係の会社へ修業に出ていた父が自宅に戻って家業を継いだのが1976年のことです。ちょうど資金調達や人財確保、節税対策など様々な観点から法人化を検討していた時期だったため、このタイミングで株式会社として新しくスタートを切りました。
2代目となった父も現状に慢心することなく、常に一歩先を見据えて、自分ならではのビジネスのスタイルを確立していきました。それまで祖父は、地元の工場を中心とした建物の電気工事を請け負っていたそうです。というのも戦後、様々な分野の企業で生産工場の開設や増設が相次いでいたからです。しかし、高度経済成長期、ベビーブーム期と移り変わっていく中で、今度は住宅が多く建つ時代となります。そこで父は、住宅に特化した電気工事会社へと業務内容をシフトしていきました。当時は今のような大手のハウスメーカーや工務店はまだないため、地場の大工さんや職人さんと直接取引する仕事への方向転換となります。新しいチャレンジには大変な部分もあったと思いますが、一つひとつのご満足いただける工事を提供し、常に真摯な対応を心がけていった結果が、地域での確かな信頼と実績に繋がったのだと考えています。
現場一筋に経験を積み重ねた新入社員時代
私は電気系の大学を卒業後、すぐに当社へ入社しました。自宅が会社なので、幼少の頃から電気工事が身近な存在だったこともあり、自然な流れでこの仕事に就いたという実感があります。祖父と父を尊敬していたので、「自分もいつか会社を継ぎたい」という気持ちも子ども時代からあり、入社後はすぐに現場に入り、一から仕事を覚えていきました。本当に現場の仕事が好きで、ありとあらゆる工事を全て覚えるくらい現場一筋で知識と技術を身に付けていきました。ですから、「電気のことならどんなことでもご相談ください」と胸を張って言い切る自信があります。お客様に喜んでもらったり、直接感謝の言葉をいただいたりしたときには大きな達成感とやりがいを感じますし、やはりこの仕事をしていて良かったと思います。
私は社会に一度も出ないで家業に入ったため、色々な人の考え方を学んだり、同世代の人から刺激を受ける機会の少なさがネックになっていました。そこで30歳のときに、「何か自分の人間形成や成長に繋がる場を見つけたい」と栃木青年会議所(JC)に入会しました。JCでは地元企業の社長さんや、経営者を目指す若い人たちなど、様々な人たちとの出会いがあり、色々なお話をする中で仕事に対するスタンスや意識も大きく変わりました。JCは40歳で引退する決まりがありますが、その後も、お互いに仕事を紹介し合ったり、経営の悩みを相談し合ったりと、公私にわたって良い関係を続けさせてもらっています。
社内改革に奔走しながら大型の案件にも積極的にチャレンジ
2019年、私がちょうど40歳になった節目で父から会社を継ぎ、3代目社長に就任しました。その数年前から個別に話はされていましたが、全社会議の席で「何年後に代交替する」と父の口から発せられたときには、「いよいよか」と身が引き締まる思いでした。父は代替わり以降、会社のことについて口出しすることはありませんが、いつも傍で見守っていてくれ、何かあったときには一番に相談に乗ってくれる頼もしい存在です。社長に就任してまず初めに考えたのは、一緒に働く社員のことでした。その頃ちょうど「ブラック企業」という言葉が世間で注目され、実際に人手不足や長時間労働など、良好とは言えない労働条件の下で働いている同業者も多くたくさん知っていたので、まずは弊社が率先してより良い職場環境作りに乗り出しました。
ビジネスの面では、将来的に少子高齢化、人口減少の影響で住宅関係の着工数が頭打ちになるのは見えていたため、方向転換を図りました。そして工場やホテル、オフィスビルといった非住宅系の民間工事や、学校、保育園、介護施設、官公庁の庁舎、道路照明といった公共工事を中心に受注を伸ばせるようにしていきました。公共工事の入札では、「入札参加資格の格付け制度」というものがあり、より経営状況や経営規模、技術力、女性の雇用、災害防止やSDGsへの取り組みなどにおいて優れた会社が格付け=ランク上位となり、規模の大きな工事を受注できます。そこで、栃木県が認定している「男女生き活き企業認定」「いい仕事いい家庭つぎつぎ宣言」「とちぎ健康経営事業所」「とちぎSDGs推進企業」への登録や、国土交通省の「災害時の基礎的事業継続力(BCP)」、厚生労働省の「次世代法、女性活躍推進法に基づく一般事業主行動計画」の策定など、必要となる社内システムの整備に一つひとつ取り組んでいきました。
その成果もあり、弊社は2019~20年度格付けで栃木市電気部門の第1位、2021年には栃木県栃木土木事務所管内で電気部門の第1位になるなど、近年では栃木管内の役所関連の格付けで常に上位に位置しています。もちろんさらに上位を目指して、技術の習得や社内制度の整備を進めていく所存であることは言うまでもありません。今では、受注数で住宅:非住宅の割合は3:7、売上高も10年前に比べて2~3倍になっています。公共工事のような大規模な現場に携わるためには、現場作業員も相当数必要なため、定期的に新卒・中途採用を行って社員数も増やしています。大きな仕事をどんどん取っていくことで雇用の創出に繋げていく。そのような好循環をこれからも生み出し続けたいと思っています。
技術を継承できる若手を積極的に採用し人財育成に注力
私たちの電気工事業は建設業の一部であり、業界全体では慢性的な人手不足や職人の高齢化といった深刻な課題を抱えています。そのような中にあって、弊社の平均年齢は38歳と比較的若く、体力、行動力、仕事のスピード、新しい技術への対応力などの面で有利なところが、会社としての大きな強みです。若手が多い分、教育・研修制度もしっかりと整備しています。電気科卒の方はほぼ第二種電気工事士を取得していますが、それ以外の方は、市の工業組合が実施している電気工事士試験のための講習会に参加してもらうなど、資格取得も全面的にバックアップしているのが弊社の特徴です。事務系でも第二種を取得しておくと、お客様とやりとりする上で役立つため、できるだけチャレンジするよう勧めています。若手社員に言っていることは、資格は仕事に不可欠なものですが、それはあくまでも必要最低限の基礎であって、取得してからも学び続けてスキルアップしていくことが大切になります。現場に即した技術と知識を身に付けていくとともに、頭が柔らかい若いうちに、さらに上位の第一種電気工事士や電気工事施工管理技士、電気主任技術者などの資格にもどんどん挑戦していってほしいと思います。
社内には、先輩社員と一緒に仕事の練習やデモンストレーションができる場を設けており、未経験の方でもおおよその仕事のイメージを掴んでから、実際の現場に出られるようになっています。なぜこのような体制を整えたかと言うと、働き始めてから「こんなはずじゃなかった」「思っていた仕事と違う」と辞めてしまう社員がいたからです。「どうすればいいのだろう」とトライアンドエラーを繰り返した結果、このシステムにたどり着きました。現場に出る前にじっくりと時間をかけてデモンストレーションを実施するようになってからはミスマッチも減り、「スムーズに仕事をスタートできた」と好評の声が届くようになりました。
最近の若い人を見ていると自己肯定感が低く、自信がなさそうにしている人が多いと感じることが少なくありません。私たちの仕事はやる気や向上心が品質に直結するため、会社として社員のハートやマインドの部分はしっかりとケアしていかなければいけないと考えています。まずは、「会社にとってあなたが必要であって、あなたがいないと成り立たない、一人ひとりが大切な存在です」と伝えるようにしています。
また私が社長になってから、「ナンバーワンになろう」という理念を掲げました。この理念には、挨拶、掃除、健康、何でもいいから何かのナンバーワンになってほしい、ナンバーワンをどんどん増やして自信をつけていってもらいたい、という願いが込めています。少し珍しいと思われるかもしれませんが、弊社では「会議の司会はあなたね」「ここの部分は君が担当ね」といった具合に、社員一人ひとりに責任を持って行ってもらうために固定の役割を与えて任せています。そうした取り組みの土台になっているのも、「ナンバーワンになろう」です。一人ひとりが会社を大切に思って、ただ単に作業をこなすだけでなく、「自分の会社なんだ」という当事者意識を持って働くことができれば、それが最終的には会社の発展に繋がっていくのではないかと思っています。
地域との繋がりを強みに100年企業を目指す
一般住宅中心から学校、工場、介護施設など大規模な公共工事・民間工事中心へと仕事がシフトする中で、行政の求めに合わせて社内のシステムや制度を整備したことは、改めて経営や組織を見直すきっかけにもなり、より良い会社作りに繋がっています。今後も地元に根差しながら、3年以内に売上5億円を達成したいと思っています。
今、コロナ禍が落ち着いて建設業界も活況を取り戻しつつありますが、今後またどのような厳しい状況に見舞われるかは分かりません。そうしたときに、地域と繋がって構築した信頼関係が強みになると考えています。元々自分を育ててくれた栃木市に恩返ししたい、ただ税金を納めるだけではなく、目に見える形で返したいという気持ちがあったので、奉仕活動を行ったり、行政とコラボ企画ができないか考えたりしています。
つい最近も、栃木市が空き家の再生プランを募集していた際に「無料駄菓子屋」の案で応募しました。というのも、最近入会した地元のライオンズクラブで色々と勉強するうちに、栃木市では食に困っている子どもたちのための「子ども食堂」の運営が、資金面の問題で上手くいっていないことを知ったからです。それならば自分たちが何かできないかと考えて、企業から協賛金を募って無料の駄菓子屋を運営する案を提出したのですが、これは落選してしまいました。でも、それをきっかけにJC時代の仲間たちが、「一緒に何かやろう」「自分も何か起ち上げたいと思っていた」といった賛同を受け、現在新たなプランを検討しています。
駄菓子屋は一例ですが、何か地元企業と市民の繋がりを生み出していきたいと考えています。それをきっかけに本業以外の分野で事業化できることがあれば、社員のセカンドキャリアの道を創出することにも繋がるかもしれません。弊社は65歳が定年ですが、人生100年時代と言われる今、多くの人が定年後も働き続けることになります。そのようなときに、危険や力仕事を伴わない安全で安心して働ける再就職先を用意しておくことも、社長である私の役目なのではないか、と今考えているところです。
会社の将来のことは、M&Aや事業承継など複数の選択肢を視野に入れながら、じっくりと考えていきたいと思っています。一番上の息子は工業系の高校に通っていて、今のところ会社を継ぐ気でいてくれています。息子が「ひいじいちゃんの夢、継ぐからね」と言ったとき、祖父は泣いていました。そのくらい、嬉しかったのだと思います。でも、大学進学も考えており、他にやりたいことを見つけるかもしれません。それでも、継ぐことになった時に備えて、社長の権限委譲を進めて、社内でしっかりとした組織作りをしていくことが当面の目標です。基本はみんな職人ですが、言われたことだけをするのではなく、一人ひとりが会社の看板を背負っているという自覚を持って、お客様との打ち合わせや、現場の管理なども担えるようになってほしいと思っています。これからも錆びない技術と地域との繋がり、強固な組織力を強みに、地域になくてはならない100年企業を目指してまいります。
会社概要
社名 | ホリエ電設工業株式会社 |
創立年 | 1976年 |
代表者名 | 代表取締役 堀江 貴浩 |
資本金 | 2000万円 |
事業エリア | 主に栃木県 |
本社住所 |
328-0027 栃木県栃木市今泉町2丁目13-28 |
事業内容 | 総合電気工事:オール電化から変電設備に関する電気工事まで 一般屋内配線工事:一般家電の販売、住宅屋内配線、配電盤設備 詳細: 電気設備(電灯・動力)工事 蓄電池設備工事 受変電設備工事 オール電化工事 防災設備工事 計装設備工事 その他弱電設備一般工事 太陽光発電設備工事 換気設備工事 空調設備工事 テレビ共聴設備工事 避雷針設備工事 電気土木 情報通信設備工事 |
URL |
http://horiden2828.com/
|
会社沿革
1962年 | 栃木県栃木市に電気工事店として創業 |
1976年 | ホリエ電設工業株式会社 設立 |
2008年 | 新社屋竣工 |
2019年 | 堀江貴浩 社長に就任 |
ホリエ電設工業株式会社の経営資源引継ぎ募集情報
公開日:2023/03/27
※本記事の内容および所属名称は2023年3月現在のものです。現在の情報とは異なる場合があります。