宇都宮
宇都宮市
「組めない場所はない!」建設のプロフェッショナル集団
株式会社足場やビッグ
人と人とが気軽に助け合える社会づくりに貢献する企業
経営理念
あらゆる建設現場に、安全で安心な足場設置を
私たちは安全を第一に安心で丁寧な作業を心がけています。
私たちは職人を大切にすることが、良いサービスにつながるという信念に基づき従業員を家族のように大切にしています。
代表者メッセージ
困っている人に手を差し伸べられる企業でありたい
足場職人という建築業のプロフェッショナルとしてお客様のご要望に応えていく中で、積極的に地域の人々と交流し、人と人とがコミュニケーションをとりやすい地域社会づくりに貢献したいと思っています。現場の近くを通行する方への挨拶ひとつを取っても、我々には大切な交流です。目の前に困っている人がいれば手を差し伸べ、気軽に支えあっていける地域社会を、皆さんと一緒に目指していきたいと思っています。
そしてこれからも、安全第一の足場作業はもちろんのこと、地元である栃木に貢献できる企業として励んでいきます。
代表取締役社長 藤井 茂皓
私たちのこだわり
特殊な建造物にも対応した安全で安心な足場設置
弊社は、もともと個人事業主だった私が売り上げの拡大を機に、2011年に設立した会社です。
一般的な足場作業から、鉄塔や橋などの特殊な建造物に対しての足場設計も可能です。そうした中でモットーにしているのが「お客様に喜ばれる安全で安心な足場設置」。
ヤードを見学されたお客さまからは「足場やビッグのヤードはいつも綺麗」「トラック内も整頓されている」などといったうれしい評価をいただいています。
転校ばかりの学生時代から、栃木の足場職人になるまで
子どもの頃は、自衛隊の幹部だった父が転勤になるたびに引越しをしていました。北海道で生まれてから、青森、静岡、九州など日本全国を飛び回り、小学4年生で栃木県に落ち着くまでに、全部で7回くらい引越しをしました。時には、やっと友達ができたタイミングで転校してしまうこともあり、寂しい思いをした記憶が強くあります。
家族や親戚にも公務員をしている者が多かったため、自分も将来は似た職業に就くと考えていましたが、「もっと別の世界に飛び込んでみたい」という願望があり、高校卒業後に就職活動で足場のメーカーを訪れました。
当時の足場職人といえば、少し荒っぽく、ヤンチャな人が多かったのですが、私は不思議とそういった人との波長が合うように感じました。そのまま足場メーカーに就職し、私の足場職人としての修行期間がはじまります。
「社長就任」の打診を断ってはじめた個人事業主
実は私には「独立したい」という明確な目標があったわけではありませんでした。まず高校卒業後に入社した会社は、仙台への転勤の辞令が出たために退職しています。当時すでに結婚して子どもがおり、子どもを転校させることに抵抗があったからです。過去に何度も引っ越しを経験し、幼いながらに苦労をした経験が、転勤をポジティブに受け入れることができなかったのかもしれません。
その後転職先を探していると、ちょうど栃木で足場事業をはじめようとしていた社長に誘われ、2社目の会社に就職しました。その会社ではかなり長い間勤めていましたが、ある時、当時の社長から「社長になってくれないか」と声をかけられました。ありがたいお話でしたが、その会社には社長の息子さんが勤めており、ゆくゆくは息子さんが継がれるべきだと思い、悩んだ末にお断りしました。
これを機に個人事業主になることを思い立って退職しました。自分で選んだ道でしたが、準備期間を十分に取らずに独立したので、事業を落ち着かせるまでにはかなり苦労をしました。
さらに、その時期は建設会社の倒産が次々と続いていたタイミングでもあったので、周囲からとても心配された記憶があります。それでも「私には足場事業しかない」という強い覚悟のようなものがありました。そこからは妻に専務として経理などの事務作業を任せ、家族で協力しあい、自分たちが食べていける分の収入があれば十分だという気持ちで、のんびり営んでいくことにしました。
「人好き」が功を奏して軌道に乗りはじめた経営
個人での事業が始まったばかりの時は集客についても悩んでいました。一方でありがたいことに、私が独立した話をどこからか聞きつけて連絡をくれたかつてのお客様たちもいました。そこから少しずつ売り上げを確保して、大手企業からのお仕事の依頼も受けるようになり、ようやく経営を軌道に乗せることができました。
私は元々、人とコミュニケーションを取ることが好きで、どんなキャラクターの方とも打ち解けることが得意な方でした。会社に勤めていた頃も、営業といえばほとんどが飛び込みで、業種を問わずいろんな人に会っていたくらいです。今でも交流のある方たちは大勢います。
足場関係の会社を経営する方には職人気質の人が多いため、どちらかといえば寡黙だったり、シャイだったりする人が多い傾向にあったので、私のような社交的なタイプは珍しいといわれたこともあります。これはもしかすると、子どもの頃にたくさん引っ越しをして、その都度新しい友達をつくろうと奮闘していた中で培われたスキルなのかもしれません。
東日本大震災で傷ついた栃木の復興で感じた同業者の絆に
法人として創業間もない時に東日本大震災が発生しました。震源である東北地方の被害は言うまでもありませんが、栃木の一部の地域も大変大きな被害を受けており、復興のペースは著しく遅れていたのです。私たちには、被害に苦しむ地元地域を見て見ぬふりなどできず、まず栃木を支えようと決めます。
しかし、復興のために働こうにも、当初は必要な資材・材料が圧倒的に足りず、思うように作業を進めることができずにいました。そんな時に助けてくれたのが栃木県内の同業者のみなさんです。
栃木県内の足場事業を経営している人たちの多くは繋がりがあり、社長同士はほとんど顔見知りといって過言ではありません。皆さんが、事業として始まったばかりの私たちに多くの支援をしてくれたおかげで、たくさんのお客さんの元に駆け付けることができました。あの時助けていただいたことは、今でも感謝しています。
「まだ働きたい」という人が、自分のペースで働ける環境づくり
今後考えていることとして、年齢や怪我により足場職人を辞めたけれど「まだ働きたい」という方に向けた居場所作りがあります。自分のできる仕事に、自分のペースで取り組めるような場にして、それを事業にしていきたいです。
体力的にフルで活動することが難しければ、一日2、3時間だけの勤務にできたり、力仕事が難しければ裏方の作業で活躍してもらえたり、働きたい方が無理なく働ける環境・設備を整えていきたいと思っています。
例えばこの足場事業でも、日々体を酷使する仕事のために足腰を痛めてしまい、早い段階で現場の仕事ができなくなってしまう職人たちが大勢います。せっかくキャリアを築いてきた方たちが仕方なく退職・転職をしてしまうのではなく、会社に残ったまま別のポジションで仕事を続けることで、その人の生きがいや居場所を残すことができたら良いなと考えています。
小学校への「メダカセット」の寄付に込めた思い
また、以前から地域貢献できる活動をしたいと考えていましたが、2021年にはじめて実現することができました。きっかけは、仕事で車を運転しながらふと栃木の町を見たとき、ずいぶんと隅々まで開発が進んで、自然を感じられる場所が少なくなっていることに気が付いたからです。まだ舗装もそこそこで、魚やザリガニなどの生き物がたくさんいる通学路を登校していた私は、今の子どもたちにもそういった楽しみを感じさせてあげられないかと考えました。
そんな時に、小学校の授業でメダカの研究をしているという話を聞いたのです。新型コロナウィルスの蔓延で外に遊びにいく機会も減ってしまった子どもたちが、少しでも楽しみながら勉強をしてくれたら嬉しいと思い、メダカと水槽、エサと掃除道具を寄付しました。
会社や私の名前は隠したいと伝えた上での寄付でしたが、お礼のお手紙に「足場やビッグさん」と書いていたり、朝、現場に向かう車で信号待ちしていると車に入った社名を見た小学校の児童から「あれが足場やビッグさんか」と指をさされたり、とてもうれしい気持ちになりました。もしかすると先生が善意から話してしまったのかもしれません。
地域の財産といえる大切な事業を残すお手伝いがしたい
栃木には、地域にとって必要な「財産」といえる企業がたくさんあります。その中で、後継者の問題に悩まれている方は少なくないでしょう。そこで、弊社と同規模の会社で、事業承継を考えている経営者の方がいましたら、業種を問わずにお話を聞かせてください。大切な事業を残すために私たちにできることがあれば、お手伝いしたいと考えております。
特殊な建造物にも対応した安全で安心な足場設置
弊社は、もともと個人事業主だった私が売り上げの拡大を機に、2011年に設立した会社です。
一般的な足場作業から、鉄塔や橋などの特殊な建造物に対しての足場設計も可能です。そうした中でモットーにしているのが「お客様に喜ばれる安全で安心な足場設置」。
ヤードを見学されたお客さまからは「足場やビッグのヤードはいつも綺麗」「トラック内も整頓されている」などといったうれしい評価をいただいています。
転校ばかりの学生時代から、栃木の足場職人になるまで
子どもの頃は、自衛隊の幹部だった父が転勤になるたびに引越しをしていました。北海道で生まれてから、青森、静岡、九州など日本全国を飛び回り、小学4年生で栃木県に落ち着くまでに、全部で7回くらい引越しをしました。時には、やっと友達ができたタイミングで転校してしまうこともあり、寂しい思いをした記憶が強くあります。
家族や親戚にも公務員をしている者が多かったため、自分も将来は似た職業に就くと考えていましたが、「もっと別の世界に飛び込んでみたい」という願望があり、高校卒業後に就職活動で足場のメーカーを訪れました。
当時の足場職人といえば、少し荒っぽく、ヤンチャな人が多かったのですが、私は不思議とそういった人との波長が合うように感じました。そのまま足場メーカーに就職し、私の足場職人としての修行期間がはじまります。
「社長就任」の打診を断ってはじめた個人事業主
実は私には「独立したい」という明確な目標があったわけではありませんでした。まず高校卒業後に入社した会社は、仙台への転勤の辞令が出たために退職しています。当時すでに結婚して子どもがおり、子どもを転校させることに抵抗があったからです。過去に何度も引っ越しを経験し、幼いながらに苦労をした経験が、転勤をポジティブに受け入れることができなかったのかもしれません。
その後転職先を探していると、ちょうど栃木で足場事業をはじめようとしていた社長に誘われ、2社目の会社に就職しました。その会社ではかなり長い間勤めていましたが、ある時、当時の社長から「社長になってくれないか」と声をかけられました。ありがたいお話でしたが、その会社には社長の息子さんが勤めており、ゆくゆくは息子さんが継がれるべきだと思い、悩んだ末にお断りしました。
これを機に個人事業主になることを思い立って退職しました。自分で選んだ道でしたが、準備期間を十分に取らずに独立したので、事業を落ち着かせるまでにはかなり苦労をしました。
さらに、その時期は建設会社の倒産が次々と続いていたタイミングでもあったので、周囲からとても心配された記憶があります。それでも「私には足場事業しかない」という強い覚悟のようなものがありました。そこからは妻に専務として経理などの事務作業を任せ、家族で協力しあい、自分たちが食べていける分の収入があれば十分だという気持ちで、のんびり営んでいくことにしました。
「人好き」が功を奏して軌道に乗りはじめた経営
個人での事業が始まったばかりの時は集客についても悩んでいました。一方でありがたいことに、私が独立した話をどこからか聞きつけて連絡をくれたかつてのお客様たちもいました。そこから少しずつ売り上げを確保して、大手企業からのお仕事の依頼も受けるようになり、ようやく経営を軌道に乗せることができました。
私は元々、人とコミュニケーションを取ることが好きで、どんなキャラクターの方とも打ち解けることが得意な方でした。会社に勤めていた頃も、営業といえばほとんどが飛び込みで、業種を問わずいろんな人に会っていたくらいです。今でも交流のある方たちは大勢います。
足場関係の会社を経営する方には職人気質の人が多いため、どちらかといえば寡黙だったり、シャイだったりする人が多い傾向にあったので、私のような社交的なタイプは珍しいといわれたこともあります。これはもしかすると、子どもの頃にたくさん引っ越しをして、その都度新しい友達をつくろうと奮闘していた中で培われたスキルなのかもしれません。
東日本大震災で傷ついた栃木の復興で感じた同業者の絆に
法人として創業間もない時に東日本大震災が発生しました。震源である東北地方の被害は言うまでもありませんが、栃木の一部の地域も大変大きな被害を受けており、復興のペースは著しく遅れていたのです。私たちには、被害に苦しむ地元地域を見て見ぬふりなどできず、まず栃木を支えようと決めます。
しかし、復興のために働こうにも、当初は必要な資材・材料が圧倒的に足りず、思うように作業を進めることができずにいました。そんな時に助けてくれたのが栃木県内の同業者のみなさんです。
栃木県内の足場事業を経営している人たちの多くは繋がりがあり、社長同士はほとんど顔見知りといって過言ではありません。皆さんが、事業として始まったばかりの私たちに多くの支援をしてくれたおかげで、たくさんのお客さんの元に駆け付けることができました。あの時助けていただいたことは、今でも感謝しています。
「まだ働きたい」という人が、自分のペースで働ける環境づくり
今後考えていることとして、年齢や怪我により足場職人を辞めたけれど「まだ働きたい」という方に向けた居場所作りがあります。自分のできる仕事に、自分のペースで取り組めるような場にして、それを事業にしていきたいです。
体力的にフルで活動することが難しければ、一日2、3時間だけの勤務にできたり、力仕事が難しければ裏方の作業で活躍してもらえたり、働きたい方が無理なく働ける環境・設備を整えていきたいと思っています。
例えばこの足場事業でも、日々体を酷使する仕事のために足腰を痛めてしまい、早い段階で現場の仕事ができなくなってしまう職人たちが大勢います。せっかくキャリアを築いてきた方たちが仕方なく退職・転職をしてしまうのではなく、会社に残ったまま別のポジションで仕事を続けることで、その人の生きがいや居場所を残すことができたら良いなと考えています。
小学校への「メダカセット」の寄付に込めた思い
また、以前から地域貢献できる活動をしたいと考えていましたが、2021年にはじめて実現することができました。きっかけは、仕事で車を運転しながらふと栃木の町を見たとき、ずいぶんと隅々まで開発が進んで、自然を感じられる場所が少なくなっていることに気が付いたからです。まだ舗装もそこそこで、魚やザリガニなどの生き物がたくさんいる通学路を登校していた私は、今の子どもたちにもそういった楽しみを感じさせてあげられないかと考えました。
そんな時に、小学校の授業でメダカの研究をしているという話を聞いたのです。新型コロナウィルスの蔓延で外に遊びにいく機会も減ってしまった子どもたちが、少しでも楽しみながら勉強をしてくれたら嬉しいと思い、メダカと水槽、エサと掃除道具を寄付しました。
会社や私の名前は隠したいと伝えた上での寄付でしたが、お礼のお手紙に「足場やビッグさん」と書いていたり、朝、現場に向かう車で信号待ちしていると車に入った社名を見た小学校の児童から「あれが足場やビッグさんか」と指をさされたり、とてもうれしい気持ちになりました。もしかすると先生が善意から話してしまったのかもしれません。
地域の財産といえる大切な事業を残すお手伝いがしたい
栃木には、地域にとって必要な「財産」といえる企業がたくさんあります。その中で、後継者の問題に悩まれている方は少なくないでしょう。そこで、弊社と同規模の会社で、事業承継を考えている経営者の方がいましたら、業種を問わずにお話を聞かせてください。大切な事業を残すために私たちにできることがあれば、お手伝いしたいと考えております。
会社概要
社名 | 株式会社足場やビッグ |
創立年 | 2011年 |
代表者名 | 代表取締役社長 藤井 茂皓 |
資本金 | 500万円 |
事業エリア |
本社
321-0912 栃木県宇都宮市石井町3315-2 |
本社住所 |
321-0912 栃木県宇都宮市石井町3315-2 |
事業内容 | 足場の設置・解体 足場資材の販売・リース |
URL |
https://www.ashibaya-big.co.jp/
|
会社沿革
2011年 | 株式会社足場やビッグ 設立 |
株式会社足場やビッグの経営資源引継ぎ募集情報
公開日:2022/10/11 (2023/01/25修正)
※本記事の内容および所属名称は2023年1月現在のものです。現在の情報とは異なる場合があります。