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製造と環境保全を両立する熱技術のエンジニアリング
熱技術開発株式会社
人、ものづくり、環境が調和するカスタムメイドの独自技術
経営理念
いちばんいいカタチを、いちばんいい方法で。
地球のために、人のそばに。
【 熱技術をコア技術として 社会に持続的な価値を提供する 】
あらゆる環境で稼働する様々な設備機器。
産業活動により発せられる有害物質を含んだ排ガスなど、環境問題が大きくクローズアップされている今、環境保全や省エネルギーは、わたしたちが早急に取り組まなければならない課題です。
熱と空気と環境が調和する最善の姿を描き、そして整え、快適な環境を具体化していくサーマルエンジニアリング。 わたしたちは、このテクノロジーを基本に、お客様のニーズに一番近いシステムの研究開発を続けています。
個々に独立した設備を最も効率よくエンジニアリングし、お客様が求めるものを、ベストな品質で、常にカスタムメイドによって供給しています。
人の身近で価値を高める技術と、環境をより豊かにする技術を、未来をも見据えた視点から駆使して、いちばんいいカタチを提案し続けます。
環境行動基準
- 高い省エネルギー性能と地球環境保全を考慮した製品を提供します。
- 廃棄物の削減とリサイクルに努めます。
- 再生可能なエネルギーを製造プロセスにおいて積極的に利用し地球環境に配慮します。
品質維持行動基準
- 常にお客様の視点に立った製品の開発を行います。
- 社員一人ひとりが品質とサービスの向上に努め、お客様の信頼に応えます。
- 安心してご使用頂ける製品を提供します。
代表者メッセージ
サーマルエンジニアリングというフィールドをメインに、
常にお客様より一歩前を行く技術開発を実践して参ります。
弊社は1981年、主に印刷・コンバーティング業界向けの乾燥装置、脱臭装置のメーカーとして創業し、サーマルエンジニアリングを駆使して、常にユーザーより一歩先行く技術の開発を実践してまいりました。
ユーザーの要求により開発された技術。その中で私たちは「お客様に最も適合したシステムの提供」を第一に考えております。
これまでに培ったノウハウを活かし、時代の要請に応える技術を創出し、さらにはそれをお客様それぞれが求めるベストシステムへ、機能的に組み上げていくことを目指してまいります。
また、思考と言動が密接に結びつき、フットワーク良く、迅速に対応していく技術集団であり、お客様の最も身近な存在でありたいと考えます。
私たちの製品は、システムによりご提案しております。時流を牽引する歩みを続ける中で数々の製品をセットアップし、試行錯誤を積み重ねながら新しいシステムを構築し、夢のある環境づくりに貢献していきたいと考えております。
我々は熱技術をもって日本を元気にする、技術集団です。
代表取締役社長 井上 善也
私たちのこだわり
最新技術を駆使し印刷・コンバーティング業界向け設備を開発した創業者
弊社は42年前の1981年、東京都大田区にて創業されました。
創業者の高松は、創業前は味の素食品株式会社に勤めており、グループ会社のライフエンジニアリング(現味の素エンジニアリング株式会社)や出資元である伊藤忠商事株式会社に出向をして、食品プラントの新事業としてエンジニアリング事業を立ち上げました。この新事業は、紙やフィルム等の基材に印刷やラミネート加工等を施すコンバーティング業界や印刷業界向けの設備の設計や製造を行うもので、乾燥装置、脱臭、排ガス処理装置、省エネシステムを組み合わせた最新技術により、国内では並ぶものはないほどでした。高松はその後、最先端の技術を学ぶために渡米し、帰国後に独立をして、出資会社の協力を得て1981年に東京都大田区で弊社を立ち上げました。
創業時は出資会社の社長と高松の2人でスタートしています。立ち上げの際の手続きやお客様の紹介、事務所貸与などの支援を受け、子会社のような形で仕事を請負うようになりました。出資会社の社長が弊社の初代社長となり、創業から3年後の1984年には高松が2代目社長に就任しました。
創業から約8年後の1989年には、事務所が手狭になり新規の顧客開拓も進んだことから、協力会社から独立して現在の神奈川県横浜市に移転し、1995年には製造機能の拡充のため大阪工場を新設しました。遠方である大阪に工場を設けた理由としては、関連会社や専門技術を持つエンジニアが大阪に集中していたことが背景にあり、関連業者の協力や連携を得る拠点としての役割をもたせるためでもありました。
創業当初からのお客様であり、国内印刷業最大手の大日本印刷株式会社から仕事をいただきながら実績を築くうちに、関連会社を通じて新規の案件が得られるようになっていきました。他社が持ち得ない独自の技術により、競合が現れることもなく、現在まで順調に成長を続けていきました。
外部環境の変化の中で熱技研に辿り着く
4代目である私は、東京に生まれ神奈川で育ちました。父も母も経営者でそれぞれ事業を営んでいたので、今振り返ると経営的な感覚や考え方は、この環境の中で自然に培われてきたように思われます。家業は製造のマーケットや拠点が中国に移行し始めたことで継続を断念せざるを得ず、経営者としての苦労を身をもって知りました。
学校を卒業後には、弊社を支援した協力会社の方に入社しました。時代の流れとともに事業が徐々に衰退し始める中で、高松が独立し、私も業界最大手の会社からスカウトがあり1996年に転職をしました。ところが、大手で働くうちに目指すべき方向が違っていると感じるようになり、独立した高松からも機会がある度に入社のアプローチを受けていたこともあって、考えた末に2004年に弊社に入社しました。
入社当初は営業マンとして新規開拓を進め、営業でのネットワークがなってきた頃には利益率の高い案件
を生み出せるようになっていきました。そこから10年程の間に実績が蓄積され、他のお客様からも依頼が寄せられるようになり、5、6年の間に利幅がさらに顕著になっていきました。社内でもその実績を認めていただき、2020年に3代目の遠藤から、4代目社長としてバトンを譲りうけました。初代から2代目・3代目への承継は社内で行われ、同族経営ではなく企業として、社内での承継はごく自然な流れとして定着していました。
業界の枠組みを越え、お客様の必要とするシステムを提供し続ける
印刷、省エネ、乾燥、環境保全などそれぞれの業界での事業を営んでいる会社は何社もありますが、弊社では業界の枠組みを越え、お客様が必要とするシステムを組み合わせて提供できるように独自の体制を整えています。これが創業当初からの強みであり、他社には真似できない大きな差別化にもなっています。とてもニッチな領域にはなりますが、お客様のトータルソリューションを実現するリーディングカンパニーであることは間違いないだろうと思っています。
弊社には関連会社が3社あり、1997年に子会社として設立した株式会社ティー・イー・ディー、2015年に中国で設立した梯意帝上海(ティー・イー・ディー・シャンハイ)、株式会社アイ・シー・エスがあります。いずれも弊社が設計した機械設備の製造や施工をする拠点であり、大阪のティー・イー・ディーでは乾燥設備や排ガス脱臭装置、熱風発生装置などの機械設備を製造しています。中国の梯意帝上海は中国での受注と製造の窓口となっており、本社サイドの海外対応グループが技術的な支援を行いながら展開をしています。
中長期経営方針を全社で共有し各社員の成長を促進
弊社の現場を支える人財は、弊社44人、大阪工場が15人、梯意帝上海の現地雇用者1人となっています。20代から60代までの幅広い年齢の社員が働いており、プロジェクト達成に向けて活発にコミュニケーションを図りながら、実直に仕事をこなす雰囲気となっています。関連会社は遠隔地でもあり、なかなか目の届きにくい部分もありますが、各事業所の社員それぞれが切磋琢磨しながら能動的に業務にあたっています。
2020年の社長就任後からは、毎年4月に中長期の経営方針を発信し、会社の目標に向かって社員が力を合わせていけるような環境づくりを始めました。こういった内部への働きかけは今までありませんでしたが、幹部社員が真剣に理解に努めたことで部下にも少しずつ伝わり、この2年ほどの間に馴染んできているのを感じています。
弊社の事業はエンジニアやメーカーの分野にあたることから、ものづくりの現場で学び、技術的な感覚を養うOJTがエンジニアを育てていく上では最も有効だと思っています。そのほか、各社員が必要な技術や資格を得て、スキルアップや自己啓発をしてもらえるように、工場でのものづくり関連の研修や外部セミナーの受講を推奨しており、資格取得者への報奨金制度も設けています。新体制に移行してから日も浅いため、ガバナンスの強化を進めながら社内外の信頼関係も強固にしていきたいと考えています。
社員の働きやすさと生産性向上を叶えるスマートファクトリー化を追求
弊社は経営効率が非常にいい時代が続き、国内が不況でもそれほど影響を受けずに済んでいました。しかし、コロナ禍を期に世の中の価値観が大きく変わったことで、ものづくりだけで経営を継続していくのは厳しい時代になり、現在が弊社にとっての過渡期にあたるだろうと思っています。この荒波を乗り越えていくため、人財や機械設備への投資を行い、内部強化を進めていく方向に舵を切り始めました。
この厳しい世の中でも経営を維持発展できたのは、会社を内部から支え仕事に誠実に取り組んできた社員の努力によるものです。これまではマンパワーで乗り切ってきた部分もあり、一人で営業や設計、試運転までの全ての業務ができなければいけませんでしたが、人口減少により社員数を確保することは今後さらに難しくなっていきます。社員の負担を減らすためにも、現在は分業化を進めています。
また、最新の機器設備やソフトなどのデジタルテクノロジーを導入して、ものづくりの技術と生産性向上のシナジーを生み出せるスマートファクトリー化を進めたいと考えています。研究開発施設の開設も進んでおり、優秀な技術者を採用してエンジニアとしての立ち位置をより強固にしておきたい考えです。
引き続き社員が働きやすい制度をつくりガバナンスを整えながら、それぞれが将来に希望や夢を持ち、技術を磨き続けられる環境を整備していきたいと思います。
設備保全・メンテナンス会社との協業により独自体制の強化を図る
対外的には、独自の技術をどうやって世間に発信していくかというブランディング面での課題があります。弊社はエンジニアリングの会社でありながら、ものづくりやメーカーとしての技術もあり、より多くのお客様の課題を解決できる素地があります。この強みを発揮していくためには、まずは認知度を高めていくことが大事だと思っています。ブランディングは企業価値の向上にも繋がり、将来を見据え自社の可能性を再認識する大事な作業にもなります。弊社のビジョンやカラーを明確に打ち出していけたらと考えています。
弊社の設備や機械を設置して下さるお客様は年々増えていることから、設備のメンテナンスや保全ができる会社との協業やM&Aが必要となってきています。ただ、弊社独自の技術に対応できる企業はまだ見つかっていません。高い生産性と稼働率を維持していくためにも、設備保全に長けたエンジニア会社の力を借りて強化を図りたいと考えています。
最新技術を駆使し印刷・コンバーティング業界向け設備を開発した創業者
弊社は42年前の1981年、東京都大田区にて創業されました。
創業者の高松は、創業前は味の素食品株式会社に勤めており、グループ会社のライフエンジニアリング(現味の素エンジニアリング株式会社)や出資元である伊藤忠商事株式会社に出向をして、食品プラントの新事業としてエンジニアリング事業を立ち上げました。この新事業は、紙やフィルム等の基材に印刷やラミネート加工等を施すコンバーティング業界や印刷業界向けの設備の設計や製造を行うもので、乾燥装置、脱臭、排ガス処理装置、省エネシステムを組み合わせた最新技術により、国内では並ぶものはないほどでした。高松はその後、最先端の技術を学ぶために渡米し、帰国後に独立をして、出資会社の協力を得て1981年に東京都大田区で弊社を立ち上げました。
創業時は出資会社の社長と高松の2人でスタートしています。立ち上げの際の手続きやお客様の紹介、事務所貸与などの支援を受け、子会社のような形で仕事を請負うようになりました。出資会社の社長が弊社の初代社長となり、創業から3年後の1984年には高松が2代目社長に就任しました。
創業から約8年後の1989年には、事務所が手狭になり新規の顧客開拓も進んだことから、協力会社から独立して現在の神奈川県横浜市に移転し、1995年には製造機能の拡充のため大阪工場を新設しました。遠方である大阪に工場を設けた理由としては、関連会社や専門技術を持つエンジニアが大阪に集中していたことが背景にあり、関連業者の協力や連携を得る拠点としての役割をもたせるためでもありました。
創業当初からのお客様であり、国内印刷業最大手の大日本印刷株式会社から仕事をいただきながら実績を築くうちに、関連会社を通じて新規の案件が得られるようになっていきました。他社が持ち得ない独自の技術により、競合が現れることもなく、現在まで順調に成長を続けていきました。
外部環境の変化の中で熱技研に辿り着く
4代目である私は、東京に生まれ神奈川で育ちました。父も母も経営者でそれぞれ事業を営んでいたので、今振り返ると経営的な感覚や考え方は、この環境の中で自然に培われてきたように思われます。家業は製造のマーケットや拠点が中国に移行し始めたことで継続を断念せざるを得ず、経営者としての苦労を身をもって知りました。
学校を卒業後には、弊社を支援した協力会社の方に入社しました。時代の流れとともに事業が徐々に衰退し始める中で、高松が独立し、私も業界最大手の会社からスカウトがあり1996年に転職をしました。ところが、大手で働くうちに目指すべき方向が違っていると感じるようになり、独立した高松からも機会がある度に入社のアプローチを受けていたこともあって、考えた末に2004年に弊社に入社しました。
入社当初は営業マンとして新規開拓を進め、営業でのネットワークがなってきた頃には利益率の高い案件
を生み出せるようになっていきました。そこから10年程の間に実績が蓄積され、他のお客様からも依頼が寄せられるようになり、5、6年の間に利幅がさらに顕著になっていきました。社内でもその実績を認めていただき、2020年に3代目の遠藤から、4代目社長としてバトンを譲りうけました。初代から2代目・3代目への承継は社内で行われ、同族経営ではなく企業として、社内での承継はごく自然な流れとして定着していました。
業界の枠組みを越え、お客様の必要とするシステムを提供し続ける
印刷、省エネ、乾燥、環境保全などそれぞれの業界での事業を営んでいる会社は何社もありますが、弊社では業界の枠組みを越え、お客様が必要とするシステムを組み合わせて提供できるように独自の体制を整えています。これが創業当初からの強みであり、他社には真似できない大きな差別化にもなっています。とてもニッチな領域にはなりますが、お客様のトータルソリューションを実現するリーディングカンパニーであることは間違いないだろうと思っています。
弊社には関連会社が3社あり、1997年に子会社として設立した株式会社ティー・イー・ディー、2015年に中国で設立した梯意帝上海(ティー・イー・ディー・シャンハイ)、株式会社アイ・シー・エスがあります。いずれも弊社が設計した機械設備の製造や施工をする拠点であり、大阪のティー・イー・ディーでは乾燥設備や排ガス脱臭装置、熱風発生装置などの機械設備を製造しています。中国の梯意帝上海は中国での受注と製造の窓口となっており、本社サイドの海外対応グループが技術的な支援を行いながら展開をしています。
中長期経営方針を全社で共有し各社員の成長を促進
弊社の現場を支える人財は、弊社44人、大阪工場が15人、梯意帝上海の現地雇用者1人となっています。20代から60代までの幅広い年齢の社員が働いており、プロジェクト達成に向けて活発にコミュニケーションを図りながら、実直に仕事をこなす雰囲気となっています。関連会社は遠隔地でもあり、なかなか目の届きにくい部分もありますが、各事業所の社員それぞれが切磋琢磨しながら能動的に業務にあたっています。
2020年の社長就任後からは、毎年4月に中長期の経営方針を発信し、会社の目標に向かって社員が力を合わせていけるような環境づくりを始めました。こういった内部への働きかけは今までありませんでしたが、幹部社員が真剣に理解に努めたことで部下にも少しずつ伝わり、この2年ほどの間に馴染んできているのを感じています。
弊社の事業はエンジニアやメーカーの分野にあたることから、ものづくりの現場で学び、技術的な感覚を養うOJTがエンジニアを育てていく上では最も有効だと思っています。そのほか、各社員が必要な技術や資格を得て、スキルアップや自己啓発をしてもらえるように、工場でのものづくり関連の研修や外部セミナーの受講を推奨しており、資格取得者への報奨金制度も設けています。新体制に移行してから日も浅いため、ガバナンスの強化を進めながら社内外の信頼関係も強固にしていきたいと考えています。
社員の働きやすさと生産性向上を叶えるスマートファクトリー化を追求
弊社は経営効率が非常にいい時代が続き、国内が不況でもそれほど影響を受けずに済んでいました。しかし、コロナ禍を期に世の中の価値観が大きく変わったことで、ものづくりだけで経営を継続していくのは厳しい時代になり、現在が弊社にとっての過渡期にあたるだろうと思っています。この荒波を乗り越えていくため、人財や機械設備への投資を行い、内部強化を進めていく方向に舵を切り始めました。
この厳しい世の中でも経営を維持発展できたのは、会社を内部から支え仕事に誠実に取り組んできた社員の努力によるものです。これまではマンパワーで乗り切ってきた部分もあり、一人で営業や設計、試運転までの全ての業務ができなければいけませんでしたが、人口減少により社員数を確保することは今後さらに難しくなっていきます。社員の負担を減らすためにも、現在は分業化を進めています。
また、最新の機器設備やソフトなどのデジタルテクノロジーを導入して、ものづくりの技術と生産性向上のシナジーを生み出せるスマートファクトリー化を進めたいと考えています。研究開発施設の開設も進んでおり、優秀な技術者を採用してエンジニアとしての立ち位置をより強固にしておきたい考えです。
引き続き社員が働きやすい制度をつくりガバナンスを整えながら、それぞれが将来に希望や夢を持ち、技術を磨き続けられる環境を整備していきたいと思います。
設備保全・メンテナンス会社との協業により独自体制の強化を図る
対外的には、独自の技術をどうやって世間に発信していくかというブランディング面での課題があります。弊社はエンジニアリングの会社でありながら、ものづくりやメーカーとしての技術もあり、より多くのお客様の課題を解決できる素地があります。この強みを発揮していくためには、まずは認知度を高めていくことが大事だと思っています。ブランディングは企業価値の向上にも繋がり、将来を見据え自社の可能性を再認識する大事な作業にもなります。弊社のビジョンやカラーを明確に打ち出していけたらと考えています。
弊社の設備や機械を設置して下さるお客様は年々増えていることから、設備のメンテナンスや保全ができる会社との協業やM&Aが必要となってきています。ただ、弊社独自の技術に対応できる企業はまだ見つかっていません。高い生産性と稼働率を維持していくためにも、設備保全に長けたエンジニア会社の力を借りて強化を図りたいと考えています。
ツグナラコンサルタントによる紹介
1981年に創業し、独自の熱技術でものづくりの環境を支えている企業様です。「いちばんいいカタチを、いちばんいい方法で。地球のために、人のそばに。」を企業理念に社会に持続的な価値を提供していらっしゃいます。今後、高い生産性と稼働率を維持していくためにも、設備保全に長けたエンジニア会社の力を借りて強化を図りたいとお考えです。
会社概要
社名 | 熱技術開発株式会社 |
創立年 | 1981年 |
代表者名 | 代表取締役社長 井上 善也 |
資本金 | 2000万円 |
事業エリア |
大阪工場
587-0012 大阪府堺市美原区多治井209番地 |
梯意帝(上海)环保节能有限公司
中国上海市嘉定区龙盘路568号 |
|
本社住所 |
222-0033 神奈川県横浜市港北区新横浜3-18-14 住生新横浜第2ビル2階 |
事業内容 | 印刷、コンバーティング業界向けの乾燥装置・脱臭装置の設計開発 |
URL |
https://www.ted-corp.co.jp/
|
会社沿革
1981年 | 東京都大田区蒲田に資本金500万円にて設立 |
1984年 | 高松忠彦、社長に就任 東京都大田区矢口へ本店移転 |
1986年 | 資本金1,000万円に増資 |
1988年 | 米国に合弁会社 |
1989年 | 神奈川県横浜市港北区新横浜2丁目へ本店移転 |
1995年 | 大阪府住吉区長居東に大阪出張所を開設 神奈川県横浜市港北区新横浜3丁目へ本店移転 |
1997年 | 大阪府堺市美原区に製造子会社、株式会社ティー・イー・ディー設立 神奈川県知事許可建設業(機械器具設置工事業)(般-19)第59977号取得 大阪府堺市美原区へ大阪出張所を移転 大阪府堺市美原区に大阪工場を新築完成 |
2006年 | 大阪府堺市美原区多治井に大阪新工場竣工 |
2011年 | 遠藤良行、社長に就任 |
2012年 | 資本金 2,000万円に増資 神奈川県知事許可特定建設業(機械器具設置工事業)(特ー24) 第59977号取得 |
2014年 | 神奈川県知事許可特定建設業(管工事業)(特ー26) 第59977号取得 |
2015年 | 中国に合弁会社 梯意帝(上海)環保節能有限公司を設立 |
2020年 | 井上 善也、社長に就任 |
熱技術開発株式会社の経営資源引継ぎ募集情報
公開日:2023/03/07 (2023/07/07修正)
※本記事の内容および所属名称は2023年7月現在のものです。現在の情報とは異なる場合があります。