大阪市旭
大阪市
高い技術力でお客様のご要望に対応する「課題解決型企業」
株式会社ナクロ
「損をしても良いことをとる」。70年続く会社が大切にする矜持とは
経営理念
私達は時代のニーズに対応し、創意工夫で価値を創造し、より多くの満足を得ることで社会に貢献します。
常に時代のニーズを先取りし、創造的発想を常に発揮しその価値を多くの社会に支持していただけること、それは満足を提供していることになり、誇りと言える。
私達は自主性、主体性を持ち、何事にも挑戦できる会社を目指します。
自らが、影響力あるリーダーシップを持ち、不可能を可能に挑戦し続ける集団をめざす。
私達は人間として、お互いを尊重、啓発することで生きがいと幸福を追求します。
完璧人間はありえない。しかし、完璧をめざすのと、めざさないのとでは、成長は雲泥の差である。完璧のありえない人間だからこそ、成長の喜びがある。共に学び、気づくことで人間は成長する。その人間同士のふれあいからこそ真の生きがい、幸福が生まれると確信する。
代表者メッセージ
弊社は、働く社員の幸せ、お客様のご満足、地域社会との共生と貢献を不変の信念とし、半世紀以上にわたる時代の変遷の中、さまざまな困難や喜びを繰り返しつつ歩み続けて参りました。
過去の経験や既成概念が通用しないことが多いこの時代、いまさらながら「人と人とのつながりの大切さ」を実感しております。今の技術力・今の強みを活かしつつ、新しいビジネスの形も見据えた上で、これまで以上に強い信念を持ち夢と希望あふれる企業づくりを目指していきます。
今後とも変わらぬご愛顧とご支援をよろしくお願い申し上げます。
代表取締役社長 池田 安生
私たちのこだわり
創業者は元教師。「めっき」ビジネスに魅せられて起業
弊社は1953年に「浪速クローム工業株式会社」として設立されました。「めっき」は大学の専攻で言えば応用化学科の分野で、色々な薬品を取り扱い、物質の化学変化を活用するめっき業は化学の実験の延長のような側面を持っています。創業者はもともとは教師を務めていましたが、「教えるよりめっきの商売のほうが面白い」と会社を興し、高度経済成長期の波に乗って拡大・発展したと聞いています。
現社名の「ナクロ」は「浪速」と「クローム」(クロム)の頭を取ったものです。社名を変更したのはクロームめっき以外のめっきも手掛けていたことに加え、1970年代にクローム公害が社会問題化して、物質のイメージが悪化したことも理由の1つだったようです。私は高卒の一社員として1986年に入社しましたが、その頃にはすでに今の社名でした。
ちなみにめっきについてよく聞かれる疑問、質問として「めっきは塗装ですか?」というものがありますが、塗装とは全く違う技術です。金属をイオン化した水溶液に素材を漬け、電気化学的に薄い金属皮膜を形成する技術となります。金属間結合により塗装より密着の良い膜形成ができ、装飾、防錆、耐熱、耐摩耗に強い被膜になるのが特徴で、一次加工メーカーからの取引が多くなります。
入社1年足らずで50人いた社員が数人となる大規模縮小を経験
私が弊社に入ったのは、高校にあった求人票の最初のページに大手企業と並んで「ナクロ」の求人があり、大企業の間に並んでいるのだから業績や財務内容、組織力が強く、良い会社だろうと思って応募したというのが動機で、あまり深く考えたものではありませんでした。
良い会社だろうと思って入ったものの、私が入社して1年足らずで、約50人いた社員が数人になるような大規模縮小がありました。毎月、大卒の社員が辞めていくので、「ちょっとおかしいな」とは思っていましたが、ある日、創業社長にみんなが呼ばれ、経営状況がきわめて厳しく、大幅な縮小をせざるを得ないという説明を受けました。バブル景気になるか、ならないかという時期でした。当時の弊社の動向については、私も若く、社会人としても駆け出しのころだったので明確に把握しているわけではありませんが、財務的には相当厳しかったと記憶しています。そのような中、創業社長は辞めてもらう社員の退職金を捻出するために会社の土地の3分の2を売っていました。創業社長としては一緒に会社を支えてくれた社員へせめてもの恩返しをしたかったのだと思います。
結局会社に残ったのは、役員2名、管理職2名、パートさん2名、それに私の7名。ほとんどの社員が辞める中で私が残ったのは、当時まだ現役だった創業社長と後の2代目社長の2人が私の自宅まで来て、慰留されたのが大きかったです。私の親には会社の苦しい状態をきちんと伝えた上で、「息子さんを預からせてほしい」と言ってくれたのだと思います。なぜ残す社員に私が選ばれたのかは今でもわかりません。ただ、私も「3年は勤めないと会社の良し悪しはわからない」と思っていたので、頼まれたからには残ろうという気持ちでした。
たった一人で向き合っためっき加工の日々
しかし、縮小後の業務は大変でした。他に引き受け手がないような大変な仕事ばかりでしたが、現場は私1人しかいません。さらに退職金の捻出のために土地を売った関係で、周りでは解体工事をやっています。その隣のブルーシートで囲んだ一角で1人めっき液を作り、品物を漬けて、検査、梱包して出荷するという作業をひたすら行うという状態がしばらく続きました。めっきは薬液を作って、そこに漬けていくだけなので工程自体はシンプルですが、今考えるとかなり無茶なこともしていました。薬液が入った容器に入らない大きな素材を仕方なく半分づつ漬けていたら、外出している間に重さでひっくり返っていたなどという失敗もありました。本来なら自社の設備で対応できる仕事を取ってくるべきですが、そうしたこと考える余裕すらないほど、当時の弊社は進退窮まった状況にあったといえます。
2代目社長の急逝でまさかの社長就任へ
そんな大変な時期を経て、創業社長から2代目社長へとバトンタッチし、事業を続けていたのですが、平成14年(要先方確認)に2代目社長が急逝してしまいます。後継ぎがいなかったため、一番社歴が長かった私に託されることになりました。ただそれまで社長になるとは想像もしなかったので、創業社長の奥様に一時的な代表になってもらい、その間に経営の塾に通い、いろいろと勉強しました。
社長になってからは、かつて満足な設備もない中で、仕事ばかりが増え苦労してきた経験から、設備投資は積極的に行っています。2010年頃からは、事業再構築補助金やものづくり補助金、サポイン(戦略的基盤技術高度化支援事業)などの国の助成金事業にも積極に応募、採択されています。社員には快適かつ、安心安全な環境で効率的に働いてもらいたいですし、お客様の無理難題を解決してきた弊社の歴史を考えれば、設備投資は強みを強化することにもなります。
一方で昔ながらのめっき業の職人気質も大切にしたいと思っています。かつてのめっき業は、自分で仕上がりをイメージして、分量を調整しながら、めっき液を入れるという形で、経験や知識がものをいう、良くも悪くも職人気質なところがありました。今は自動でめっき液を管理する装置を全ラインに入れているので、私の時代よりもずっと快適になった反面、めっきの原理を理解していなくても、めっき作業が可能です。そのため、トラブルが起きた時に理屈が分からずに解決できないというケースが出てくるので、人の教育にも力を入れているところです。良い面での職人気質の継承です。
「人を騙して儲けても意味がない」。損をしても良いことを取る
弊社の経営理念は社長に就任して3年目に私が作りました。社長になった経緯が、思いもよらぬ突然の形だったこともあり、当初は経営に対する疑問や悩みが多々ありました。お客様からの無理難題はどこまで対応するべきか。従業員の給料はどこまで増やせばいいのか。自分の報酬はどのくらいにすべきか。社内や取引先とのトラブルに対して、どう考えて、どう結論を出せばいいのか。本当に迷いは尽きませんでした。
そうした悩みと迷いを吹っ切ることができたのは、経営理念を作ったことがきっかけでした。根底にあるのは、物事を考えるときにまずは損得でなく、善悪から考えようというスタンスです。それにより、会社として、経営者としての行動指針のような考え方の軸ができました。「損をしても良いことを取れ」「人を騙して儲けても意味がない」そんな考え方を弊社の経営理念に込めています。
例えば、弊社の役割は突き詰めると「お客様の役に立つこと」になります。そこを忘れると「納品して終わり」という考え方にもなりますが、もし納品したものがお客様にとってすぐに利益に繋がらないものだとしたらお代は頂けません。「先義後利」の考え方で価値が出てからお金を頂くというのが弊社の姿勢です。
理念が出来上がった際は、社員全員を集めてなぜこの理念に至ったのか、そしてどんな思いを込めたのかを宣言しました。みんな賛同してくれたので、理念として正式採用し、今に至ります。作って終わりでは浸透しないので、毎朝の朝礼を行う場所に貼りだして、当番を決めて唱和するようになりました。
仕事を止めて社内の会議や研修に当てる月1回の会議デー
人財育成にも力を入れています。技術研修はもちろん、管理職・中間管理職・社員に分けて研修をしたり、持ち回りでプレゼン資料を作成して発表を行ったり、外部研修も取り入れながら学びを深める取り組みを行っています。
また人づくりを目的として月1回の会議デーも作りました。月に1回、対外的な仕事を止めて、社内のことだけに目を向けようという取り組みで、各部署で会議をしたり、研修を行うための時間として活用しています。会議デーを設ける前は開始時間を工夫したりもしましたが、営業マンが参加できないケースも多く、どうやったら全員参加を実現できるのか考えていました。そこで思い至ったのが、対外的には休みとなる土曜日を月1日だけ使って、会議や研修の日にするというアイデアです。社員のスキルアップや、社内のコミュニケーションを密にすることは、お客様にいいサービスを提供することにも繋がっていくので、弊社にとって大切な時間となっています。
試作品の提案が評価されて量産化も受注
弊社の強みの1つとして、売上の約3割が大手からの直接受注である点が挙げられます。これは、大手の厳しい監査基準をクリアできることを意味します。2代目社長の頃に取得したISO9001認証(品質マネジメントシステム規格)、私が社長を引き継いでから取得したISO14001認証(環境マネジメントシステム規格)と合わせるように設備の拡充を行ってきました。
また、大手企業の開発商品に対して特殊なめっきを使った試作品を提案できるのも強みの1つです。めっき業界では、お客様が要望する仕様に耐えうるめっきを作れるかが腕の見せ所ですが、色々試行錯誤した末に作り上げた試作品で製品の寿命が大きく伸ばしたという事例がありました。当初は試作品の制作だけで、量産化は別の会社に依頼する予定したが、結局、弊社が提案しためっき処理を行える会社がなく、量産化におけるめっき加工も請け負ったことがあります。この事例については、量産化に対応した設備がなかったので、新たに設備を作りましたが、その甲斐あってか、近年で一番の売上になりました。社員が経営理念に基づいて真摯に仕事をした結果が実を結んだ事例となりました。
その他には、生産材(生産装置部品や金型など)と言われる中でも、金型や、その部品がないと機械が動かないなど、ニッチなジャンルの加工も得意です。一般的に大量生産が求められる「消費材」(製品)のメッキ加工は、海外の方が優位性があるので、弊社はあくまでも「課題解決型企業」という部分が強みだと思います。中には弊社だけのオンリーワン製品もあります。
環境への取り組み。環境への配慮はもはや当たり前
弊社は環境ISOと呼ばれるISO14000を約20年前から取得しています。取得した当初は紙を削減したり、電気、ガスを削減したり、特別なことをするという意識でしたが、今ではもう日々の業務の中での環境への配慮は、当たり前のこととして取り組んでいます。
また、弊社の工場が住宅地にあるので、排水の法的な基準値をクリアすることはもちろんのこと、騒音対策にも力をいれています。クロム=公害と結びついて考えられる向きもあるので、社員には周辺住民の皆さんの気持ちになり、しっかりと対応してもらっています。
ニッチに強い課題解決力を武器に図面から携われる体制を目指す
弊社は今、ニッチな生産材の商品で売上は確保出来ているものの、「めっき屋」からもう1歩進んで、図面から金型や部品を作る「一次加工」の領域に踏み出す必要性を感じています。そもそもめっき業界は、めっき加工をする元の素材がないと始まらない「二次加工」のビジネスだからです。一次加工を社内で担えるようになれば、もっと多くのお客様からより多くの満足を得られるのではないかと考えています。海外の仕事を受注する場合でも、「一次加工」ができれば納期や輸送費などを圧縮することができ、強みにすることができるでしょう。ですので、事業承継を行う場合は、一次加工を専門とする企業様とご一緒することがお互いの強みを伸ばしていけると思っています。
時代の流れは本当に早いですし、この先めっき業がどうなっていくかはわかりません。そうしたことを踏まえて、今、弊社で全国営業している社員と私の2人で別会社を設立してみました。具体的に何をしていくかはこれからになりますが、めっきでない、新たなビジネスの糸口を掴みたいと思っています。
入社直後に起きた大規模事業縮小にはじまり、バブル崩壊、突然の社長就任、リーマンショックによる仕事の激減、さらにはコロナ禍など、幾多の困難を乗り越えて今があります。来年には創業70周年を迎えるので、一次加工できる会社のM&Aを実現させたり、営業社員と新たに設立した別会社を展開させていくなど、第二創業期的なアイデアや勢いを持っている人と新しいビジネスをしていきたいと思っています。
創業者は元教師。「めっき」ビジネスに魅せられて起業
弊社は1953年に「浪速クローム工業株式会社」として設立されました。「めっき」は大学の専攻で言えば応用化学科の分野で、色々な薬品を取り扱い、物質の化学変化を活用するめっき業は化学の実験の延長のような側面を持っています。創業者はもともとは教師を務めていましたが、「教えるよりめっきの商売のほうが面白い」と会社を興し、高度経済成長期の波に乗って拡大・発展したと聞いています。
現社名の「ナクロ」は「浪速」と「クローム」(クロム)の頭を取ったものです。社名を変更したのはクロームめっき以外のめっきも手掛けていたことに加え、1970年代にクローム公害が社会問題化して、物質のイメージが悪化したことも理由の1つだったようです。私は高卒の一社員として1986年に入社しましたが、その頃にはすでに今の社名でした。
ちなみにめっきについてよく聞かれる疑問、質問として「めっきは塗装ですか?」というものがありますが、塗装とは全く違う技術です。金属をイオン化した水溶液に素材を漬け、電気化学的に薄い金属皮膜を形成する技術となります。金属間結合により塗装より密着の良い膜形成ができ、装飾、防錆、耐熱、耐摩耗に強い被膜になるのが特徴で、一次加工メーカーからの取引が多くなります。
入社1年足らずで50人いた社員が数人となる大規模縮小を経験
私が弊社に入ったのは、高校にあった求人票の最初のページに大手企業と並んで「ナクロ」の求人があり、大企業の間に並んでいるのだから業績や財務内容、組織力が強く、良い会社だろうと思って応募したというのが動機で、あまり深く考えたものではありませんでした。
良い会社だろうと思って入ったものの、私が入社して1年足らずで、約50人いた社員が数人になるような大規模縮小がありました。毎月、大卒の社員が辞めていくので、「ちょっとおかしいな」とは思っていましたが、ある日、創業社長にみんなが呼ばれ、経営状況がきわめて厳しく、大幅な縮小をせざるを得ないという説明を受けました。バブル景気になるか、ならないかという時期でした。当時の弊社の動向については、私も若く、社会人としても駆け出しのころだったので明確に把握しているわけではありませんが、財務的には相当厳しかったと記憶しています。そのような中、創業社長は辞めてもらう社員の退職金を捻出するために会社の土地の3分の2を売っていました。創業社長としては一緒に会社を支えてくれた社員へせめてもの恩返しをしたかったのだと思います。
結局会社に残ったのは、役員2名、管理職2名、パートさん2名、それに私の7名。ほとんどの社員が辞める中で私が残ったのは、当時まだ現役だった創業社長と後の2代目社長の2人が私の自宅まで来て、慰留されたのが大きかったです。私の親には会社の苦しい状態をきちんと伝えた上で、「息子さんを預からせてほしい」と言ってくれたのだと思います。なぜ残す社員に私が選ばれたのかは今でもわかりません。ただ、私も「3年は勤めないと会社の良し悪しはわからない」と思っていたので、頼まれたからには残ろうという気持ちでした。
たった一人で向き合っためっき加工の日々
しかし、縮小後の業務は大変でした。他に引き受け手がないような大変な仕事ばかりでしたが、現場は私1人しかいません。さらに退職金の捻出のために土地を売った関係で、周りでは解体工事をやっています。その隣のブルーシートで囲んだ一角で1人めっき液を作り、品物を漬けて、検査、梱包して出荷するという作業をひたすら行うという状態がしばらく続きました。めっきは薬液を作って、そこに漬けていくだけなので工程自体はシンプルですが、今考えるとかなり無茶なこともしていました。薬液が入った容器に入らない大きな素材を仕方なく半分づつ漬けていたら、外出している間に重さでひっくり返っていたなどという失敗もありました。本来なら自社の設備で対応できる仕事を取ってくるべきですが、そうしたこと考える余裕すらないほど、当時の弊社は進退窮まった状況にあったといえます。
2代目社長の急逝でまさかの社長就任へ
そんな大変な時期を経て、創業社長から2代目社長へとバトンタッチし、事業を続けていたのですが、平成14年(要先方確認)に2代目社長が急逝してしまいます。後継ぎがいなかったため、一番社歴が長かった私に託されることになりました。ただそれまで社長になるとは想像もしなかったので、創業社長の奥様に一時的な代表になってもらい、その間に経営の塾に通い、いろいろと勉強しました。
社長になってからは、かつて満足な設備もない中で、仕事ばかりが増え苦労してきた経験から、設備投資は積極的に行っています。2010年頃からは、事業再構築補助金やものづくり補助金、サポイン(戦略的基盤技術高度化支援事業)などの国の助成金事業にも積極に応募、採択されています。社員には快適かつ、安心安全な環境で効率的に働いてもらいたいですし、お客様の無理難題を解決してきた弊社の歴史を考えれば、設備投資は強みを強化することにもなります。
一方で昔ながらのめっき業の職人気質も大切にしたいと思っています。かつてのめっき業は、自分で仕上がりをイメージして、分量を調整しながら、めっき液を入れるという形で、経験や知識がものをいう、良くも悪くも職人気質なところがありました。今は自動でめっき液を管理する装置を全ラインに入れているので、私の時代よりもずっと快適になった反面、めっきの原理を理解していなくても、めっき作業が可能です。そのため、トラブルが起きた時に理屈が分からずに解決できないというケースが出てくるので、人の教育にも力を入れているところです。良い面での職人気質の継承です。
「人を騙して儲けても意味がない」。損をしても良いことを取る
弊社の経営理念は社長に就任して3年目に私が作りました。社長になった経緯が、思いもよらぬ突然の形だったこともあり、当初は経営に対する疑問や悩みが多々ありました。お客様からの無理難題はどこまで対応するべきか。従業員の給料はどこまで増やせばいいのか。自分の報酬はどのくらいにすべきか。社内や取引先とのトラブルに対して、どう考えて、どう結論を出せばいいのか。本当に迷いは尽きませんでした。
そうした悩みと迷いを吹っ切ることができたのは、経営理念を作ったことがきっかけでした。根底にあるのは、物事を考えるときにまずは損得でなく、善悪から考えようというスタンスです。それにより、会社として、経営者としての行動指針のような考え方の軸ができました。「損をしても良いことを取れ」「人を騙して儲けても意味がない」そんな考え方を弊社の経営理念に込めています。
例えば、弊社の役割は突き詰めると「お客様の役に立つこと」になります。そこを忘れると「納品して終わり」という考え方にもなりますが、もし納品したものがお客様にとってすぐに利益に繋がらないものだとしたらお代は頂けません。「先義後利」の考え方で価値が出てからお金を頂くというのが弊社の姿勢です。
理念が出来上がった際は、社員全員を集めてなぜこの理念に至ったのか、そしてどんな思いを込めたのかを宣言しました。みんな賛同してくれたので、理念として正式採用し、今に至ります。作って終わりでは浸透しないので、毎朝の朝礼を行う場所に貼りだして、当番を決めて唱和するようになりました。
仕事を止めて社内の会議や研修に当てる月1回の会議デー
人財育成にも力を入れています。技術研修はもちろん、管理職・中間管理職・社員に分けて研修をしたり、持ち回りでプレゼン資料を作成して発表を行ったり、外部研修も取り入れながら学びを深める取り組みを行っています。
また人づくりを目的として月1回の会議デーも作りました。月に1回、対外的な仕事を止めて、社内のことだけに目を向けようという取り組みで、各部署で会議をしたり、研修を行うための時間として活用しています。会議デーを設ける前は開始時間を工夫したりもしましたが、営業マンが参加できないケースも多く、どうやったら全員参加を実現できるのか考えていました。そこで思い至ったのが、対外的には休みとなる土曜日を月1日だけ使って、会議や研修の日にするというアイデアです。社員のスキルアップや、社内のコミュニケーションを密にすることは、お客様にいいサービスを提供することにも繋がっていくので、弊社にとって大切な時間となっています。
試作品の提案が評価されて量産化も受注
弊社の強みの1つとして、売上の約3割が大手からの直接受注である点が挙げられます。これは、大手の厳しい監査基準をクリアできることを意味します。2代目社長の頃に取得したISO9001認証(品質マネジメントシステム規格)、私が社長を引き継いでから取得したISO14001認証(環境マネジメントシステム規格)と合わせるように設備の拡充を行ってきました。
また、大手企業の開発商品に対して特殊なめっきを使った試作品を提案できるのも強みの1つです。めっき業界では、お客様が要望する仕様に耐えうるめっきを作れるかが腕の見せ所ですが、色々試行錯誤した末に作り上げた試作品で製品の寿命が大きく伸ばしたという事例がありました。当初は試作品の制作だけで、量産化は別の会社に依頼する予定したが、結局、弊社が提案しためっき処理を行える会社がなく、量産化におけるめっき加工も請け負ったことがあります。この事例については、量産化に対応した設備がなかったので、新たに設備を作りましたが、その甲斐あってか、近年で一番の売上になりました。社員が経営理念に基づいて真摯に仕事をした結果が実を結んだ事例となりました。
その他には、生産材(生産装置部品や金型など)と言われる中でも、金型や、その部品がないと機械が動かないなど、ニッチなジャンルの加工も得意です。一般的に大量生産が求められる「消費材」(製品)のメッキ加工は、海外の方が優位性があるので、弊社はあくまでも「課題解決型企業」という部分が強みだと思います。中には弊社だけのオンリーワン製品もあります。
環境への取り組み。環境への配慮はもはや当たり前
弊社は環境ISOと呼ばれるISO14000を約20年前から取得しています。取得した当初は紙を削減したり、電気、ガスを削減したり、特別なことをするという意識でしたが、今ではもう日々の業務の中での環境への配慮は、当たり前のこととして取り組んでいます。
また、弊社の工場が住宅地にあるので、排水の法的な基準値をクリアすることはもちろんのこと、騒音対策にも力をいれています。クロム=公害と結びついて考えられる向きもあるので、社員には周辺住民の皆さんの気持ちになり、しっかりと対応してもらっています。
ニッチに強い課題解決力を武器に図面から携われる体制を目指す
弊社は今、ニッチな生産材の商品で売上は確保出来ているものの、「めっき屋」からもう1歩進んで、図面から金型や部品を作る「一次加工」の領域に踏み出す必要性を感じています。そもそもめっき業界は、めっき加工をする元の素材がないと始まらない「二次加工」のビジネスだからです。一次加工を社内で担えるようになれば、もっと多くのお客様からより多くの満足を得られるのではないかと考えています。海外の仕事を受注する場合でも、「一次加工」ができれば納期や輸送費などを圧縮することができ、強みにすることができるでしょう。ですので、事業承継を行う場合は、一次加工を専門とする企業様とご一緒することがお互いの強みを伸ばしていけると思っています。
時代の流れは本当に早いですし、この先めっき業がどうなっていくかはわかりません。そうしたことを踏まえて、今、弊社で全国営業している社員と私の2人で別会社を設立してみました。具体的に何をしていくかはこれからになりますが、めっきでない、新たなビジネスの糸口を掴みたいと思っています。
入社直後に起きた大規模事業縮小にはじまり、バブル崩壊、突然の社長就任、リーマンショックによる仕事の激減、さらにはコロナ禍など、幾多の困難を乗り越えて今があります。来年には創業70周年を迎えるので、一次加工できる会社のM&Aを実現させたり、営業社員と新たに設立した別会社を展開させていくなど、第二創業期的なアイデアや勢いを持っている人と新しいビジネスをしていきたいと思っています。
ツグナラコンサルタントによる紹介
大阪で長い歴史と豊富な経験を持つ、高品質なめっき加工を提供する企業様です。環境への配慮を重視しISO14001認証を取得しており、社内での一次加工への取り組みや新たなビジネス展開にも意欲を示されています。また、人財育成や経営理念の浸透を通じて持続的な成長を追求されています。
会社概要
社名 | 株式会社ナクロ |
創立年 | 1953年 |
代表者名 | 代表取締役 池田 安生 |
資本金 | 1000万円 |
本社住所 |
535-0031 大阪府大阪市旭区高殿5-4-26 06-6951-7173 |
事業内容 | 電気めっき業 ・無電解めっき ・電解めっき ・各種表面処理 |
URL |
http://www.nacro.co.jp/
|
会社沿革
1953年年 | 浪速クローム工業株式会社を設立 |
2000年年 | ISO9001認証取得 |
2004年年 | ISO14001認証取得 |
2013年年 | 平成24年度ものづくり中小企業・小規模事業者試作開発等支援補助金 |
2015年年 | 平成26年度補正ものづくり・商業・サービス革新補助金採択 |
2016年年 | 平成27年度補正ものづくり・商業・サービス新展開支援補助金採択 |
2017年年 | 平成28年度補正革新的ものづくり・商業・サービス開発支援補助金採択 |
2018年年 | 平成29年度補正ものづくり・商業・サービス経営力向上支援補助金採択 |
株式会社ナクロの経営資源引継ぎ募集情報
公開日:2022/12/07 (2023/07/07修正)
※本記事の内容および所属名称は2023年7月現在のものです。現在の情報とは異なる場合があります。