大阪市西
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墨田区
企業の「顔」を作り、伴走する。デザインとプロデュースをする会社
有限会社セメントプロデュースデザイン
縮小する日本の地場産業を救う、「技術」をつなぐプロデュースとは?
経営理念
「企画から流通まですべてがデザイン」
わたしたちは、日本の中小企業の再生と向上を促進する「デザインプロデュース会社」を目指します。
代表者メッセージ
弊社は大阪・東京・京都を拠点に幅広い分野でクリエイティブワークをこなす、グラフィックデザイン事務所です。主に、商業施設の広告プロモーションや企業のWebデザイン、パッケージやプロダクトのデザイン等を手掛けています。それに加え、昨今では日本各地の地場産業の発展と継続を目標に産地とデザイン、ユーザーをつなぐプロデュース業務も推進しています。
弊社が初めての自社製品を開発した際に、製造現場に足を運び、モノづくりの困難さ、縮小する日本の地場産業の実態を目の当たりにしたことから、製造工程や販路の確保など無理なく実現できる永続的なしくみを創造していく必要があると考えたからです。
また、日本各地の産地を回っていると、優れた技術や産業、そして経営資源があると感じます。
将来的には、産地の技術を最大限に活かし、時には産地を掛け合わせて、日本国内の技術で完結していく方法をもっと広げていきたいと考えています。
弊社は今、化学変化を起こし、新たな形へ進化しようとしているところです。デザイン業界も時代が変わってきています。制作を請け負うだけのデザイン会社からアップデートする必要があります。デザインという枠に収まらず、プロデュースという仕事からも、もう1段上がった先にあるものが何なのかを、次の世代の人たちとつくっていきたいと思っています。
代表取締役 金谷 勉
私たちのこだわり
「真剣にプロデュースとデザインをする」会社設立
私は京都精華大学という美術系の大学の人文学部を卒業後、企画制作会社に入社し、商業施設のビジュアルやデザインの仕事をしていました。その後、2社目として入ったのが広告制作会社です。そこで先輩方が広告の下請けの仕事だけでなく、「自社で発信していこう」と商品開発していたので、私はそのサポートをしていました。ただ、社内のデザイナー主体で進めていたこともあり、それぞれのやり方で、自由に進めていたため、気付けば在庫の山になり、会社からストップがかかる事態に陥り、結果として会社は従来の請負の仕事だけに専念することになりました。「このままでは終われない」という思いから会社を辞めて、立ち上げたのが弊社です。1999年、私が28歳の時でした。社名に使っている「セメント」は「真剣勝負」という、プロレス業界の隠語に由来しています。その名の通り「真剣にプロデュースとデザインをする」という決意を込めてこの社名にしました。
前職の仕事を持って独立したわけではないので、設立当初は1件も仕事がない状態からスタートしました。その後、前職でお世話になった方々を中心に少しずつ縁が縁をつなぎ、お仕事をいただけるようになりました。その中でも自社商品を創ったことは仕事が増えていく大きな要因になりました。自社商品が弊社の「顔」となり、それがとっかかりとなって、話を聞いてもらえることが増えたからです。デザインの仕事だけをしていたならこの展開はなかったと思います。
電話帳で見つけ出した製造業の方々との出会い
いざ、ものづくりをはじめてみると、様々な困難にぶつかりました。最初に作ったのはステンレス製のクリップ(商品名「HAPPY FACE CLIP」)でしたが、はじめてのものづくりは、どこに、どうやって頼めばいいのかも分からない状態でスタートしたので、工場探しの段階から一苦労でした。
創業した1999年当時は今のように会社のWebサイトがある時代ではなかったので、まずは電話帳で工場を探すほか、ありませんでした。しかし電話帳には、Webサイトのように詳細な情報は書かれていないので、その会社の社長がどんな人で、どんなものづくりをしているのかを1件1件説明してもらいながら、聞き出していく必要がありました。
ただ、こちらもよくわからないまま依頼していたので、最初のうちは思い通りのものができあがらずに、何度も失敗が続き、おまけにそれがなぜ失敗したのかも分からないという苦しい状態が続きました。そうした状況が続く中で「そのやり方だと、その値段ではできない」とハッキリと伝えてくれる工場が現れたことで、ようやく話が進展し、いろいろと加速していきます。
自社で打開策が見つけにくい地場の製造業を救いたい
自社でものづくりをしていくなかで感じ始めるのが、地場の製造業の方々の苦境です。例えば、陶磁器の型製造をメインにする会社があるのですが、優れた技術を持っていているのに、事業の中心は下請けでした。「依頼主によく思われないのでは?」という思いがあったようで、自らものづくりをすることには消極的でした。ただ、業界の流れの中で生産拠点が海外に移り、徐々に仕事が回ってこなくなり、いよいよ自力で何かをしていく必要がでてきて、弊社が相談を受けることになりました。
そこで最初に出てきた案が、プレーンなデザインのお皿です。ただシンプルなお皿では価格勝負になっていくことは明らかですし、その会社の工場に出向いたところ、細かな技術でものづくりをしていることが分かったので、その技術の高さを活かし、振り切った商品を作ることにしました。その結果としてできあがったのが、ニットの編み込み柄が入った陶磁器の湯飲み茶わんです。陶磁器では表現するのが難しいと言われていた異素材の質感を原型職人の技術で見事に表現しているのがポイントです。
この例に限らず、OEMを請け負っている会社であったり、高い技術力を持っているのにも関わらず業界構造の中で技術や価格面での評価が低い職人さんなど、自社商品を作りたくても作れない会社が多いことに気付きます。それならば、弊社がものづくりを一緒にしていくことで、少しでも助けになれればということで、プロデュース的な事業も担うようになりました。
事業ドメインは「モノにかかわるデザインすべて」
私たちが理想としているのは、困った時に「相談したい」と思われる会社であり、どういう相談に対しても応えられるような会社です。
起業してから最初の10年間は、広告関連のグラフィックやWebデザイン関連の仕事が主体でしたが、今は各地で行っている商品開発の案件や、中小企業経営者向けのゼミやセミナーのようなものが増えています。そして各地の製造業の方々と一緒に商品の企画・開発・製造・販売まで行っていく伴走型のサポートに力を入れています。もちろん、今でも商業施設や企業から請け負っているパッケージやプロモーションの仕事も頂いているので「モノにかかわるデザインすべて」というのが、現在の弊社の事業ドメインになります。
「あした会議」と社員全員で取り組む年賀状作り
今、弊社には「プロデュース部」と「デザイン部」の2つの部署があります。会社も大きくなり、仕事の内容も多岐に渡ってきているので年に3回「あした会議」という、社員全員で“自分たちの明日を考える”会議を行っています。社員全員と、弊社のコンサルをしてくれている方に来ていただいて、数字の共有や競合リサーチを全員で行ったり、会議というよりも「寄合」のような話し合いを終日しています。
そして年に1度、この「あした会議」の前後に社員全員で集まって、会社の年賀状作りをしています。これは「面白いことをしたい」というのもありますが、「年に1回、社員全員でデザインする」というのが最大の目的です。その年に起きたことをオマージュして、顔を塗ったり全身タイツを着て、大阪の名所にいってみんなで撮影します。コンセプトは「真剣にふざけた年賀状」です。根底には学園祭ノリの遊び心を持ちつつも、プロとして全員で照れることなくやりきるという姿勢を大切にしています。こうした「自分たちで考えて何かをやる」という部分は、弊社の社風であり、大切にしていくべき文化だと思っています。
20年の中で変わってきた会社の体質変化
設立から20年目を迎え自分たちの体質が変わってきつつあります。最初はデザイン集団だったのが、制作会社になり、プロデュース会社になり、また別の何かに変わりつつあるイメージです。
企業として、考え方や文化を次世代に承継していくために、近年では社員に「任せること」を増やしています。以前は私一人で回していたものを数字も何もかもすべて手放して、オープンにすることにしました。役員はもちろんですが、売り上げの全体像も全部みんなで共有しています。誰でもいつでも見られるようにして、現場の人たちに「権限を委譲」することを増やしました。その結果、現場の社員が会社に対して能動的に考えてくれるようになり、成長を感じています。
事業承継に繋がっていく会社の「顔」づくり
私たちがお手伝いできるのは「何をしているのか」という部分が見えにくい会社に対して、デザインと商品により見える化することで、会社の「顔」を作っていくことになります。お手伝いをした会社が自分たちで立ち、進められるようになるまでは、しっかりと伴走していきます。同時に精神的なところの支援もしていきたいと思っています。
中小企業で後継者問題を抱えている経営者の方々に対しては、即効性がある方法ではないものの、弊社で後継者候補をインターンとしてお預かりして育成したり、「企業の顔になる商品(もの)」づくりをサポートするといった支援を行っています。
後継者候補の育成については、経営者向けのゼミに参加してもらったり、実際に弊社が行っている「企業の顔になる商品(もの)」づくりに係わってもらい、そこで奮闘する経営者の皆さんを間近で見てもらうことで、経営者として必要になる覚悟や、言葉の力を実践的に学んでもらっています。
「企業の顔になる商品(もの)」を作ることは、社長や社員が「どんな仕事しているのか?」と家族や友達、恋人などから聞かれた時に「誇りを持って語れること」に繋がっていきます。実際、一緒に開発を行い、会社の顔になる商品ができると、まず社長の目が変わります。その商品がいろいろな場所で販売され、表に出てくるようになると今度は社員の目も変わってきます。さらにより多くの人に知ってもらう過程で、周りの見る目も変わっていきます。そして社長も社員も誇りを持って語れるような会社なら、外から見ても魅力的な企業になっていきます。実際、「働きたい」という人をこの2年間で4人採用したという企業もありました。そうしたサポートを行うことが弊社のしている事業承継問題へのアプローチになります。直接的なM&Aという手法を取ることは積極的には考えていませんが、製造業の方々や中小企業経営者をサポートしたいという気持ちは人一倍強く持っています。
なぜなら製造業の方々が盛り上がらないと弊社も盛り上がらないからです。製造業があってこそデザイン業が成り立ち、デザイン業があるから製造業がより発展していく、相互に高め合う関係だと思っています。両者がかみ合っていくことで、双方の業界が活性化していくと考えています。
「真剣にプロデュースとデザインをする」会社設立
私は京都精華大学という美術系の大学の人文学部を卒業後、企画制作会社に入社し、商業施設のビジュアルやデザインの仕事をしていました。その後、2社目として入ったのが広告制作会社です。そこで先輩方が広告の下請けの仕事だけでなく、「自社で発信していこう」と商品開発していたので、私はそのサポートをしていました。ただ、社内のデザイナー主体で進めていたこともあり、それぞれのやり方で、自由に進めていたため、気付けば在庫の山になり、会社からストップがかかる事態に陥り、結果として会社は従来の請負の仕事だけに専念することになりました。「このままでは終われない」という思いから会社を辞めて、立ち上げたのが弊社です。1999年、私が28歳の時でした。社名に使っている「セメント」は「真剣勝負」という、プロレス業界の隠語に由来しています。その名の通り「真剣にプロデュースとデザインをする」という決意を込めてこの社名にしました。
前職の仕事を持って独立したわけではないので、設立当初は1件も仕事がない状態からスタートしました。その後、前職でお世話になった方々を中心に少しずつ縁が縁をつなぎ、お仕事をいただけるようになりました。その中でも自社商品を創ったことは仕事が増えていく大きな要因になりました。自社商品が弊社の「顔」となり、それがとっかかりとなって、話を聞いてもらえることが増えたからです。デザインの仕事だけをしていたならこの展開はなかったと思います。
電話帳で見つけ出した製造業の方々との出会い
いざ、ものづくりをはじめてみると、様々な困難にぶつかりました。最初に作ったのはステンレス製のクリップ(商品名「HAPPY FACE CLIP」)でしたが、はじめてのものづくりは、どこに、どうやって頼めばいいのかも分からない状態でスタートしたので、工場探しの段階から一苦労でした。
創業した1999年当時は今のように会社のWebサイトがある時代ではなかったので、まずは電話帳で工場を探すほか、ありませんでした。しかし電話帳には、Webサイトのように詳細な情報は書かれていないので、その会社の社長がどんな人で、どんなものづくりをしているのかを1件1件説明してもらいながら、聞き出していく必要がありました。
ただ、こちらもよくわからないまま依頼していたので、最初のうちは思い通りのものができあがらずに、何度も失敗が続き、おまけにそれがなぜ失敗したのかも分からないという苦しい状態が続きました。そうした状況が続く中で「そのやり方だと、その値段ではできない」とハッキリと伝えてくれる工場が現れたことで、ようやく話が進展し、いろいろと加速していきます。
自社で打開策が見つけにくい地場の製造業を救いたい
自社でものづくりをしていくなかで感じ始めるのが、地場の製造業の方々の苦境です。例えば、陶磁器の型製造をメインにする会社があるのですが、優れた技術を持っていているのに、事業の中心は下請けでした。「依頼主によく思われないのでは?」という思いがあったようで、自らものづくりをすることには消極的でした。ただ、業界の流れの中で生産拠点が海外に移り、徐々に仕事が回ってこなくなり、いよいよ自力で何かをしていく必要がでてきて、弊社が相談を受けることになりました。
そこで最初に出てきた案が、プレーンなデザインのお皿です。ただシンプルなお皿では価格勝負になっていくことは明らかですし、その会社の工場に出向いたところ、細かな技術でものづくりをしていることが分かったので、その技術の高さを活かし、振り切った商品を作ることにしました。その結果としてできあがったのが、ニットの編み込み柄が入った陶磁器の湯飲み茶わんです。陶磁器では表現するのが難しいと言われていた異素材の質感を原型職人の技術で見事に表現しているのがポイントです。
この例に限らず、OEMを請け負っている会社であったり、高い技術力を持っているのにも関わらず業界構造の中で技術や価格面での評価が低い職人さんなど、自社商品を作りたくても作れない会社が多いことに気付きます。それならば、弊社がものづくりを一緒にしていくことで、少しでも助けになれればということで、プロデュース的な事業も担うようになりました。
事業ドメインは「モノにかかわるデザインすべて」
私たちが理想としているのは、困った時に「相談したい」と思われる会社であり、どういう相談に対しても応えられるような会社です。
起業してから最初の10年間は、広告関連のグラフィックやWebデザイン関連の仕事が主体でしたが、今は各地で行っている商品開発の案件や、中小企業経営者向けのゼミやセミナーのようなものが増えています。そして各地の製造業の方々と一緒に商品の企画・開発・製造・販売まで行っていく伴走型のサポートに力を入れています。もちろん、今でも商業施設や企業から請け負っているパッケージやプロモーションの仕事も頂いているので「モノにかかわるデザインすべて」というのが、現在の弊社の事業ドメインになります。
「あした会議」と社員全員で取り組む年賀状作り
今、弊社には「プロデュース部」と「デザイン部」の2つの部署があります。会社も大きくなり、仕事の内容も多岐に渡ってきているので年に3回「あした会議」という、社員全員で“自分たちの明日を考える”会議を行っています。社員全員と、弊社のコンサルをしてくれている方に来ていただいて、数字の共有や競合リサーチを全員で行ったり、会議というよりも「寄合」のような話し合いを終日しています。
そして年に1度、この「あした会議」の前後に社員全員で集まって、会社の年賀状作りをしています。これは「面白いことをしたい」というのもありますが、「年に1回、社員全員でデザインする」というのが最大の目的です。その年に起きたことをオマージュして、顔を塗ったり全身タイツを着て、大阪の名所にいってみんなで撮影します。コンセプトは「真剣にふざけた年賀状」です。根底には学園祭ノリの遊び心を持ちつつも、プロとして全員で照れることなくやりきるという姿勢を大切にしています。こうした「自分たちで考えて何かをやる」という部分は、弊社の社風であり、大切にしていくべき文化だと思っています。
20年の中で変わってきた会社の体質変化
設立から20年目を迎え自分たちの体質が変わってきつつあります。最初はデザイン集団だったのが、制作会社になり、プロデュース会社になり、また別の何かに変わりつつあるイメージです。
企業として、考え方や文化を次世代に承継していくために、近年では社員に「任せること」を増やしています。以前は私一人で回していたものを数字も何もかもすべて手放して、オープンにすることにしました。役員はもちろんですが、売り上げの全体像も全部みんなで共有しています。誰でもいつでも見られるようにして、現場の人たちに「権限を委譲」することを増やしました。その結果、現場の社員が会社に対して能動的に考えてくれるようになり、成長を感じています。
事業承継に繋がっていく会社の「顔」づくり
私たちがお手伝いできるのは「何をしているのか」という部分が見えにくい会社に対して、デザインと商品により見える化することで、会社の「顔」を作っていくことになります。お手伝いをした会社が自分たちで立ち、進められるようになるまでは、しっかりと伴走していきます。同時に精神的なところの支援もしていきたいと思っています。
中小企業で後継者問題を抱えている経営者の方々に対しては、即効性がある方法ではないものの、弊社で後継者候補をインターンとしてお預かりして育成したり、「企業の顔になる商品(もの)」づくりをサポートするといった支援を行っています。
後継者候補の育成については、経営者向けのゼミに参加してもらったり、実際に弊社が行っている「企業の顔になる商品(もの)」づくりに係わってもらい、そこで奮闘する経営者の皆さんを間近で見てもらうことで、経営者として必要になる覚悟や、言葉の力を実践的に学んでもらっています。
「企業の顔になる商品(もの)」を作ることは、社長や社員が「どんな仕事しているのか?」と家族や友達、恋人などから聞かれた時に「誇りを持って語れること」に繋がっていきます。実際、一緒に開発を行い、会社の顔になる商品ができると、まず社長の目が変わります。その商品がいろいろな場所で販売され、表に出てくるようになると今度は社員の目も変わってきます。さらにより多くの人に知ってもらう過程で、周りの見る目も変わっていきます。そして社長も社員も誇りを持って語れるような会社なら、外から見ても魅力的な企業になっていきます。実際、「働きたい」という人をこの2年間で4人採用したという企業もありました。そうしたサポートを行うことが弊社のしている事業承継問題へのアプローチになります。直接的なM&Aという手法を取ることは積極的には考えていませんが、製造業の方々や中小企業経営者をサポートしたいという気持ちは人一倍強く持っています。
なぜなら製造業の方々が盛り上がらないと弊社も盛り上がらないからです。製造業があってこそデザイン業が成り立ち、デザイン業があるから製造業がより発展していく、相互に高め合う関係だと思っています。両者がかみ合っていくことで、双方の業界が活性化していくと考えています。
会社概要
社名 | 有限会社セメントプロデュースデザイン |
創立年 | 1999年 |
代表者名 | 代表取締役 金谷 勉 |
資本金 | 1000万円 |
事業エリア |
東京支社
東京都墨田区業平4-7-1 1F-2F |
京都支社 | |
本社住所 |
550-0003 大阪府大阪市西区京町堀1-15-23 フジタビル3F |
事業内容 | ・グラフィックデザイン制作 ・WEBデザイン制作 ・プロダクトデザイン制作 ・空間デザイン制作 ・企業コンサルティング業務 ・セミナー・講演会 ・商品開発企画 ・オリジナルプロダクト製品・OEM企画販売 ・自社商品販売店舗経営 |
URL |
https://www.cementdesign.com/
|
会社沿革
1999年 | CEMENT PRODUCE DESIGN 設立 |
2010年 | 東京オフィス開設 |
2013年 | 「がんばる中小企業・小規模事業者300社」に選出 Sabae mimikakiが「GOOD DESIGN 2013」受賞 |
2014年 | コトモノミチ@東京 スタート |
2016年 | Sabae mimikakiが「おもてなしセレクション2016」受賞 |
2017年 | 初めての著書「小さな企業が生き残る」(日経BP)上梓 |
2018年 | 第3回「これからの1000年を紡ぐ企業認定」として京都市に認定 墨田区の「新ものづくり創出拠点事業」に採択、 東京事務所を港区から墨田区へ移設「コトモノミチ at TOKYO」がオープン 鯖江眼鏡 グッドデザイン賞受賞 |
2020年 | ayuri styling pole グッドデザインベスト100受賞 「コトモノミチAT PARK SIDE STORE」が大阪市西区京町堀にオープン |
2021年 | セメントプロデュースデザイン京都事務所を京都信用金庫QUSTION内に移設 |
有限会社セメントプロデュースデザインの経営資源引継ぎ募集情報
公開日:2022/12/22 (2023/01/25修正)
※本記事の内容および所属名称は2023年1月現在のものです。現在の情報とは異なる場合があります。