熊谷
熊谷市
業界では異例の若手人財活用でブランド力向上と事業拡大をめざす
国井興業株式会社
鉄筋業界に若返りと風通しの良さを持ち込んだ2代目社長が見据える先
経営理念
「常に夢を持ち続け、発展し続ける企業になる」
代表者メッセージ
私たち国井興業は、創業50余年という長い歴史と伝統を守りながらこれからの世代を担うスタッフたちと「高い技術力」「品質管理の向上」「システム化の推進」を目指し、新時代の鉄筋業界を魅力あるものにしていきたいと思っております。
国内需要の減少、職方の高齢化など建設業界を取り巻く環境は厳しさを増しております。そうした状況下であっても、責任をもって一つの建物を「安全かつ高品質に築き上げる」を第一にして、鉄筋業界の発展のために今後も精進し続ける所存です。
代表取締役社長 井出 進
私たちのこだわり
ゼネコン勤務を経て国井興業に入社
弊社は私の父が1963年に個人事業として創業した「国井鉄筋」をルーツにしています。当初は下請け中心の仕事をしていたため、多くの苦労をしたそうです。その状況を打破するために行ったのが、1972年の法人化になります。社名も「有限会社国井鉄筋工業」に改め、元請け(サブコン)としての第一歩を踏み出しました。以来、サブコンとして事業を拡大して、2022年3月には法人として設立50周年を迎えて今に至ります。
私は、子どもの頃から「家業は自分が継ぐもの」と思っていたので、高校・大学では必然的に建築を学び、就職先も鉄道の保守・改良等鉄道関連工事のゼネコンを選びました。父は「無理に継ぐ必要はない」と言いつつも、継ぐ意志を示した私に期待しているようでした。私は末っ子の四男でしたが、兄や姉は他業種で既に働いており、「継ぐとすれば自分しかいない」と考え、新卒で入った会社で数年の経験を積んだ後、弊社に入社しました。
親子関係を伏せて入社し職方と信頼関係を構築
入社してから最初の約2年は内勤で、積算業務(設計図や仕様書から材料や数量を算出し、工事費の見積もりを算出する仕事)に従事しながら鉄筋業について学び、その後、現場に出るようになりました。
入社してからも少しの間は、先代との親子関係を伏せていました。これは父からの提案で、私自身もその方が早く職場に馴染めると思っていました。名字が同じなので社内の人間は薄々気付いていた節もありますが、社外は気付いていない人も多く、飲み会で酔った協力業者の方に頭からワインをかけられたこともありました。
弊社は鉄筋工事業のサブコンです。建設業界では、まず「ゼネコン」が国や大企業から建設工事を受注します。ゼネコンは元請けとして、鉄筋工事や電気工事、内装工事などを「サブコン」と呼ばれる各種専門工事会社に発注します。そのサブコンがさらに社外の協力業者や下請企業に仕事を発注する、という形が建設業界の基本的な仕事の流れです。
お客様であるゼネコンとの関係はもちろん大事ですが、それ以上に職方の収入や労働環境を守ることが大事だと考えています。いわれるがままに仕事を受注し、そのしわ寄せが職方に及ぶことは避けなければなりません。最初の頃は仕事を取ってきても「そんな条件じゃ話にならないから帰れ」といわれたことも何度もありました。ゼネコンと粘り強く折衝を重ね、職方のために良い条件を勝ち取っていくことで、少しずつ信頼関係を築くことができました。
仕事に慣れ、職方たちとも信頼関係ができた頃に社長との親子関係を公表しました。ただ、その頃にはすでに周知の事実となっていたこともあり、仕事にはまったく影響がありませんでした。その後は、弊社の専務取締役を数年務めたのち、2018年に30歳で社長に就任しました。
専務時代とは別格の重圧を自覚した社長就任
社長に就任して改めて強く感じたのは責任の重さです。専務取締役だった頃は、現場に立ちながら、トラブルが起きれば現場のトップとして対応していく、プレイングマネージャーのような立ち位置でした。それが社長ともなると滅多なことでは呼ばれません。業務量としては専務時代の方が多かったものの、1回の重みと深刻度がまるで異なり、社長業の重圧たるや、今でも大変さを感じています。
また、建設業界で周囲を見渡すと、30代前半で社長をしているケースは少ないため、どうしても「若造」に見られます。社長としてゼネコンや下請企業など多くの会社と付き合いがある中では、世代がはるかに上の方々を相手にし、どういった立ち居振る舞いが正解なのかはいまだに模索している部分です。
ヘッドハンティングで若返りに成功し企業イメージを一新
私が社長に就任以来力を入れてきたのが、社員の若返りです。固定費の上昇に繋がることは承知した上で、弊社の中で足りないと思っていた部分に関しては積極的に人財を採用してきました。
採用に関しては、ほぼヘッドハンティングです。その中で、特に営業職に関しては会社員時代に知り合った信頼できる人財を採用し、精力的に新規の営業先を回ってもらいました。弊社がゼネコンから抱かれていたであろう「近づきがたい鉄筋屋」というイメージを払拭したいという思いがあったからです。若い人財が入社し、前向きに頑張ってくれているおかげで社内の雰囲気も明るくなり、対外的な印象もだいぶ改善されました。
なお、我々の業界における営業職は少し特殊な位置づけです。業界内では「番頭」という呼び方が一般的で、もちろん外回りにも行きますが、作業着を着て現場の全てに関わっていくのが番頭の役割です。下請企業や協力業者の手配も彼らの仕事なので、現場での仕事に向いていて、職方とも打ち解けられるようなタイプの人が求められます。
そして弊社では協力業者や下請企業の管理は会社全体で対応しています。建設業界の中には「部長は部長」「常務は常務」というかたちで下請企業を属人的に管理している会社も少なくありません。同じ会社にもかかわらず「俺の手持ちの職方は離さないよ」というやり方がまかり通っているのは非効率です。
社内の刷新に合わせて、下請企業との関係の再構築も推し進めました。ルール遵守を徹底すると同時に、信用できる新たな業者の受け入れも進めました。たとえ昔からの付き合いであっても守るべきルールを遵守してもらう必要があるからです。その結果、弊社の下請企業や協力業者で構成している組織もフラットかつ公平で、風通しの良いものになりました。
会社としての課題と社員に期待すること
ウクライナ情勢の影響もあり、2022年以降は材料価格が大幅に上昇しました。私が国井興業に入社した10年前と比べると約2倍の価格になっています。
材料価格の上昇前は「材工(一式)」といわれる、利益率が高い、材料の調達と施工を一括で請け負っていました。しかし、昨今の材料費の大幅な高騰で、建築計画の見直し等も出てきており、必ずしも「材工」で請け負うことが正解とは限らなくなってきました。がむしゃらに仕事を取るだけではなく、年間の事業計画を綿密に立てていくことが必要です。
若手の営業を積極的に増やしたことで、ゼネコンや下請企業、協力業者などへの会社としての発信力や影響力に関しては、強みといえるところまで伸びてきました。今後は社内の、いわゆる経営戦略的な部分をしっかりと固めていく必要があります。私だけではなく、社員一人一人が先々を見据えて仕事を行うようになれば、さらに強い会社になれると思います。そういう面では、社員の自主性や当事者意識をどうやって引き出すかが、今後の自社課題です。役職や肩書のあるなしにかかわらず、会社の代表としての自覚をもって最後までやり切る姿勢を持ってほしいという思いがあります。
「常に夢を持ち続け、発展し続ける企業になる」という経営理念
弊社では「常に夢を持ち続け、発展し続ける企業になる」という経営理念を掲げています。ここには会社としての目標だけではなく、個人としても夢を持ってほしいという思いが込められています。
人の夢とは何かと考えたとき、やはり「裕福になりたい」という思いがあることは否定できません。車が欲しい、服が欲しい、結婚したばかりで将来的には家を建てたい。もちろん家族の幸せが一番だという人もいますが、実現するにはある程度の収入が必要です。
業績が上がれば社員に還元していきます。目先の目標を夢として、その実現に向けて仕事を頑張れることは悪いことではありません。私自身も車やバイクが好きですし、仕事を頑張るからには自分も豊かになりたいと思いながら頑張っています。
関東全域を手厚くカバーできる体制づくり
若い社員が増えて、さまざまな面で良い方向に変化をしていることは周囲にも伝わっているようです。弊社の業務に関わるとび職や型枠大工、内装工など多くの職方からは「国井さんっていいよね」と言っていただける機会が増えました。また思い切って番頭を増やしたことは、仕事がスムーズに進むことにも繋がっているため、同業者からも一目置かれています。
社員の高齢化や社内の番頭不足は多くの同業他社にとって一番の悩みどころです。他社が課題視している部分を、弊社は先んじて強みに変えてきました。
今後さらに弊社が発展していくことを考えたとき、M&Aも有効な手段の1つだと考えています。弊社はほぼ関東全域の下請企業と提携しており、良好な関係を築けています。ただもちろん中には弊社の下請企業が少ないエリアもあるので、M&Aでは、そうしたエリアをカバーできるような同業種の企業の引継ぎを検討していければと思います。
ただ、建設業界では長年培ってきた信頼関係が重視される世界のため、思わぬトラブルに発展する可能性もあるので慎重に検討していきます。
付加価値の向上とブランド力を発揮していく
高齢化や人材不足は建築業界全体の課題です。おそらくこの先10年、あるいは5年以内に多くの職方が引退すると考えています。そうなったときに弊社を含め業界としてこれまで通りのやり方で事業を継続していけるかというと、間違いなく難しいでしょう。業界・業種として淘汰はすでに始まっています。
弊社では現在99名(2022年10月時点、加工場40名を含む)の社員が働いています。若返りについてはある程度達成できました。今後は会社としてしっかりと基盤を確立し、仕事面、採用面などさまざまな部分でブランド力を発揮していきたいと思います。そのためには企業として付加価値を高め、魅力的な会社にしていく必要があるでしょう。
付加価値を高めていくために、現在弊社では様々な取り組みを行なっています。創業50周年となった2022年には本社と本社工場を移転しました。オフィスの内装は「3K(きつい、きたない、きけん)」のイメージを払拭するようなモダンなデザインとし、新たな本社工場は分散していた加工拠点を集約することで生産性を向上させました。雨ざらしで保管されることも多い鉄筋をしっかりと屋根付きの場所で保管し、配送のトラックもすべて自社便にすることで柔軟な対応が可能となっています。
社員への福利厚生制度としては最大58名が入居可能な社員寮のほか、慰安旅行や遠足などのイベントを開催したり、割安で利用できる福利厚生施設としてリゾート地のホテルとも提携しています。他にも工業高校の生徒にものづくりの魅力を伝える「出前講座」を開催し、地域や業界に貢献する活動にも積極的です。
こうした一つ一つの取り組みが付加価値を高め、淘汰の先にある将来の発展に繋がっていくと考えています。
ゼネコン勤務を経て国井興業に入社
弊社は私の父が1963年に個人事業として創業した「国井鉄筋」をルーツにしています。当初は下請け中心の仕事をしていたため、多くの苦労をしたそうです。その状況を打破するために行ったのが、1972年の法人化になります。社名も「有限会社国井鉄筋工業」に改め、元請け(サブコン)としての第一歩を踏み出しました。以来、サブコンとして事業を拡大して、2022年3月には法人として設立50周年を迎えて今に至ります。
私は、子どもの頃から「家業は自分が継ぐもの」と思っていたので、高校・大学では必然的に建築を学び、就職先も鉄道の保守・改良等鉄道関連工事のゼネコンを選びました。父は「無理に継ぐ必要はない」と言いつつも、継ぐ意志を示した私に期待しているようでした。私は末っ子の四男でしたが、兄や姉は他業種で既に働いており、「継ぐとすれば自分しかいない」と考え、新卒で入った会社で数年の経験を積んだ後、弊社に入社しました。
親子関係を伏せて入社し職方と信頼関係を構築
入社してから最初の約2年は内勤で、積算業務(設計図や仕様書から材料や数量を算出し、工事費の見積もりを算出する仕事)に従事しながら鉄筋業について学び、その後、現場に出るようになりました。
入社してからも少しの間は、先代との親子関係を伏せていました。これは父からの提案で、私自身もその方が早く職場に馴染めると思っていました。名字が同じなので社内の人間は薄々気付いていた節もありますが、社外は気付いていない人も多く、飲み会で酔った協力業者の方に頭からワインをかけられたこともありました。
弊社は鉄筋工事業のサブコンです。建設業界では、まず「ゼネコン」が国や大企業から建設工事を受注します。ゼネコンは元請けとして、鉄筋工事や電気工事、内装工事などを「サブコン」と呼ばれる各種専門工事会社に発注します。そのサブコンがさらに社外の協力業者や下請企業に仕事を発注する、という形が建設業界の基本的な仕事の流れです。
お客様であるゼネコンとの関係はもちろん大事ですが、それ以上に職方の収入や労働環境を守ることが大事だと考えています。いわれるがままに仕事を受注し、そのしわ寄せが職方に及ぶことは避けなければなりません。最初の頃は仕事を取ってきても「そんな条件じゃ話にならないから帰れ」といわれたことも何度もありました。ゼネコンと粘り強く折衝を重ね、職方のために良い条件を勝ち取っていくことで、少しずつ信頼関係を築くことができました。
仕事に慣れ、職方たちとも信頼関係ができた頃に社長との親子関係を公表しました。ただ、その頃にはすでに周知の事実となっていたこともあり、仕事にはまったく影響がありませんでした。その後は、弊社の専務取締役を数年務めたのち、2018年に30歳で社長に就任しました。
専務時代とは別格の重圧を自覚した社長就任
社長に就任して改めて強く感じたのは責任の重さです。専務取締役だった頃は、現場に立ちながら、トラブルが起きれば現場のトップとして対応していく、プレイングマネージャーのような立ち位置でした。それが社長ともなると滅多なことでは呼ばれません。業務量としては専務時代の方が多かったものの、1回の重みと深刻度がまるで異なり、社長業の重圧たるや、今でも大変さを感じています。
また、建設業界で周囲を見渡すと、30代前半で社長をしているケースは少ないため、どうしても「若造」に見られます。社長としてゼネコンや下請企業など多くの会社と付き合いがある中では、世代がはるかに上の方々を相手にし、どういった立ち居振る舞いが正解なのかはいまだに模索している部分です。
ヘッドハンティングで若返りに成功し企業イメージを一新
私が社長に就任以来力を入れてきたのが、社員の若返りです。固定費の上昇に繋がることは承知した上で、弊社の中で足りないと思っていた部分に関しては積極的に人財を採用してきました。
採用に関しては、ほぼヘッドハンティングです。その中で、特に営業職に関しては会社員時代に知り合った信頼できる人財を採用し、精力的に新規の営業先を回ってもらいました。弊社がゼネコンから抱かれていたであろう「近づきがたい鉄筋屋」というイメージを払拭したいという思いがあったからです。若い人財が入社し、前向きに頑張ってくれているおかげで社内の雰囲気も明るくなり、対外的な印象もだいぶ改善されました。
なお、我々の業界における営業職は少し特殊な位置づけです。業界内では「番頭」という呼び方が一般的で、もちろん外回りにも行きますが、作業着を着て現場の全てに関わっていくのが番頭の役割です。下請企業や協力業者の手配も彼らの仕事なので、現場での仕事に向いていて、職方とも打ち解けられるようなタイプの人が求められます。
そして弊社では協力業者や下請企業の管理は会社全体で対応しています。建設業界の中には「部長は部長」「常務は常務」というかたちで下請企業を属人的に管理している会社も少なくありません。同じ会社にもかかわらず「俺の手持ちの職方は離さないよ」というやり方がまかり通っているのは非効率です。
社内の刷新に合わせて、下請企業との関係の再構築も推し進めました。ルール遵守を徹底すると同時に、信用できる新たな業者の受け入れも進めました。たとえ昔からの付き合いであっても守るべきルールを遵守してもらう必要があるからです。その結果、弊社の下請企業や協力業者で構成している組織もフラットかつ公平で、風通しの良いものになりました。
会社としての課題と社員に期待すること
ウクライナ情勢の影響もあり、2022年以降は材料価格が大幅に上昇しました。私が国井興業に入社した10年前と比べると約2倍の価格になっています。
材料価格の上昇前は「材工(一式)」といわれる、利益率が高い、材料の調達と施工を一括で請け負っていました。しかし、昨今の材料費の大幅な高騰で、建築計画の見直し等も出てきており、必ずしも「材工」で請け負うことが正解とは限らなくなってきました。がむしゃらに仕事を取るだけではなく、年間の事業計画を綿密に立てていくことが必要です。
若手の営業を積極的に増やしたことで、ゼネコンや下請企業、協力業者などへの会社としての発信力や影響力に関しては、強みといえるところまで伸びてきました。今後は社内の、いわゆる経営戦略的な部分をしっかりと固めていく必要があります。私だけではなく、社員一人一人が先々を見据えて仕事を行うようになれば、さらに強い会社になれると思います。そういう面では、社員の自主性や当事者意識をどうやって引き出すかが、今後の自社課題です。役職や肩書のあるなしにかかわらず、会社の代表としての自覚をもって最後までやり切る姿勢を持ってほしいという思いがあります。
「常に夢を持ち続け、発展し続ける企業になる」という経営理念
弊社では「常に夢を持ち続け、発展し続ける企業になる」という経営理念を掲げています。ここには会社としての目標だけではなく、個人としても夢を持ってほしいという思いが込められています。
人の夢とは何かと考えたとき、やはり「裕福になりたい」という思いがあることは否定できません。車が欲しい、服が欲しい、結婚したばかりで将来的には家を建てたい。もちろん家族の幸せが一番だという人もいますが、実現するにはある程度の収入が必要です。
業績が上がれば社員に還元していきます。目先の目標を夢として、その実現に向けて仕事を頑張れることは悪いことではありません。私自身も車やバイクが好きですし、仕事を頑張るからには自分も豊かになりたいと思いながら頑張っています。
関東全域を手厚くカバーできる体制づくり
若い社員が増えて、さまざまな面で良い方向に変化をしていることは周囲にも伝わっているようです。弊社の業務に関わるとび職や型枠大工、内装工など多くの職方からは「国井さんっていいよね」と言っていただける機会が増えました。また思い切って番頭を増やしたことは、仕事がスムーズに進むことにも繋がっているため、同業者からも一目置かれています。
社員の高齢化や社内の番頭不足は多くの同業他社にとって一番の悩みどころです。他社が課題視している部分を、弊社は先んじて強みに変えてきました。
今後さらに弊社が発展していくことを考えたとき、M&Aも有効な手段の1つだと考えています。弊社はほぼ関東全域の下請企業と提携しており、良好な関係を築けています。ただもちろん中には弊社の下請企業が少ないエリアもあるので、M&Aでは、そうしたエリアをカバーできるような同業種の企業の引継ぎを検討していければと思います。
ただ、建設業界では長年培ってきた信頼関係が重視される世界のため、思わぬトラブルに発展する可能性もあるので慎重に検討していきます。
付加価値の向上とブランド力を発揮していく
高齢化や人材不足は建築業界全体の課題です。おそらくこの先10年、あるいは5年以内に多くの職方が引退すると考えています。そうなったときに弊社を含め業界としてこれまで通りのやり方で事業を継続していけるかというと、間違いなく難しいでしょう。業界・業種として淘汰はすでに始まっています。
弊社では現在99名(2022年10月時点、加工場40名を含む)の社員が働いています。若返りについてはある程度達成できました。今後は会社としてしっかりと基盤を確立し、仕事面、採用面などさまざまな部分でブランド力を発揮していきたいと思います。そのためには企業として付加価値を高め、魅力的な会社にしていく必要があるでしょう。
付加価値を高めていくために、現在弊社では様々な取り組みを行なっています。創業50周年となった2022年には本社と本社工場を移転しました。オフィスの内装は「3K(きつい、きたない、きけん)」のイメージを払拭するようなモダンなデザインとし、新たな本社工場は分散していた加工拠点を集約することで生産性を向上させました。雨ざらしで保管されることも多い鉄筋をしっかりと屋根付きの場所で保管し、配送のトラックもすべて自社便にすることで柔軟な対応が可能となっています。
社員への福利厚生制度としては最大58名が入居可能な社員寮のほか、慰安旅行や遠足などのイベントを開催したり、割安で利用できる福利厚生施設としてリゾート地のホテルとも提携しています。他にも工業高校の生徒にものづくりの魅力を伝える「出前講座」を開催し、地域や業界に貢献する活動にも積極的です。
こうした一つ一つの取り組みが付加価値を高め、淘汰の先にある将来の発展に繋がっていくと考えています。
ツグナラコンサルタントによる紹介
創業50年以上の老舗企業でありながらも若返りに成功しているエネルギッシュな企業様です。建築業界全体を見渡しているその姿は、まさにツグナラ企業に相応しいと感じました。
会社概要
社名 | 国井興業株式会社 |
創立年 | 1972年 |
代表者名 | 代表取締役社長 井出 進 |
資本金 | 4000万円 |
事業エリア |
熊谷工場
360-0802 埼玉県熊谷市下奈良770-1番地 048-501-3025 |
本社住所 |
360-0202 埼玉県熊谷市妻沼東5丁目90番地 048-567-0921 |
事業内容 | 鉄筋工事業(加工・運搬・施工管理) |
URL |
https://www.kuniicogyo.co.jp/
|
会社沿革
1963年 | 東京都北区滝野川に国井鉄筋 創立 |
1972年 | 有限会社国井鉄筋工業 設立 埼玉県草加市に加工工場建設 |
1980年 | 埼玉県熊谷市に加工工場建設 |
1981年 | 本社を埼玉県熊谷市に移転 |
1989年 | 有限会社より株式会社へ組織変更する |
2008年 | あしぎん成長基盤支援私募債発行 2億 |
2012年 | 銀行保証付私募債発行 2億 |
2014年 | 拠出年金制度加入 |
2018年 | 代表取締役会長 井出政利 就任 代表取締役社長 井出進 就任 |
2020年 | 埼玉りそなSDGs私募債 2億 |
2021年 | 名誉会長 井出政利 就任 |
2022年 | 本社及び本社工場を埼玉県熊谷市内の別拠点に移転 創立50周年 |
公開日:2023/05/23 (2023/05/30修正)
※本記事の内容および所属名称は2023年5月現在のものです。現在の情報とは異なる場合があります。