さいたま市岩槻
さいたま市
中・小ロットの金属加工を得意とするものづくり企業
株式会社金久保製作所
社員の幸福を第一に考えるものづくり企業が目指す町工場の未来像
経営理念
- 従業員一人ひとりの幸福を実現する
- 顧客、取引先、地域社会が豊かになるよう価値を提供する
- そのために金久保製作所を継続・発展させる
経営心得
- 私たちは常に、難しい仕事・厳しい顧客を大事にします
- 私たちは常に、誠実な態度と謙虚な心で人々と接し、良い人間関係を育てます
- 私たちは常に、礼儀を守り、知識を深め、高い技術と品性をみにつけます
八つの良心
- 常に、人にやさしくあれ
- 常に、正直であれ
- 常に、嘘をつくな
- 常に、卑怯なことはするな
- 常に、約束を守れ
- 常に、弱い者をいじめるな
- 常に、親孝行をしろ
- 常に、兄弟仲良く
代表者メッセージ
「町工場には夢がある」。これは私の祖父であり創業者、そして私の父であり、現会長が代々受け継いできた言葉です。
祖父は、広島の原爆投下時に隣町にいたことで九死に一生を得ました。戦後、田舎から米1俵を持ち、上京し、わずか16坪の借地で旋盤1台で機械加工を始めました。父は経営が厳しい状況で引継ぎ、多くの危機に直面しながらも25年の歳月をかけて経営を立て直しました。
3代目である私も同じ思いを持っており、町工場の1つである弊社を、夢のある会社としてより長く存続させていく考えです。
受注単価の減少や原料価格の高騰、人財獲得の難しさなど、町工場を取り巻く環境は大変厳しいものがあります。1社だけでできることは限られますが、ものづくりを一緒に楽しめる仲間を増やし、連携していくことで、町工場の廃業を防ぎ、技術、雇用を守っていければと考えています。
代表取締役 武野谷 翔吾
私たちのこだわり
わずかな数畳の作業場からスタートしたものづくり企業
我が社は私の母方の祖父が1957年に東京都北区で創業しました。スタート時はわずか16坪の工場に汎用旋盤が1台あるだけの小さな会社だったと聞いています。1976年に業務拡大を目的に岩槻市(現さいたま市岩槻区)へ移転しました。
岩槻に移転後は機械の導入や営業活動を積極的に行い、エアチャックやエアシリンダなどの空圧機器を手掛けるメーカーからパーツ製作を受注するようになりました。空圧機器の需要拡大に合わせて受注量も増加し、弊社も成長していきました。
1994年に2代目として会社の経営を引き継いだのが娘婿である父です。大学時代は機械工学を修めていた父ですが、40歳で弊社を引き継ぐまでは、スーパーマーケットで店長として働いていました。異業種に飛び込んでの事業承継となったため、非常に苦労したと聞いています。
また、父が引き継いだ頃の我が社は厳しい経営状況が続いており、設備投資をしようにも金融機関から融資が受けられないほどでした。
最も危機的な状況に陥ったのが2008年の「リーマン・ショック」です。業界全体が大きな打撃を受け、売上が8割減となりました。不幸中の幸いだったのは、世間がリーマン・ショックと騒ぎ出す前に受注量が減りはじめたことに父がいち早く気付いたことです。早い段階で週3、4日を休みにして人件費や固定費を抑えつつ、助成金をもらうなどの対策ができたことで何とか持ちこたえました。そうした危機的な状況を乗り越え、父が25年かけて財務を健全化したおかげで、現在は借入がほとんどなく、自己資本比率の高い状態で経営ができています。
3代目社長を就任して現在は経営者として勉強の毎日
3兄弟の長男として生まれた私は、創業者である祖父から「金久保製作所を継いでほしい」と言われて育ったため、社長になることは子どもの頃から当然のこととして受け入れてきました。大学卒業後は、我が社を継ぐ前に武者修行へ出るつもりで工作機械メーカーに就職しました。入社当初は2、3年で我が社に戻るつもりでしたが、仕事にのめりこんだり、タイへ赴任したりで、最終的には8年ほどその会社にお世話になりました。
我が社に入社したのは、2017年、タイ赴任の任期を終えてからでした。2021年には、私が3代目社長に就任しました。コロナ禍においては、2020年の感染拡大当初に売上が2割ほど下がりましたが、その後の半導体バブルのおかげで順調に回復して、今もなお売上は伸び続けています。
サラリーマン時代は会社の方針に沿った仕事をしてきましたが、現在はその方針を自分で決めなければなりません。事業承継から約2年が経ちましたが、経営者として日々勉強の毎日です。この2年間は売上も毎年20%増と順調に推移していますが、会社経営は「大波の連続」だと父からよく聞かされていたので、安定している今のうちに経営者として大波に負けない力をしっかりと身に付けていきたいと考えています。
多品種・中ロットに特化した生産体制が強み
我が社は金属の切削加工を行ういわゆるものづくり企業です。主に生産しているのはオートクレーブと言われる医療用の滅菌機器や空圧機器のパーツです。我が社が得意とするのは片手、もしくは両手サイズのパーツ製造で、アルミニウムやステンレス、鉄、真鍮と素材を問わずに対応できるのが強みです。
また、金属の切削加工は大きく分けて丸型と四角型の2種類があり、各々に使用する機械が異なり、それぞれノウハウも必要です。多くの同業者はどちらかの形を専門としていますが、我が社では両方の機械とノウハウを有しているので丸型、四角型両パーツの一括注文も引き受けられます。お客様のニーズに対して柔軟な対応ができる点は発注を頂ける一因だと感じています。
中ロットに特化した生産体制も強みの1つです。大ロットではスケールメリットを発揮できる大手の工場に価格競争で負けてしまいますが、20~数百個程度の中ロットであれば、価格を抑えられる生産体制を組んでいます。さらに小ロットに関しても提携工場と連携することで対応できるため、中ロット、小ロットと数が異なる複数品種を一括で受注できるところが差別化ポイントだといえます。
切削加工の技術力を活かし、万華鏡や釣具などホビー系アイテムの製造も手掛けています。これらはもともと現会長の父が趣味で開発したもので、大きな利益を生み出しているわけではありませんが、展示会などに出展した際には弊社の技術力をアピールする「顔」になっています。中でも万華鏡に関しては、小型のものからネジ型までオリジナル商品を多数作っており、以前は「神保町いちのいち」という雑貨店で販売も行っていました。現在、万華鏡は我が社の後工程を担う職人の不足で製造が止まっていますが、大変好評をいただいていたので必ず復活させたいと考えています。
もっとも重視しているのは「社員の幸福の実現」
我が社の経営の根幹となる「経営理念」「経営心得」「八つの良心」は、2007年に創業50周年を迎えたタイミングで父が作成したものです。経営理念については、日々の朝礼で触れるようにしています。この他にクレド(行動指針)が30ほどあり、毎日その中から1つ選び社内で唱和しています。
中でも我が社がもっとも大事にしている考えは、「従業員一人ひとりの幸福を実現する」です。まずは一番身近な存在である社員を幸せにできないと、その先にいる顧客、地域社会をはじめとしたステークホルダーの皆様を幸せにできないと考えているからです。私自身、今後もこの信念を大切にしながら企業経営を行っていきたいと考えています。
社員の幸福を第一に考える理念のおかげか、社歴の長い社員が多く、中には勤続62年(現在の社内最高齢の78歳)の社員も在籍しています。過去には80歳を超えてからも働き続けてくれた社員も4人いました。
現在の最年少社員は24歳です。2年前に我が社の中途採用の募集を見て、当時学生だったにも関わらず新卒採用で応募してきました。募集内容とは異なるイレギュラーな応募でしたが、熱意を評価して採用したところ、予想以上の活躍を見せてくれています。弊社は長らく中途採用で人財獲得を行ってきましたが、若い未経験者を育てることに対して可能性を感じるようになり、2024年入社からは新卒採用の募集もスタートしました。
我が社にはコツコツ真面目に仕事をする社員が多くいます。各自の生産性を向上させながら新しい技術にも挑戦してくれています。
廃業せざるを得ない町工場の技術や雇用を守りたい
我が社が拠点を構えるさいたま市岩槻区は、人形の町として、雛人形の製造が古くから地場産業として根付いていました。しかし近年では、後継者不足で廃業する人形メーカーが後を絶ちません。同時に我が社のような町工場においても、後継者不足から廃業するという話は至る所で見聞きします。私は町工場が廃業し、多くの技術が途絶えている状況をどうにかしたいと考えています。
ただ、廃業していく小さな町工場の中には、一般的な相場の10分の1といったありえない低価格で受注しているケースが少なくありません。本来なら引退をしているような高齢の職人さんが、「他に作れるところがない」とクライアントから頼みこまれて、善意で受けているケースが多いからです。もしそうした企業を引き継ぐ場合、問題になるのが相場の10分の1という受注額です。クライアントが受注額の値上げに応じてくれればいいですが、現実には難しく、引き継ぎ手が現れずに廃業に至るという現実があります。
このような形で優れた技術が失われていくのは、地域にとっても、日本にとっても大きな損失です。地元の技術を守っていくためにも、行政を巻き込みつつ、地域の中小企業や町工場によるコミュニティを作ることで、廃業を食い止められるのではないかと考えています。
こうした町工場同士が連携できるコミュニティ作りは、今すぐは難しいかもしれませんが、今後、実現していきたい大きな目標です。
また、我が社が直接、引継ぎ手になることも考えています。同じ金属加工業で小ロットや中ロットの製造に強い会社であれば、中ロットの製造に強みがある弊社とシナジーを生み出させるでしょう。これまで大切にされてきた社員、お客様、技術など責任を持って引継がせていただきます。我が社と一緒にものづくりを楽しめる企業からのご相談をお待ちしています。
機械化とDX化で生産効率を上げつつ職人の技術を伝承していく
我が社のような町工場では、今後、機械化できる仕事と人間にしかできない仕事を見極めながら、低コストで生産できる体制づくりが求められてくるでしょう。取引先から提示される発注価格は現在下降の一途をたどり、これまで通りの生産方法では利益を出しにくい状況が多く発生しているからです。
一方で機械化を進め過ぎると、スケールメリットを発揮できる大手の工場に太刀打ちできなくなるので、手作業として何を残すかの見極めは非常に重要です。我が社であれば、製造工程の最終段階に行っている「バリ取り」(製品の不要な突起を研磨する作業)については、今後も手作業として残していく部分だと考えています。人間が手で触った時の感触を頼りに仕上げていくため、まだまだ機械化が難しい作業です。特に我が社が製造する精密部品の場合は「バリ取り」がクオリティコントロールの面で大変重要な工程であることからも、強みとして力を発揮してくれるでしょう。
熟練された技術を伝承し、中小の町工場としてできることを見極めながら、ものづくり業界を盛り上げていきたいと考えています。
わずかな数畳の作業場からスタートしたものづくり企業
我が社は私の母方の祖父が1957年に東京都北区で創業しました。スタート時はわずか16坪の工場に汎用旋盤が1台あるだけの小さな会社だったと聞いています。1976年に業務拡大を目的に岩槻市(現さいたま市岩槻区)へ移転しました。
岩槻に移転後は機械の導入や営業活動を積極的に行い、エアチャックやエアシリンダなどの空圧機器を手掛けるメーカーからパーツ製作を受注するようになりました。空圧機器の需要拡大に合わせて受注量も増加し、弊社も成長していきました。
1994年に2代目として会社の経営を引き継いだのが娘婿である父です。大学時代は機械工学を修めていた父ですが、40歳で弊社を引き継ぐまでは、スーパーマーケットで店長として働いていました。異業種に飛び込んでの事業承継となったため、非常に苦労したと聞いています。
また、父が引き継いだ頃の我が社は厳しい経営状況が続いており、設備投資をしようにも金融機関から融資が受けられないほどでした。
最も危機的な状況に陥ったのが2008年の「リーマン・ショック」です。業界全体が大きな打撃を受け、売上が8割減となりました。不幸中の幸いだったのは、世間がリーマン・ショックと騒ぎ出す前に受注量が減りはじめたことに父がいち早く気付いたことです。早い段階で週3、4日を休みにして人件費や固定費を抑えつつ、助成金をもらうなどの対策ができたことで何とか持ちこたえました。そうした危機的な状況を乗り越え、父が25年かけて財務を健全化したおかげで、現在は借入がほとんどなく、自己資本比率の高い状態で経営ができています。
3代目社長を就任して現在は経営者として勉強の毎日
3兄弟の長男として生まれた私は、創業者である祖父から「金久保製作所を継いでほしい」と言われて育ったため、社長になることは子どもの頃から当然のこととして受け入れてきました。大学卒業後は、我が社を継ぐ前に武者修行へ出るつもりで工作機械メーカーに就職しました。入社当初は2、3年で我が社に戻るつもりでしたが、仕事にのめりこんだり、タイへ赴任したりで、最終的には8年ほどその会社にお世話になりました。
我が社に入社したのは、2017年、タイ赴任の任期を終えてからでした。2021年には、私が3代目社長に就任しました。コロナ禍においては、2020年の感染拡大当初に売上が2割ほど下がりましたが、その後の半導体バブルのおかげで順調に回復して、今もなお売上は伸び続けています。
サラリーマン時代は会社の方針に沿った仕事をしてきましたが、現在はその方針を自分で決めなければなりません。事業承継から約2年が経ちましたが、経営者として日々勉強の毎日です。この2年間は売上も毎年20%増と順調に推移していますが、会社経営は「大波の連続」だと父からよく聞かされていたので、安定している今のうちに経営者として大波に負けない力をしっかりと身に付けていきたいと考えています。
多品種・中ロットに特化した生産体制が強み
我が社は金属の切削加工を行ういわゆるものづくり企業です。主に生産しているのはオートクレーブと言われる医療用の滅菌機器や空圧機器のパーツです。我が社が得意とするのは片手、もしくは両手サイズのパーツ製造で、アルミニウムやステンレス、鉄、真鍮と素材を問わずに対応できるのが強みです。
また、金属の切削加工は大きく分けて丸型と四角型の2種類があり、各々に使用する機械が異なり、それぞれノウハウも必要です。多くの同業者はどちらかの形を専門としていますが、我が社では両方の機械とノウハウを有しているので丸型、四角型両パーツの一括注文も引き受けられます。お客様のニーズに対して柔軟な対応ができる点は発注を頂ける一因だと感じています。
中ロットに特化した生産体制も強みの1つです。大ロットではスケールメリットを発揮できる大手の工場に価格競争で負けてしまいますが、20~数百個程度の中ロットであれば、価格を抑えられる生産体制を組んでいます。さらに小ロットに関しても提携工場と連携することで対応できるため、中ロット、小ロットと数が異なる複数品種を一括で受注できるところが差別化ポイントだといえます。
切削加工の技術力を活かし、万華鏡や釣具などホビー系アイテムの製造も手掛けています。これらはもともと現会長の父が趣味で開発したもので、大きな利益を生み出しているわけではありませんが、展示会などに出展した際には弊社の技術力をアピールする「顔」になっています。中でも万華鏡に関しては、小型のものからネジ型までオリジナル商品を多数作っており、以前は「神保町いちのいち」という雑貨店で販売も行っていました。現在、万華鏡は我が社の後工程を担う職人の不足で製造が止まっていますが、大変好評をいただいていたので必ず復活させたいと考えています。
もっとも重視しているのは「社員の幸福の実現」
我が社の経営の根幹となる「経営理念」「経営心得」「八つの良心」は、2007年に創業50周年を迎えたタイミングで父が作成したものです。経営理念については、日々の朝礼で触れるようにしています。この他にクレド(行動指針)が30ほどあり、毎日その中から1つ選び社内で唱和しています。
中でも我が社がもっとも大事にしている考えは、「従業員一人ひとりの幸福を実現する」です。まずは一番身近な存在である社員を幸せにできないと、その先にいる顧客、地域社会をはじめとしたステークホルダーの皆様を幸せにできないと考えているからです。私自身、今後もこの信念を大切にしながら企業経営を行っていきたいと考えています。
社員の幸福を第一に考える理念のおかげか、社歴の長い社員が多く、中には勤続62年(現在の社内最高齢の78歳)の社員も在籍しています。過去には80歳を超えてからも働き続けてくれた社員も4人いました。
現在の最年少社員は24歳です。2年前に我が社の中途採用の募集を見て、当時学生だったにも関わらず新卒採用で応募してきました。募集内容とは異なるイレギュラーな応募でしたが、熱意を評価して採用したところ、予想以上の活躍を見せてくれています。弊社は長らく中途採用で人財獲得を行ってきましたが、若い未経験者を育てることに対して可能性を感じるようになり、2024年入社からは新卒採用の募集もスタートしました。
我が社にはコツコツ真面目に仕事をする社員が多くいます。各自の生産性を向上させながら新しい技術にも挑戦してくれています。
廃業せざるを得ない町工場の技術や雇用を守りたい
我が社が拠点を構えるさいたま市岩槻区は、人形の町として、雛人形の製造が古くから地場産業として根付いていました。しかし近年では、後継者不足で廃業する人形メーカーが後を絶ちません。同時に我が社のような町工場においても、後継者不足から廃業するという話は至る所で見聞きします。私は町工場が廃業し、多くの技術が途絶えている状況をどうにかしたいと考えています。
ただ、廃業していく小さな町工場の中には、一般的な相場の10分の1といったありえない低価格で受注しているケースが少なくありません。本来なら引退をしているような高齢の職人さんが、「他に作れるところがない」とクライアントから頼みこまれて、善意で受けているケースが多いからです。もしそうした企業を引き継ぐ場合、問題になるのが相場の10分の1という受注額です。クライアントが受注額の値上げに応じてくれればいいですが、現実には難しく、引き継ぎ手が現れずに廃業に至るという現実があります。
このような形で優れた技術が失われていくのは、地域にとっても、日本にとっても大きな損失です。地元の技術を守っていくためにも、行政を巻き込みつつ、地域の中小企業や町工場によるコミュニティを作ることで、廃業を食い止められるのではないかと考えています。
こうした町工場同士が連携できるコミュニティ作りは、今すぐは難しいかもしれませんが、今後、実現していきたい大きな目標です。
また、我が社が直接、引継ぎ手になることも考えています。同じ金属加工業で小ロットや中ロットの製造に強い会社であれば、中ロットの製造に強みがある弊社とシナジーを生み出させるでしょう。これまで大切にされてきた社員、お客様、技術など責任を持って引継がせていただきます。我が社と一緒にものづくりを楽しめる企業からのご相談をお待ちしています。
機械化とDX化で生産効率を上げつつ職人の技術を伝承していく
我が社のような町工場では、今後、機械化できる仕事と人間にしかできない仕事を見極めながら、低コストで生産できる体制づくりが求められてくるでしょう。取引先から提示される発注価格は現在下降の一途をたどり、これまで通りの生産方法では利益を出しにくい状況が多く発生しているからです。
一方で機械化を進め過ぎると、スケールメリットを発揮できる大手の工場に太刀打ちできなくなるので、手作業として何を残すかの見極めは非常に重要です。我が社であれば、製造工程の最終段階に行っている「バリ取り」(製品の不要な突起を研磨する作業)については、今後も手作業として残していく部分だと考えています。人間が手で触った時の感触を頼りに仕上げていくため、まだまだ機械化が難しい作業です。特に我が社が製造する精密部品の場合は「バリ取り」がクオリティコントロールの面で大変重要な工程であることからも、強みとして力を発揮してくれるでしょう。
熟練された技術を伝承し、中小の町工場としてできることを見極めながら、ものづくり業界を盛り上げていきたいと考えています。
ツグナラコンサルタントによる紹介
三代にわたって続く夢を追い求める町工場です。どんな時代でも、どんな外部環境の変化があったとしても「従業員一人ひとりの幸福を実現する」をモットーにブレない経営を続けています。
会社概要
社名 | 株式会社金久保製作所 |
創立年 | 1968年 |
代表者名 | 代表取締役 武野谷 翔吾 |
資本金 | 1000万円 |
本社住所 |
339-0078 埼玉県さいたま市岩槻区大字掛7953番地の6 |
事業内容 | 精密機械の部品加工・組立 |
URL |
https://www.kanakubo-ss.co.jp/index.html
|
会社沿革
1957年 | 東京都北区神谷で金久保清重郎が創業 |
1968年 | 有限会社金久保製作所を設立 |
1976年 | 業務拡張のため埼玉県さいたま市岩槻区に移転 |
1987年 | 創業30周年記念式典 |
1989年 | 第二工場を取得 |
1995年 | 株式会社 金久保製作所に組織変更 |
1996年 | 武野谷 富之、社長就任 |
2005年 | ISO9001を認証取得 |
2007年 | 50周年記念式典 |
2016年 | 医療関係部門新設 |
2017年 | 第二工場新設 |
2018年 | 創業60周年記念式典 |
2021年 | 武野谷富之が会長就任、武野谷翔吾が社長就任 |
株式会社金久保製作所の経営資源引継ぎ募集情報
公開日:2023/08/08 (2023/08/10修正)
※本記事の内容および所属名称は2023年8月現在のものです。現在の情報とは異なる場合があります。