三郷
三郷市
個人のお客様から企業様まで幅広く携わる建設会社
稲葉興業株式会社
実直な仕事と信念で地域インフラを守り魅力ある建設業界へ導く
経営理念
人々に愛され選ばれつづける企業
代表者メッセージ
稲葉興業株式会社は1974年の創業以来、数多くのお客様に愛され、よき社員に恵まれ、お陰様で順調に事業を拡大することができました。
現在では埼玉県三郷市に本社を置き、東京都、埼玉県、千葉県、茨城県など首都圏を商圏として事業を展開し、建築根伐り工事、造成工事をはじめ、公共・民間を問わず幅広い土木工事に従事しています。
厳しい物価高や円安が続く昨今は「起業をすることよりも事業を継続させることの方が遥かに難しい」と言われています。
こうした厳しい環境の中で、我々建設業が事業を継続していくには、働く社員や社員の家族、地域に住む方々を大切にしながら、安心して暮らせる街を実直につくり続けていくことが大事だと考えています。何が必要であるかを常に考え、ステークホルダーと社会のためにたゆまぬ努力と挑戦を続けていきます。
代表取締役 稲葉 欣真
私たちのこだわり
先代が大型ダンプ1台で創業した土砂運搬事業がルーツ
弊社は1974年に先代である私の父が創業した会社です。茨城県出身の父は上京後、土木工事で発生する土砂などを運搬する大型ダンプトラックの運転手として働いていたそうです。その後、勤務先の社長から独立を促され、社員3人を連れて東京都足立区で創業し、引き続き土砂や砕石などの運搬を請負うようになりました。創業前年にはオイルショックがあったものの、建設投資額は公共・民間ともに伸び続けており、弊社の運搬業の稼働率も連動して右肩上がりとなり、1977年には個人事業から有限会社化し、1980年には株式会社化するなど、会社の規模も大きくなっていきました。事業内容も土砂の運搬だけではなく、油圧ショベルなどの重機を使った掘削、整地、積込み業務や、産業廃棄物の収集運搬業務にも対応できるように事業を拡充していきました。
文学部から土木工事業へ転向、修行先で施工管理の経験を積む
2代目の私は、創業の地である東京都足立区で生まれ、本社移転とともに埼玉県三郷市に引越しました。弊社への入社を決断したのは大学卒業後になります。それまでは家業を継ぐという考えはなく、高校生の頃からの夢である新聞記者を目指し、大学では日本文学を専攻しました。しかし就職氷河期により夢は叶わないまま大学を卒業することになり、就職先が見つからず家で悶々とした日々を過ごすうちに、働かずに家にいることへの申し訳ない気持ちが膨らみ、先代に頭を下げて入社を頼みこみました。先代は、私が入社するならいずれ後継者になるかもしれないと考えたのか「もうダンプ屋だけではやっていけない。外の会社で土木工事を覚えてこい」と言われ、先代の知り合いが経営する都内の建設会社でお世話になることになりました。
運搬と土木工事とでは業務内容が全く違い、競合になり得る他社の後継者を育てることは、本来はあまり歓迎されないはずです。しかし修行先の社長は、先代のことを「立派な人だ」と褒め「この人の息子なら」と修行先となることを引き受けてくれたそうです。私が小さな頃、先代は夜遅くまで働き、休日も仕事仲間とのゴルフでほとんど家におらず、経営者として外で働く姿は見たことがありませんでした。同業者が語る先代の姿は、始めのうちは別人の話のように思われましたが、修行先で働くうちに同業者やお客様など行く先々でも先代を褒められ、周りの方々の話から経営者としての先代の働きぶりを知ることとなりました。
弊社を創業した当時は、現在ほど請負契約の規定や法律が整備されておらず、依頼先の都合で値引きされ手形を切ることになるなど、努力が報われないことも多い時代でしたが、先代は真面目に仕事に取り組み続けました。その先代の姿を同業者やお客様は見ており、仕事を通じて縁が広がり、紹介などによってさらに仕事を得られるようになっていったそうです。これまで見てきた父としての先代の姿はほんの一面であり、仕事を通じて高い評価を頂いていることに驚くと同時に、尊敬の念を抱くようになりました。
修行先の建設会社に入社してからは、施工管理の現場監督として働き、道路や下水道の施工にあたりました。何もわからない状態から5年間現場で勉強をさせていただいた恩を返そうと、1年間無報酬で手伝いたいと申し出ましたが、そういうわけにはいかないと丁重に断られ、給料をいただきながらさらに1年間の修行を積みました。
品質管理の徹底により土木工事業者としての信頼性を高める
修行先から戻り、2002年の29歳の時に弊社へ入社してからは、土木事業に携わっており同時期に入社したベテランの社員と2人で土木工事部門を立ち上げました。土木工事には、民間工事と公共工事があります。土木工事の実績がない弊社が安定化を図りながら周囲から腕を認められるようになるには、公共工事の競争入札や厳格な検査をパスし、国や自治体から認められた健全な工事業者であることを実証することが必要だと考えました。お客様や同業者からは「本当にできるのか?」という目で見られることは珍しくありませんでしたが手を抜かず取り組み、初めて携わった公共工事では、施主による最終確認検査(竣工検査)で高い評価をいただくことができました。
その後は本社のある埼玉県三郷市のピアラシティ付近の造成工事の下請けとして入るなど、区画整理や宅地造成も絡む規模の大きな工事を受注できるようになり、土木工事部門も地元で認知されるようになっていきました。
先代とは入社後から同じ会社で働いてはいたものの、先代は創業時からの馴染みの民間業者を取引先としており、私は官公庁の公共工事を中心に請負っていたため、あまり接点はありませんでした。土木事業を立ち上げ軌道に乗せたからには、いつかは会社を継ぐことになるだろうとは思っていましたが、先代が事業の引継ぎについて考えや行動を示すことはなく、入社から10年を経てようやく承継について話を聞いてくれるようになりました。引退するならば、先代が担当していた部門の後継者を育てて引き継ぎの準備をしておいてくださいとお願いをしましたが、まだ準備ができていないとはぐらかされ続けていました。そして入社から19年が経った頃、同業の3社が同時に代替わりをして、社長就任を知らせるはがきが届きました。周りの動きを見て「そろそろうちも」と思ったのか、ようやく承継を決意し、2021年に私が2代目社長として会社を引継ぐこととなりました。先代は76歳、私は48歳で、入社からは約20年が経っていました。
社員の生活を守るため、組織化と月給制に統一に踏み切る
私が代表に就任して最初に着手したのは組織化です。これまで、弊社では運搬業務と土木工事の2部門があったものの、部署としての明確な区分けがされていませんでした。そこで、土砂の運搬や重機作業を主とする重機土工部と、土木工事を行う土木工事部をつくり、それぞれの部署に部長職を設けました。部長職に就いた社員2人は、現場経験は豊富でしたが管理職は未経験であり、外部の幹部研修を受けてもらい、一般社員も階層別の社員教育を受けられるようにしながら、会社として目指してほしいスキルや目標などを可視化できるようにしていきました。社員それぞれの個人目標が定めやすくなり、組織全体で目標達成を後押しできるようにしていくことで、組織全体の意欲や社内の連携力も高まるだろうと期待しています。
続いて、弊社で働く社員の給与を全て月給制に統一しました。建設業界では、ダンプカーの運転手や重機のオペレーター、大工といった技能労働者は半数以上が日給制であり、稼働日数によって収入にばらつきがあります。弊社の事業に協力し、支えてくれている社員には給料の心配なく安定的な生活を送ってほしいと考え、日給から平均月収を割り出し、それを上回る金額での月給制にしました。
月給制を定めたきっかけは、10年ほど前に聞いた社員の話からでした。北海道から単身で働きに来ていたその社員は、貯金をしてマイホームを購入し、この埼玉県で家族とともに暮らそうと考えていました。家族を養いながら住宅を購入できる程度の収入はあったものの、住宅ローンの審査が下りず、希望していた新築物件を諦めざるを得なかったという話を聞きました。その話を聞いた時に感じた悔しさは10年経っても消えず、職業や働き方で夢や人生を諦めてほしくない、全ての社員が希望をもてる会社にしたいという強い想いがありました。しかし、これまで日給制で働いた分だけ給料をもらえていた社員たちにとっては、上限が設けられてしまったと捉えてしまうかもしれず、給与体系を月給制に統一する必要性を理解してもらえるように、全社員を集めて丁寧に説明し、1年間は様子を見てほしいとお願いをしました。導入当初は、稼げなくなるのではという不安や反発の声が上がりましたが、実際にトータルの年収が上がり、生活が安定するようになったことで、納得してもらうことができました。
また、給与体系の変更を説明する際には、会社として目指したい姿や新社長としての考えを理念としてまとめ、社員に配布しました。弊社の理念は「人々に愛され選ばれつづける企業」です。人々には、お客様をはじめ社員やその家族、地域の人まであらゆる人が含まれますが、理念は、現場で働く社員によって形になると考えています。
社長に就任したときはコロナ禍だったため、この理念と思いを文書にして社員に配布しました。理念を浸透させていくには時間はかかると思いますが、折に触れて伝え続けていくことで、理解してもらえたらと思っています。
生産性の向上とともに建設業界のイメージアップを図る
私の夢は、土木建築業界のイメージアップです。土木建築業は、社会になくてはならない存在です。人々が豊かで快適な生活を送るためには、建物はもちろん、道路などの交通インフラ、水道、下水、電気、ガスなどのライフラインの整備は欠かすことができません。しかし、従来からこの業界はきつい・汚い・危険という、いわゆる3Kと呼ばれてきました。加えて、給料が安い・休暇が少ない・かっこ悪いの6Kなどとも呼ばれることがあります。現場で汗を流して働く社員たちと社員の家族のためにも、最もお客様に近い地域の企業が生まれ変わり、少しずつでも業界のイメージアップを図っていくことが大切だと考えました。
そこで全社員の月給制への統一に続き、魅力的な会社づくりの取り組みの一つとして、88日だった年間休日を94日まで増やしました。建設業には工期があり、完了予定日に間に合わせるために、土日や祝日問わず現場は稼働し続けていましたが、人手不足もある中で、後続となる若手に関心を持ってもらうには魅力ある会社となっていかねばなりません。稼働日を減らしつつ収入と休日を確保し、さらに有給休暇も取得できるようにしていくには、生産性を上げる必要があります。社員一人ひとりが生産性にも意識して働けるような仕組みづくりとして2022年度から取り組み始めているのが、社員教育と人事評価制度です。管理職や階層別の人財育成の導入は初めてであり、さいたま経営人財塾での幹部研修などの外部研修を活用し、人財育成に力を入れ始めたところです。
並行して、社員がスキルアップしていくためのカリキュラム作りにも着手しました。会社として目指してほしいスキルや個人の成果を目に見える形にして、公正な評価ができるように人事評価制度を構築しているところです。頑張っている社員が報われる会社であり続けられるように、今後も働き方と生産性のバランスをみながら改善を続けていきたいと思っています。
社内制度を大きく変える一方で、会社の文化として残していきたいと感じているのは、仕事に取り組む真摯な姿勢です。先代は、時に「厳しすぎるのではないか?」と感じるほど仕事に対して真剣で、常に社員の先頭に立ち、全身全霊で仕事に取り組んでいました。その姿勢は現在の社員にもしっかりと受け継がれており、手を抜かない丁寧な仕事は会社としての信頼にも繋がっています。今後も大切に継承していくべき弊社の文化だと思っています。
業界の担い手不足が叫ばれて久しい現在は、若い人財が夢を抱いて働ける場として選ばれるようになっていきたいと思っています。まずは業界の中で光る企業となり、業界を魅力的なものに変えていきたい考えです。「人々に愛され選ばれつづける企業」の理念の通り、社員を大切にする経営をしていくことで、職人としての実直な仕事と信念を後続に引き継いできたいと思っています。
最終処分業の内製化により地域の豊かな暮らしと安全を守る
建設業に携わる者として、地元の三郷市の暮らしに直接関わる仕事に従事できていることに日々喜びを感じています。市内では、素掘りのままになっていた河川があり、整備に携わったことで「きれいになって嬉しい」「便利になった」「整備されて安心した」という声をいただきました。現場での苦労を忘れ、やりがいと誇りを感じます。
社長に就任後は大幅な改革に踏み切ったため、会社としては負担がかかりましたが、新たな運営体制を軌道に乗せることを最優先に取り組んできました。社内の刷新からは1年半ほどであり、今後の社員の成長と業績回復に期待しています。
今後の事業の展開としては、重機土工部に付帯する土砂の最終処分業務を内製化していきたいと考えています。日本は災害の多い国であり、大雨や洪水、地震などの大規模災害に備えて、安全な国土づくりが急務となっています。その一方で、2021年には不適切な盛土が原因で大規模な土石流災害が起こり、多くの命が奪われるという出来事がありました。盛土が原因となる崩落事故は全国で起こっており、2024年度に向けて宅地造成等規制法が改正されるなどの厳格化が進んでいます。現在は外部の最終処分業者に建設残土の処分を委託していますが、委託費の価格が上昇し続けており、最終処分の部分も自社で内製化できれば、お客様に価格転嫁せずに済み、地域の方々の安全安心な生活やインフラを自社で守ることができます。
私は、日本を代表する経営者の1人である稲盛和夫氏の「全従業員の物心両面の幸福を追求する」という言葉に共感しています。弊社の社員がいきいきと仕事をして幸せに暮らしていることが、周りの家族やお客様、サプライヤーの幸せにも繋がる、豊かな会社にしていきたいと思っています。縁あって働く社員を大切に育てながら、まずは働きやすい環境づくりに努め、ひいては土木建築業界の活性化にも結びついていくことを願っています。
先代が大型ダンプ1台で創業した土砂運搬事業がルーツ
弊社は1974年に先代である私の父が創業した会社です。茨城県出身の父は上京後、土木工事で発生する土砂などを運搬する大型ダンプトラックの運転手として働いていたそうです。その後、勤務先の社長から独立を促され、社員3人を連れて東京都足立区で創業し、引き続き土砂や砕石などの運搬を請負うようになりました。創業前年にはオイルショックがあったものの、建設投資額は公共・民間ともに伸び続けており、弊社の運搬業の稼働率も連動して右肩上がりとなり、1977年には個人事業から有限会社化し、1980年には株式会社化するなど、会社の規模も大きくなっていきました。事業内容も土砂の運搬だけではなく、油圧ショベルなどの重機を使った掘削、整地、積込み業務や、産業廃棄物の収集運搬業務にも対応できるように事業を拡充していきました。
文学部から土木工事業へ転向、修行先で施工管理の経験を積む
2代目の私は、創業の地である東京都足立区で生まれ、本社移転とともに埼玉県三郷市に引越しました。弊社への入社を決断したのは大学卒業後になります。それまでは家業を継ぐという考えはなく、高校生の頃からの夢である新聞記者を目指し、大学では日本文学を専攻しました。しかし就職氷河期により夢は叶わないまま大学を卒業することになり、就職先が見つからず家で悶々とした日々を過ごすうちに、働かずに家にいることへの申し訳ない気持ちが膨らみ、先代に頭を下げて入社を頼みこみました。先代は、私が入社するならいずれ後継者になるかもしれないと考えたのか「もうダンプ屋だけではやっていけない。外の会社で土木工事を覚えてこい」と言われ、先代の知り合いが経営する都内の建設会社でお世話になることになりました。
運搬と土木工事とでは業務内容が全く違い、競合になり得る他社の後継者を育てることは、本来はあまり歓迎されないはずです。しかし修行先の社長は、先代のことを「立派な人だ」と褒め「この人の息子なら」と修行先となることを引き受けてくれたそうです。私が小さな頃、先代は夜遅くまで働き、休日も仕事仲間とのゴルフでほとんど家におらず、経営者として外で働く姿は見たことがありませんでした。同業者が語る先代の姿は、始めのうちは別人の話のように思われましたが、修行先で働くうちに同業者やお客様など行く先々でも先代を褒められ、周りの方々の話から経営者としての先代の働きぶりを知ることとなりました。
弊社を創業した当時は、現在ほど請負契約の規定や法律が整備されておらず、依頼先の都合で値引きされ手形を切ることになるなど、努力が報われないことも多い時代でしたが、先代は真面目に仕事に取り組み続けました。その先代の姿を同業者やお客様は見ており、仕事を通じて縁が広がり、紹介などによってさらに仕事を得られるようになっていったそうです。これまで見てきた父としての先代の姿はほんの一面であり、仕事を通じて高い評価を頂いていることに驚くと同時に、尊敬の念を抱くようになりました。
修行先の建設会社に入社してからは、施工管理の現場監督として働き、道路や下水道の施工にあたりました。何もわからない状態から5年間現場で勉強をさせていただいた恩を返そうと、1年間無報酬で手伝いたいと申し出ましたが、そういうわけにはいかないと丁重に断られ、給料をいただきながらさらに1年間の修行を積みました。
品質管理の徹底により土木工事業者としての信頼性を高める
修行先から戻り、2002年の29歳の時に弊社へ入社してからは、土木事業に携わっており同時期に入社したベテランの社員と2人で土木工事部門を立ち上げました。土木工事には、民間工事と公共工事があります。土木工事の実績がない弊社が安定化を図りながら周囲から腕を認められるようになるには、公共工事の競争入札や厳格な検査をパスし、国や自治体から認められた健全な工事業者であることを実証することが必要だと考えました。お客様や同業者からは「本当にできるのか?」という目で見られることは珍しくありませんでしたが手を抜かず取り組み、初めて携わった公共工事では、施主による最終確認検査(竣工検査)で高い評価をいただくことができました。
その後は本社のある埼玉県三郷市のピアラシティ付近の造成工事の下請けとして入るなど、区画整理や宅地造成も絡む規模の大きな工事を受注できるようになり、土木工事部門も地元で認知されるようになっていきました。
先代とは入社後から同じ会社で働いてはいたものの、先代は創業時からの馴染みの民間業者を取引先としており、私は官公庁の公共工事を中心に請負っていたため、あまり接点はありませんでした。土木事業を立ち上げ軌道に乗せたからには、いつかは会社を継ぐことになるだろうとは思っていましたが、先代が事業の引継ぎについて考えや行動を示すことはなく、入社から10年を経てようやく承継について話を聞いてくれるようになりました。引退するならば、先代が担当していた部門の後継者を育てて引き継ぎの準備をしておいてくださいとお願いをしましたが、まだ準備ができていないとはぐらかされ続けていました。そして入社から19年が経った頃、同業の3社が同時に代替わりをして、社長就任を知らせるはがきが届きました。周りの動きを見て「そろそろうちも」と思ったのか、ようやく承継を決意し、2021年に私が2代目社長として会社を引継ぐこととなりました。先代は76歳、私は48歳で、入社からは約20年が経っていました。
社員の生活を守るため、組織化と月給制に統一に踏み切る
私が代表に就任して最初に着手したのは組織化です。これまで、弊社では運搬業務と土木工事の2部門があったものの、部署としての明確な区分けがされていませんでした。そこで、土砂の運搬や重機作業を主とする重機土工部と、土木工事を行う土木工事部をつくり、それぞれの部署に部長職を設けました。部長職に就いた社員2人は、現場経験は豊富でしたが管理職は未経験であり、外部の幹部研修を受けてもらい、一般社員も階層別の社員教育を受けられるようにしながら、会社として目指してほしいスキルや目標などを可視化できるようにしていきました。社員それぞれの個人目標が定めやすくなり、組織全体で目標達成を後押しできるようにしていくことで、組織全体の意欲や社内の連携力も高まるだろうと期待しています。
続いて、弊社で働く社員の給与を全て月給制に統一しました。建設業界では、ダンプカーの運転手や重機のオペレーター、大工といった技能労働者は半数以上が日給制であり、稼働日数によって収入にばらつきがあります。弊社の事業に協力し、支えてくれている社員には給料の心配なく安定的な生活を送ってほしいと考え、日給から平均月収を割り出し、それを上回る金額での月給制にしました。
月給制を定めたきっかけは、10年ほど前に聞いた社員の話からでした。北海道から単身で働きに来ていたその社員は、貯金をしてマイホームを購入し、この埼玉県で家族とともに暮らそうと考えていました。家族を養いながら住宅を購入できる程度の収入はあったものの、住宅ローンの審査が下りず、希望していた新築物件を諦めざるを得なかったという話を聞きました。その話を聞いた時に感じた悔しさは10年経っても消えず、職業や働き方で夢や人生を諦めてほしくない、全ての社員が希望をもてる会社にしたいという強い想いがありました。しかし、これまで日給制で働いた分だけ給料をもらえていた社員たちにとっては、上限が設けられてしまったと捉えてしまうかもしれず、給与体系を月給制に統一する必要性を理解してもらえるように、全社員を集めて丁寧に説明し、1年間は様子を見てほしいとお願いをしました。導入当初は、稼げなくなるのではという不安や反発の声が上がりましたが、実際にトータルの年収が上がり、生活が安定するようになったことで、納得してもらうことができました。
また、給与体系の変更を説明する際には、会社として目指したい姿や新社長としての考えを理念としてまとめ、社員に配布しました。弊社の理念は「人々に愛され選ばれつづける企業」です。人々には、お客様をはじめ社員やその家族、地域の人まであらゆる人が含まれますが、理念は、現場で働く社員によって形になると考えています。
社長に就任したときはコロナ禍だったため、この理念と思いを文書にして社員に配布しました。理念を浸透させていくには時間はかかると思いますが、折に触れて伝え続けていくことで、理解してもらえたらと思っています。
生産性の向上とともに建設業界のイメージアップを図る
私の夢は、土木建築業界のイメージアップです。土木建築業は、社会になくてはならない存在です。人々が豊かで快適な生活を送るためには、建物はもちろん、道路などの交通インフラ、水道、下水、電気、ガスなどのライフラインの整備は欠かすことができません。しかし、従来からこの業界はきつい・汚い・危険という、いわゆる3Kと呼ばれてきました。加えて、給料が安い・休暇が少ない・かっこ悪いの6Kなどとも呼ばれることがあります。現場で汗を流して働く社員たちと社員の家族のためにも、最もお客様に近い地域の企業が生まれ変わり、少しずつでも業界のイメージアップを図っていくことが大切だと考えました。
そこで全社員の月給制への統一に続き、魅力的な会社づくりの取り組みの一つとして、88日だった年間休日を94日まで増やしました。建設業には工期があり、完了予定日に間に合わせるために、土日や祝日問わず現場は稼働し続けていましたが、人手不足もある中で、後続となる若手に関心を持ってもらうには魅力ある会社となっていかねばなりません。稼働日を減らしつつ収入と休日を確保し、さらに有給休暇も取得できるようにしていくには、生産性を上げる必要があります。社員一人ひとりが生産性にも意識して働けるような仕組みづくりとして2022年度から取り組み始めているのが、社員教育と人事評価制度です。管理職や階層別の人財育成の導入は初めてであり、さいたま経営人財塾での幹部研修などの外部研修を活用し、人財育成に力を入れ始めたところです。
並行して、社員がスキルアップしていくためのカリキュラム作りにも着手しました。会社として目指してほしいスキルや個人の成果を目に見える形にして、公正な評価ができるように人事評価制度を構築しているところです。頑張っている社員が報われる会社であり続けられるように、今後も働き方と生産性のバランスをみながら改善を続けていきたいと思っています。
社内制度を大きく変える一方で、会社の文化として残していきたいと感じているのは、仕事に取り組む真摯な姿勢です。先代は、時に「厳しすぎるのではないか?」と感じるほど仕事に対して真剣で、常に社員の先頭に立ち、全身全霊で仕事に取り組んでいました。その姿勢は現在の社員にもしっかりと受け継がれており、手を抜かない丁寧な仕事は会社としての信頼にも繋がっています。今後も大切に継承していくべき弊社の文化だと思っています。
業界の担い手不足が叫ばれて久しい現在は、若い人財が夢を抱いて働ける場として選ばれるようになっていきたいと思っています。まずは業界の中で光る企業となり、業界を魅力的なものに変えていきたい考えです。「人々に愛され選ばれつづける企業」の理念の通り、社員を大切にする経営をしていくことで、職人としての実直な仕事と信念を後続に引き継いできたいと思っています。
最終処分業の内製化により地域の豊かな暮らしと安全を守る
建設業に携わる者として、地元の三郷市の暮らしに直接関わる仕事に従事できていることに日々喜びを感じています。市内では、素掘りのままになっていた河川があり、整備に携わったことで「きれいになって嬉しい」「便利になった」「整備されて安心した」という声をいただきました。現場での苦労を忘れ、やりがいと誇りを感じます。
社長に就任後は大幅な改革に踏み切ったため、会社としては負担がかかりましたが、新たな運営体制を軌道に乗せることを最優先に取り組んできました。社内の刷新からは1年半ほどであり、今後の社員の成長と業績回復に期待しています。
今後の事業の展開としては、重機土工部に付帯する土砂の最終処分業務を内製化していきたいと考えています。日本は災害の多い国であり、大雨や洪水、地震などの大規模災害に備えて、安全な国土づくりが急務となっています。その一方で、2021年には不適切な盛土が原因で大規模な土石流災害が起こり、多くの命が奪われるという出来事がありました。盛土が原因となる崩落事故は全国で起こっており、2024年度に向けて宅地造成等規制法が改正されるなどの厳格化が進んでいます。現在は外部の最終処分業者に建設残土の処分を委託していますが、委託費の価格が上昇し続けており、最終処分の部分も自社で内製化できれば、お客様に価格転嫁せずに済み、地域の方々の安全安心な生活やインフラを自社で守ることができます。
私は、日本を代表する経営者の1人である稲盛和夫氏の「全従業員の物心両面の幸福を追求する」という言葉に共感しています。弊社の社員がいきいきと仕事をして幸せに暮らしていることが、周りの家族やお客様、サプライヤーの幸せにも繋がる、豊かな会社にしていきたいと思っています。縁あって働く社員を大切に育てながら、まずは働きやすい環境づくりに努め、ひいては土木建築業界の活性化にも結びついていくことを願っています。
ツグナラコンサルタントによる紹介
社員やその家族の幸せを常に考えている、人を大切にする経営を実施されている企業様です。現社長になられてから、組織化や人事制度の刷新などの改革に取り組みながらも、真剣に仕事に取り組む姿勢は先代からしっかりと受け継がれています。
会社概要
社名 | 稲葉興業株式会社 |
創立年 | 1977年 |
代表者名 | 代表取締役 稲葉 欣真 |
資本金 | 3000万円 |
本社住所 |
341-0012 埼玉県三郷市半田1358-3 |
事業内容 | 土木工事一式請負 造成工事の請負 産業廃棄物収集運搬業 |
URL |
https://inabakougyou.co.jp/
|
会社沿革
1974年 | 稲葉欣民が個人事業として足立区で創業 |
1977年 | 有限会社稲葉興業を設立 |
1980年 | 稲葉興業株式会社に商号変更 |
1981年 | 建設業許可取得(一般) |
1982年 | 埼玉県三郷市に本社移転 |
1985年 | 産業廃棄物収集運搬許可取得(埼玉県) |
1988年 | 産業廃棄物収集運搬許可取得(東京都) |
1990年 | 産業廃棄物収集運搬許可取得(千葉県) |
2002年 | 増資(資本金23,000,000円) |
2004年 | 増資(資本金30,000,000円) |
2007年 | 新社屋 完成 |
2012年 | 建設業許可取得(特定) |
2013年 | 産業廃棄物収集運搬許可取得(茨城県) |
2021年 | 稲葉欣民が会長に就任 稲葉欣真が代表取締役に就任 |
稲葉興業株式会社の経営資源引継ぎ募集情報
公開日:2023/09/15
※本記事の内容および所属名称は2023年9月現在のものです。現在の情報とは異なる場合があります。