草加
草加市
顧客の理想を叶える唯一無二の製品を生み出すものづくり企業
ヒガノ株式会社
創業70年超のものづくり企業が挑戦する経営改革
経営理念
Mission
使命・存在意義
景観を引き立たせ、豊かさを創る
製品・サービスを通じて景観インフラの一翼を担い、機能的価値だけでなく情緒的価値を提供することによって人々の生活をより良いものにし、社会に貢献する
Vision
将来像・あるべき姿
お客様に寄り添い、機能とデザインで調和を生み出す唯一無二の会社を目指す
お客様の声を聞き、お客様の思いを理解し、お客様と共に考え、お客様の理想をカタチにすることに全力を尽くす
Value
価値観・行動指針
Be a Challenger
向上心を持って、失敗を恐れず、何事にも挑戦する
Be a Partner
誠実さとスピード感を持ち合わせ、徹底的に顧客の立場で考える
Be a Creator
品質にこだわりと責任を持ち、社会に対する新たな価値を顧客と共に創造する
代表者メッセージ
ヒガノ株式会社は設立以来70年以上に渡り、一貫して「モノづくり」に携わってきました。自社工場を持ち、優れた技術者による高度な製造・加工という強みを最大限に生かした「特注オーダーメイド対応」により、徹底的な顧客視点で、優れたデザインと機能性を持つ唯一無二の製品を提供しています。今後は、外構・ランドスケープ分野における取扱製品ラインナップを拡充していき、上流分野(企画・設計)や下流分野(施工・アフターケア)までの業務を弊社が一手に担える「一気通貫サービス」の強化を進めているところです。
2021年の事業承継を契機に経営理念(ミッション・ビジョン・バリュー)を策定し、社員とともにヒガノが進むべき方向性を打ち出しました。徹底した経営改革を実施し、人事理念を定め、仕事の成果が評価に繋がる公平で透明性の高い人事制度を策定しました。また、1on1などを活用したフラットで風通しのよい組織づくりにも力を入れています。
今後は弊社が培ってきた事業改革のスキームを活用し、何らかの理由で困っている他社の経営課題を手助けし、地域社会への貢献も行っていく考えです。
私たちのこだわり
ヒット商品をきっかけに大手メーカーの下請け工場として成長
弊社は鉄工所として1952年に創業した会社です。自社で開発・製造した空気加圧式「高砂石油コンロ」という製品がヒットしたことで業績を伸ばしました。創業者が亡くなり、現会長が25歳の時に会社を引継ぐと、バスケットゴールやコーヒーの焙煎機などの一点ものの製造を中心に行う事業にシフトしていきます。その後、車止めがヒットし、現在はLIXILに統合された東洋エクステリアの下請け工場として、車止めの大量生産を行うことになりました。
現在の主業である大型門扉やシェードやひさしなどの建築景観製品の製造に注力し始めたのは、1993年にオリジナルブランドである「プロ・フィット」を立ち上げてからからです。「プロ・フィット」という名称は、建築業界のプロのニーズにフィットした商品を展開したいという想いから先代社長が名付けたものです。
3代目である私が事業承継を行った現在は、これまで展開してきた「プロ・フィット」を活かしながら、外構・ランドスケープにおいて「点から面での提案力」を強化するため、新たな特注商品の製造・販売に力を入れています。トップレベルの建築家は、大量生産されている商品を好まない傾向にあり、唯一無二を可能にする特別注文に対するニーズは常に存在しているからです。しかし特別注文に対応できるメーカーは少なく、弊社はそのニーズに応えるため、自社工場での製造に加えて、小ロット対応が可能な工場との連携にも力を入れてきました。この施策が功を奏し、他メーカーとの差別化を図ることができています。
仕事の基礎を学んだ丸紅人事部時代
私は宮城県仙台市に生まれ、2歳の時に父の仕事の都合でジャマイカに転居し、そこで幼少期を過ごしました。帰国後は何度か引っ越しを繰り返し、最終的には埼玉県さいたま市に落ち着きます。
その後、早稲田大学に進学し、就職活動では商社を志望しました。これは幼少期のジャマイカでの生活からグローバルな仕事をしたいという考えと、高校生時代に野球を通じて身につけたチームプレーを活かしたいという想いからです。就職活動の結果、私は丸紅株式会社に入社しました。
入社1年目の配属は人事部でした。1年目は漠然と仕事に向き合っていましたが、2年目に異動してきた上司が「会社に来るのが楽しくなるチームにしたい」と話していたことに刺激を受け、仕事への取り組み方を変えました。具体的に目標を立てて、その目標の達成を目指すというスタイルに変えたところ、そのスタイルこそが仕事の楽しさにつながりました。
経営への強い思いから商社を辞めて義父の会社へ入社
丸紅で人事を経験した後に異動したのは営業部でした。その際にナイジェリアでの発電所建設プロジェクトにアサインされて、足掛け4年間日本を離れていました。その後、妻との結婚が決まり、妻の父(現会長)が経営するヒガノ株式会社を承継するという話が持ち上がります。以前から経営に携わりたいという思いがあった私は、丸紅を退職して、弊社・ヒガノ株式会社に入社することを決意しました。
弊社に入社後は、まず最終工程である梱包・組付けを担当している部署にはじまり、営業を中心に複数の部署でヒガノの仕事を経験しました。この期間は社内の雰囲気や働いている社員の人柄や性格、社員が抱いている会社への不満などを理解するうえで貴重な日々でした。同時に社員との心の距離を縮める期間でもありました。そして、2021年5月に事業承継し、代表取締役に就任しました。社内の様子や問題点は事業承継する前に理解できていため、事業承継後すぐに経営改革に着手しました。
事業承継後は大規模な経営改革に着手
経営改革として最初に着手したのは、経営理念や経営戦略などの策定です。事業承継前の弊社には経営理念や経営戦略がなく、社員は目指すべき方向性を見出せていない状況でした。実際、事業承継の直前まで所属していた営業部でも、経営理念・経営戦略に基づいた営業方針・計画がないことから、受動的に受注をさばくだけの部署であったのが実情でした。
そのような状況下で、私が一番初めに着手したのが経営理念(ミッション・ビジョン・バリュー)の再定義でした。この経営理念を決めるにあたり、全社アンケートを行ったり、「経営改革メンバー」という形でメンバーを選出してさまざまなワークショップを行ったりしました。これにより、目指すべき方向性と我々の差別化要因が明確になり、現在、経営理念として掲げている「ミッション(使命・存在意義)」「ビジョン(将来像・あるべき姿)」「バリュー(価値観・行動指針)」に落とし込むことができました。経営戦略も、この経営理念を基に作成しました。そしてこれらを全社的に浸透させるために、毎月1回全社集会を行っています。そこで繰り返し私が直接話しかけることで、企業文化として定着するまで浸透させていきたいと考えているところです。
自走できる人財の育成を目指す
経営改革にあたり人事制度を新たに導入しました。承継前の弊社にはそもそも人事制度が存在しなかったのですが、現在は社員一人一人がしっかりと結果を出し、成長を実感できることを目指して目標管理制度(MBO)を導入したり、1on1ミーティングを定期的に実施したり、代表の私が直接フィードバックする場を設けたりしているだけでなく、職位や賃金のテーブルを公開し、どうしたら昇格・昇給できるのかその条件を明確にし、公平性・透明性のある人事評価制度を導入し運用しています。
また、採用も積極的に行っています。既存社員のモチベーションを上げて活気が生まれても、既存社員のみの組織ではなかなか企業文化は変わりません。そこに新しい人財を投入することで、既存社員が刺激を受けたり、新たな文化が生まれたりするものだと考えています。
人財育成という部分では、自走できる社員を育成していきたいと考えています。自走とは、答えのないビジネスの現場で自ら計画を立て、それを仲間と共有し、実行に移せる社員をイメージしています。計画時点では完璧でなくても、いち早く行動に移し、PDCAを回してプロジェクトを動かしていける人財が理想です。守りに入った100点を取るのではなく、荒くても新しい60点を取る、そのような攻めのスタンスで主体的に行動して欲しいと考えています。
悩みを抱える企業に対して改善ノウハウを提供したい
現在、弊社は外構・ランドスケープ分野における商材の拡充を進めており、企画・設計や施工・アフターケアまで一貫したサービス提供できる体制づくりを目指しています。この目標の実現に向けて、M&Aを活用していきたいと考えています。さらに海外展開のノウハウを持っている企業との連携も考えています。
社会貢献的な部分では、弊社の経営改善ノウハウを他社で活かせるように現在準備を進めています。これは周囲の経営者から話を聞く中で、会社を後世に残したいと考えているものの、経営がうまくいっていない企業が多数あると痛感したからです。現在は経営者の相談に乗る程度に留まっていますが、今後は会社ごとのビジョンに寄り添った形で、経営が軌道に乗るまでを伴走していくサービスが展開できればと考えています。また、この施策が地域の企業の助けとなり、地域社会の貢献につながればと思っています。
ヒット商品をきっかけに大手メーカーの下請け工場として成長
弊社は鉄工所として1952年に創業した会社です。自社で開発・製造した空気加圧式「高砂石油コンロ」という製品がヒットしたことで業績を伸ばしました。創業者が亡くなり、現会長が25歳の時に会社を引継ぐと、バスケットゴールやコーヒーの焙煎機などの一点ものの製造を中心に行う事業にシフトしていきます。その後、車止めがヒットし、現在はLIXILに統合された東洋エクステリアの下請け工場として、車止めの大量生産を行うことになりました。
現在の主業である大型門扉やシェードやひさしなどの建築景観製品の製造に注力し始めたのは、1993年にオリジナルブランドである「プロ・フィット」を立ち上げてからからです。「プロ・フィット」という名称は、建築業界のプロのニーズにフィットした商品を展開したいという想いから先代社長が名付けたものです。
3代目である私が事業承継を行った現在は、これまで展開してきた「プロ・フィット」を活かしながら、外構・ランドスケープにおいて「点から面での提案力」を強化するため、新たな特注商品の製造・販売に力を入れています。トップレベルの建築家は、大量生産されている商品を好まない傾向にあり、唯一無二を可能にする特別注文に対するニーズは常に存在しているからです。しかし特別注文に対応できるメーカーは少なく、弊社はそのニーズに応えるため、自社工場での製造に加えて、小ロット対応が可能な工場との連携にも力を入れてきました。この施策が功を奏し、他メーカーとの差別化を図ることができています。
仕事の基礎を学んだ丸紅人事部時代
私は宮城県仙台市に生まれ、2歳の時に父の仕事の都合でジャマイカに転居し、そこで幼少期を過ごしました。帰国後は何度か引っ越しを繰り返し、最終的には埼玉県さいたま市に落ち着きます。
その後、早稲田大学に進学し、就職活動では商社を志望しました。これは幼少期のジャマイカでの生活からグローバルな仕事をしたいという考えと、高校生時代に野球を通じて身につけたチームプレーを活かしたいという想いからです。就職活動の結果、私は丸紅株式会社に入社しました。
入社1年目の配属は人事部でした。1年目は漠然と仕事に向き合っていましたが、2年目に異動してきた上司が「会社に来るのが楽しくなるチームにしたい」と話していたことに刺激を受け、仕事への取り組み方を変えました。具体的に目標を立てて、その目標の達成を目指すというスタイルに変えたところ、そのスタイルこそが仕事の楽しさにつながりました。
経営への強い思いから商社を辞めて義父の会社へ入社
丸紅で人事を経験した後に異動したのは営業部でした。その際にナイジェリアでの発電所建設プロジェクトにアサインされて、足掛け4年間日本を離れていました。その後、妻との結婚が決まり、妻の父(現会長)が経営するヒガノ株式会社を承継するという話が持ち上がります。以前から経営に携わりたいという思いがあった私は、丸紅を退職して、弊社・ヒガノ株式会社に入社することを決意しました。
弊社に入社後は、まず最終工程である梱包・組付けを担当している部署にはじまり、営業を中心に複数の部署でヒガノの仕事を経験しました。この期間は社内の雰囲気や働いている社員の人柄や性格、社員が抱いている会社への不満などを理解するうえで貴重な日々でした。同時に社員との心の距離を縮める期間でもありました。そして、2021年5月に事業承継し、代表取締役に就任しました。社内の様子や問題点は事業承継する前に理解できていため、事業承継後すぐに経営改革に着手しました。
事業承継後は大規模な経営改革に着手
経営改革として最初に着手したのは、経営理念や経営戦略などの策定です。事業承継前の弊社には経営理念や経営戦略がなく、社員は目指すべき方向性を見出せていない状況でした。実際、事業承継の直前まで所属していた営業部でも、経営理念・経営戦略に基づいた営業方針・計画がないことから、受動的に受注をさばくだけの部署であったのが実情でした。
そのような状況下で、私が一番初めに着手したのが経営理念(ミッション・ビジョン・バリュー)の再定義でした。この経営理念を決めるにあたり、全社アンケートを行ったり、「経営改革メンバー」という形でメンバーを選出してさまざまなワークショップを行ったりしました。これにより、目指すべき方向性と我々の差別化要因が明確になり、現在、経営理念として掲げている「ミッション(使命・存在意義)」「ビジョン(将来像・あるべき姿)」「バリュー(価値観・行動指針)」に落とし込むことができました。経営戦略も、この経営理念を基に作成しました。そしてこれらを全社的に浸透させるために、毎月1回全社集会を行っています。そこで繰り返し私が直接話しかけることで、企業文化として定着するまで浸透させていきたいと考えているところです。
自走できる人財の育成を目指す
経営改革にあたり人事制度を新たに導入しました。承継前の弊社にはそもそも人事制度が存在しなかったのですが、現在は社員一人一人がしっかりと結果を出し、成長を実感できることを目指して目標管理制度(MBO)を導入したり、1on1ミーティングを定期的に実施したり、代表の私が直接フィードバックする場を設けたりしているだけでなく、職位や賃金のテーブルを公開し、どうしたら昇格・昇給できるのかその条件を明確にし、公平性・透明性のある人事評価制度を導入し運用しています。
また、採用も積極的に行っています。既存社員のモチベーションを上げて活気が生まれても、既存社員のみの組織ではなかなか企業文化は変わりません。そこに新しい人財を投入することで、既存社員が刺激を受けたり、新たな文化が生まれたりするものだと考えています。
人財育成という部分では、自走できる社員を育成していきたいと考えています。自走とは、答えのないビジネスの現場で自ら計画を立て、それを仲間と共有し、実行に移せる社員をイメージしています。計画時点では完璧でなくても、いち早く行動に移し、PDCAを回してプロジェクトを動かしていける人財が理想です。守りに入った100点を取るのではなく、荒くても新しい60点を取る、そのような攻めのスタンスで主体的に行動して欲しいと考えています。
悩みを抱える企業に対して改善ノウハウを提供したい
現在、弊社は外構・ランドスケープ分野における商材の拡充を進めており、企画・設計や施工・アフターケアまで一貫したサービス提供できる体制づくりを目指しています。この目標の実現に向けて、M&Aを活用していきたいと考えています。さらに海外展開のノウハウを持っている企業との連携も考えています。
社会貢献的な部分では、弊社の経営改善ノウハウを他社で活かせるように現在準備を進めています。これは周囲の経営者から話を聞く中で、会社を後世に残したいと考えているものの、経営がうまくいっていない企業が多数あると痛感したからです。現在は経営者の相談に乗る程度に留まっていますが、今後は会社ごとのビジョンに寄り添った形で、経営が軌道に乗るまでを伴走していくサービスが展開できればと考えています。また、この施策が地域の企業の助けとなり、地域社会の貢献につながればと思っています。
ツグナラコンサルタントによる紹介
事業承継をきっかけに、経営革新をはじめ、社員さんの若返りにも成功している企業様です。経営戦略をどうやって描き、実行していくか、お手本になるようなツグナラ企業です。
会社概要
社名 | ヒガノ株式会社 |
創立年 | 1952年 |
代表者名 | 代表取締役社長 腹子 達朗 |
資本金 | 2000万円 |
本社住所 |
340-0002 埼玉県草加市青柳3丁目24番7号 |
事業内容 | 建築景観製品事業 貸倉庫事業 |
URL |
https://higano.co.jp/
|
会社沿革
1952年 | 日向野工業株式会社を設立1 |
1960年 | 空気加圧式「高砂石油コンロ」を開発、製造販売を開始 |
1970年 | 本社工場を建設 |
1973年 | 貸倉庫事業に進出 |
1974年 | 最初の実用新案を出願(車止め) 以後、各分野にわたり60有余の特許等の工業所有権を出願 |
1987年 | 株式会社ヒガノに社名変更 |
1993年 | プロ・フィットシリーズ発売開始 |
1994年 | グッドデザイン賞受賞(移動式パーティションポール) |
1995年 | 埼玉県工業デザイン大賞受賞(同上) グッドデザイン賞受賞(プロ・フィットムーブボラード) グッドデザイン賞受賞(プロ・フィットレイン) |
1997年 | グッドデザイン賞受賞(プロ・フィット ムーブボラード) グッドデザイン賞中小企業長官賞受賞(同上) |
2001年 | グッドデザイン賞受賞(プロ・フィット 庇) |
2002年 | 会社設立50周年 |
2003年 | 皇居周辺警備環境の改善で警視庁より感謝状授与 |
2009年 | 「プロ・フィット 庇(ひさし)」草加モノづくりブランド認定 特許庁より【産業財産権制度活用優良企業】として表彰 |
2010年 | レインカットECO発売 |
2013年 | ヒガノ株式会社に社名変更 「レインカットECO」草加モノづくりブランド認定 |
2022年 | 会社設立70周年 |
ヒガノ株式会社の経営資源引継ぎ募集情報
公開日:2023/05/26 (2023/06/08修正)
※本記事の内容および所属名称は2023年6月現在のものです。現在の情報とは異なる場合があります。