京都市伏見
京都市
多様な人財が躍動する大本染工の挑戦
大本染工株式会社
競争ではなく「共創」でアパレル業界の枠を越えての発展を目指す
経営理念
アパレル産業を越えた「共創」を目指す
今までの伝統や歴史に敬意を払いつつも、常に将来を見据えて行動する
捺染業界をリードし、業界の枠組みにとらわれずに躍進する
代表者メッセージ
弊社は、染色加工のプロフェッショナルとして、「染めることなら何でもお任せください」という姿勢で、これまで多くの実績を積み重ねてきました。1935年の創業から歴史を重ね、100年企業も視野に入ってくる老舗の企業として、時代に応じて、成長を続けてきました。
染色加工の業界は、手捺染からインクジェットプリンターの機械による加工に至るまで、これまでに何度もイノベーションが起きてきました。そのような時代の流れに乗りつつも、伝統的な技術も守ることで、弊社にしかできない加工を実現してきました。技術革新と伝統、歴史の融合が大本染工のアイデンティティであると考えています。
これからも染色に関する技術はどんどんと発展し、今は不可能とされていることでも、可能になっていくことが想定されます。そんなこれからの時代においても「染め物のことなら大本染工」と真っ先に思い出していただけるようなプロフェッショナル集団であり続けられるよう努力してまいります。
代表取締役社長 濱野 公達
私たちのこだわり
1935年の創業から現在に至るまでの道のり
弊社創業の歴史は、1935年にまで遡ります。細かいことは記録に残っていないのですが、私の姓である濱野家の長女が大本家に嫁ぎ、旦那さんと濱野家の長男が一緒に事業を始めたことが起源だそうです。
創業当時は製錬業を営んでいましたが、1975年に法人として設立された時には、現在の捺染(なっせん)業に移行していました。捺染とは、布地にプリント柄などの模様を施す技術のことで、弊社では着物から洋服に至るまで様々な布地に対応しています。会社設立以降、当時は日本全体の景気が良かったことから、アパレル産業も発展し、弊社も徐々に成長することができました。
私が物心ついた頃には父が弊社の代表を務めていました。私は、大学卒業後、金融機関に勤めましたが、2000年に父が病気を患ったことをきっかけに、弊社を父から継いでいく必要を感じ、弊社に入社しました。当初は回復した父のサポートからスタートし、共同代表という形へ移行、徐々に引継ぎを受け、私が社長に就任しました。私は、創業から数えると4代目で、会社設立から数えると3代目になります。
最新技術をいち早く導入したことで他社との差別化に成功
私が弊社に入社した頃に、父から新事業の立ち上げを依頼されました。今までの捺染業界では、大量に受注することで単価を抑えて大量に納品するという大量生産大量消費を前提とするビジネスモデルが主流でした。しかし、父はその頃から、いつしかこの大量生産大量消費のビジネスモデルでは、工賃の安い海外に仕事を奪われ、国内の産業が空洞化していくと考えており、今思い返すと当時としては先見の明があったなと感じています。
そんな父から、小ロット多品種で独自の付加価値を見出せるビジネスモデルを構築するという新事業を任せられることになりました。その新事業のための投資として、当時の捺染業界では珍しかったインクジェットプリンターを導入しました。インクジェットプリンターは、従来は紙への印刷に使われていましたが、その技術を応用して、衣類にも活用できるようになっていました。そこに着目し、京都の捺染業界でもいち早く新技術の活用に取り組み始めました。当時は今ほど、パソコンが普及していませんでしたが、その新技術の活用にあたっては、デジタル機器を扱うノウハウが必要でした。幸いなことに、私は当時としては珍しく大学時代からパソコンを扱っていたため、そのノウハウが新たな挑戦の役に立ちました。インクジェットの技術を活用することで、細かなオーダーにも応えられる体制を構築することができ、いち早く小ロット多品種を可能にしたことで他社との差別化に成功しました。
父が、新事業を新たな世代に任せてくれたことで、最新技術を活用することができました。インクジェットプリンターの導入は思い切った設備投資でしたが、これが弊社としてのターニングポイントだったと思います。
アパレル産業全体での「共創」を目指して
アパレル産業の中でも、弊社のように国内で衣類の製造に関わる事業者は減少傾向にありますが、私は、アパレル産業全体で「共創」することで生き残っていくことができると信じています。国内のアパレル産業縮小の背景には、ファストファッションの隆盛にともない、大量消費される衣類の多くは、製造拠点を海外に移していったことがあります。これは、父が以前より考えていたことが現実になったともいえると思います。
以前、交通渋滞に関する理論を述べた本を読んだことがあるのですが、この渋滞解消の方法が業界全体で躍進していくためのヒントになるのではないかと思っています。その本によると、交通渋滞の原因は、車間距離をつめ過ぎることにより、ブレーキを踏む回数が増えることにあるそうです。我々の業界においても、無用な競争をするのではなく、各々の企業ごとの強みを発揮し、「共創」していくことで業界全体としても前に進んで行くことができると考えています。そのため、弊社では、自社の工場だけで完結せずに、外部のネットワークを積極的に活用し、協力企業の強みを見極めたうえで、工程の一部を依頼しています。
また、弊社で現在取り扱っている素材は布地がメインですが、今後は合皮や本革など別の素材へも取り扱いの幅を広げていきたいと考えています。そうすることで、外部とのネットワークを更に広げていくための契機とし、「共創」を進めていきたいです。
得意な分野を活かせる多様な人財を積極的に採用
弊社では、業界の未経験者を採用することが多いです。別の業界出身者であれば、弊社のことを客観視できるし、新たな分野にも積極的に挑戦することができると考えているためです。最近入社した社員は、前職ではECショップの運営に携わっていました。弊社としても、SNSやECショップを立ち上げたいと思っていた時期だったので、彼の知見が非常にありがたいと感じています。これからも社員の多様性を認めて、それぞれの経験やスキルに応じて社内で活躍できる環境を整えていきたいと思います。そうすることで、社内でも競争ではなく、「共創」していくことのできる環境が醸成されていくと考えています。
今後は業界を越えて共創するための「ハブ」を目指す
弊社では、今後のビジョンとして「ハブ」という考え方を持っています。これは、前述した「共創」の考え方をアパレル業界にとどまらず、他の関連する業界にも広げていくための中心的な役割を弊社が担っていきたいというものです。日本全体としても人口が減少していき、外部環境の変化も激しい現代において、各業界ごとの取り組みだけでは十分な発展は難しい局面にさしかかっていると思います。だからこそ、業界の枠も越えて共に前に進んで行く姿勢が必要であり、その「共創の精神」を広げていくための役割を弊社が担っていきたいと考えています。
1935年の創業から現在に至るまでの道のり
弊社創業の歴史は、1935年にまで遡ります。細かいことは記録に残っていないのですが、私の姓である濱野家の長女が大本家に嫁ぎ、旦那さんと濱野家の長男が一緒に事業を始めたことが起源だそうです。
創業当時は製錬業を営んでいましたが、1975年に法人として設立された時には、現在の捺染(なっせん)業に移行していました。捺染とは、布地にプリント柄などの模様を施す技術のことで、弊社では着物から洋服に至るまで様々な布地に対応しています。会社設立以降、当時は日本全体の景気が良かったことから、アパレル産業も発展し、弊社も徐々に成長することができました。
私が物心ついた頃には父が弊社の代表を務めていました。私は、大学卒業後、金融機関に勤めましたが、2000年に父が病気を患ったことをきっかけに、弊社を父から継いでいく必要を感じ、弊社に入社しました。当初は回復した父のサポートからスタートし、共同代表という形へ移行、徐々に引継ぎを受け、私が社長に就任しました。私は、創業から数えると4代目で、会社設立から数えると3代目になります。
最新技術をいち早く導入したことで他社との差別化に成功
私が弊社に入社した頃に、父から新事業の立ち上げを依頼されました。今までの捺染業界では、大量に受注することで単価を抑えて大量に納品するという大量生産大量消費を前提とするビジネスモデルが主流でした。しかし、父はその頃から、いつしかこの大量生産大量消費のビジネスモデルでは、工賃の安い海外に仕事を奪われ、国内の産業が空洞化していくと考えており、今思い返すと当時としては先見の明があったなと感じています。
そんな父から、小ロット多品種で独自の付加価値を見出せるビジネスモデルを構築するという新事業を任せられることになりました。その新事業のための投資として、当時の捺染業界では珍しかったインクジェットプリンターを導入しました。インクジェットプリンターは、従来は紙への印刷に使われていましたが、その技術を応用して、衣類にも活用できるようになっていました。そこに着目し、京都の捺染業界でもいち早く新技術の活用に取り組み始めました。当時は今ほど、パソコンが普及していませんでしたが、その新技術の活用にあたっては、デジタル機器を扱うノウハウが必要でした。幸いなことに、私は当時としては珍しく大学時代からパソコンを扱っていたため、そのノウハウが新たな挑戦の役に立ちました。インクジェットの技術を活用することで、細かなオーダーにも応えられる体制を構築することができ、いち早く小ロット多品種を可能にしたことで他社との差別化に成功しました。
父が、新事業を新たな世代に任せてくれたことで、最新技術を活用することができました。インクジェットプリンターの導入は思い切った設備投資でしたが、これが弊社としてのターニングポイントだったと思います。
アパレル産業全体での「共創」を目指して
アパレル産業の中でも、弊社のように国内で衣類の製造に関わる事業者は減少傾向にありますが、私は、アパレル産業全体で「共創」することで生き残っていくことができると信じています。国内のアパレル産業縮小の背景には、ファストファッションの隆盛にともない、大量消費される衣類の多くは、製造拠点を海外に移していったことがあります。これは、父が以前より考えていたことが現実になったともいえると思います。
以前、交通渋滞に関する理論を述べた本を読んだことがあるのですが、この渋滞解消の方法が業界全体で躍進していくためのヒントになるのではないかと思っています。その本によると、交通渋滞の原因は、車間距離をつめ過ぎることにより、ブレーキを踏む回数が増えることにあるそうです。我々の業界においても、無用な競争をするのではなく、各々の企業ごとの強みを発揮し、「共創」していくことで業界全体としても前に進んで行くことができると考えています。そのため、弊社では、自社の工場だけで完結せずに、外部のネットワークを積極的に活用し、協力企業の強みを見極めたうえで、工程の一部を依頼しています。
また、弊社で現在取り扱っている素材は布地がメインですが、今後は合皮や本革など別の素材へも取り扱いの幅を広げていきたいと考えています。そうすることで、外部とのネットワークを更に広げていくための契機とし、「共創」を進めていきたいです。
得意な分野を活かせる多様な人財を積極的に採用
弊社では、業界の未経験者を採用することが多いです。別の業界出身者であれば、弊社のことを客観視できるし、新たな分野にも積極的に挑戦することができると考えているためです。最近入社した社員は、前職ではECショップの運営に携わっていました。弊社としても、SNSやECショップを立ち上げたいと思っていた時期だったので、彼の知見が非常にありがたいと感じています。これからも社員の多様性を認めて、それぞれの経験やスキルに応じて社内で活躍できる環境を整えていきたいと思います。そうすることで、社内でも競争ではなく、「共創」していくことのできる環境が醸成されていくと考えています。
今後は業界を越えて共創するための「ハブ」を目指す
弊社では、今後のビジョンとして「ハブ」という考え方を持っています。これは、前述した「共創」の考え方をアパレル業界にとどまらず、他の関連する業界にも広げていくための中心的な役割を弊社が担っていきたいというものです。日本全体としても人口が減少していき、外部環境の変化も激しい現代において、各業界ごとの取り組みだけでは十分な発展は難しい局面にさしかかっていると思います。だからこそ、業界の枠も越えて共に前に進んで行く姿勢が必要であり、その「共創の精神」を広げていくための役割を弊社が担っていきたいと考えています。
会社概要
社名 | 大本染工株式会社 |
創立年 | 1935年 |
代表者名 | 代表取締役社長 濱野 公達 |
資本金 | 2000万円 |
本社住所 |
612-8244 京都府京都市伏見区横大路千両松町201番地 |
事業内容 | 婦人衣料・スポーツ衣料・産業資材などの捺染 |
URL |
https://omotosenko.com/
|
会社沿革
1935年 | 濱野兼吉・大本日出男の共同事業として京都市右京区西京極中沢町で精練業を創業 |
1948年 | 日の出特殊練染有限会社を京都市右京区西京極畑田町に設立 |
1953年 | 大本日出男急逝のため一端解散。大本文男が個人事業として捺染業を承継 |
1975年 | 京都市右京区西京極南方町63を登記面の本社として法人設立。大本文男が代表取締役社長に就任 |
1977年 | 京都市伏見区横大路千両松町201に新工場を建設し移転 |
1980年 | 大本文男死去により、濱野幸夫が代表取締役社長に就任 |
1985年 | 資本金を2,000万円に増資 |
1995年 | フラットスクリーン捺染機とHT連続スチーマを導入 |
2000年 | 分散染料用インクジェットプリンタ(IJP)1号機導入 |
2001年 | 反応染料用IJP1台増設 |
2002年 | 分散染料用IJP1台増設 |
2003年 | 分散染料用、反応染料用IJP各1台増設 反応染料用IJP1台増設 |
2005年 | 反応染料用IJP高速V型機1台を導入 |
2007年 | 分散染料用IJP高速V型機1台を導入 |
2010年 | 反応染料用IJPⅦ型機1台導入 |
2012年 | 分散染料用IJPⅦ型機1台導入 |
2018年 | 昇華転写用IJP2台導入 |
2021年 | 昇華転写用IJP2台増設 |
2022年 | UV用IJP2台導入 反応・分散染料用IJP各1台増設 |
大本染工株式会社の経営資源引継ぎ募集情報
公開日:2024/02/08
※本記事の内容および所属名称は2024年2月現在のものです。現在の情報とは異なる場合があります。