京都市左京
京都市
引継ぎ実績あり
高品質な解体と業界イメージの改革を進める先駆者
株式会社沖潮開発
どんな困難もチャンスに変えて未来を果敢に切り拓く
経営理念
「プライドと責任」
常に自分の良心に耳を傾け、誠実に、日々進化し続ける
「プロフェッショナル」
常にお客様の喜びを基準に、関わる人全ての想いを大切にする
「全員が営業の顔」
当たり前を守り、他にないを追求する
代表者メッセージ
弊社は、1989年に創業しました。若さと勢いで突っ走ってきた会社ですが、その過程では不法投棄や石綿含有物の問題など、解体工事を取り巻くネガティブなニュースも少なくありませんでした。弊社は、こうした問題に対して他社に先駆けて取り組み、従来の解体工事のイメージを根本的に変えるという大きな目的をひとつずつ実現してきました。
弊社が大切にしているのは、「危険に慣れるな!」「汚さに慣れるな!」という、従来の解体工事につきまとっていたイメージを解消するための取り組みと、「皆が営業の顔を持て!」という仕事に対する心がけです。仕事の姿勢として礼儀やマナーを徹底し、お客さまだけでなく、現場の近隣におられる方々にも満足していただける人財育成を進めています。
これからも、質にこだわる解体工事という価値観を広く発信していきたいと考えております。
本業である解体工事以外にもさまざまな事業を展開し、今後も魅力ある企業として成長を続けていきます。
代表取締役 沖潮 吉績
私たちのこだわり
品質の高い解体工事に注力し急成長
弊社は、ビルや住宅等の解体工事を主軸に、不動産の売買や宿泊事業なども手掛けています。1989年、私が22歳で創業した時は、解体現場でコンクリートやアスファルトを切削する斫り(はつり)工事が専門の小さな会社でした。
創業直後は、建設業界が未経験の社員と私の2人体制でのスタートでした。社員に仕事を教えつつ、現場作業をこなすため、なかなか営業まで手が回りませんでした。ありがたいことに、同業者から仕事を回してもらうことができ、「どんな仕事でも感謝を忘れず誠実・丁寧にやろう」という一心で取り組みました。その姿勢が功を奏して、「沖潮の仕事は質がいい」と評価いただくようになり、次第に各所から声がかかるようになっていきました。様々なご要望にお応えしていくために、斫り工事だけではなく、重機を使った大規模な解体工事にも業務の幅を広げていきました。
少しずつ職人も増え、創業から7年後に法人化しました。しかし20代の社長ということもあって、大手企業や銀行には相手にされず、悔しい思いをしました。それでも目の前の仕事を実直に行い、一歩一歩前に進んでまいりました。
弊社の転機の一つとなったのが、阪神大震災後の復興事業で、特に耐震補強工事の領域においては我々も復興へ向けてお役に立てたのではないかと思っています。震災の教訓をいかして、建造物の耐震性を高めるための補強が求められましたが、今まで経験したことのないような大地震に備えて、どのように補強するか、大手ゼネコンでも手探りの状態でした。そんな中弊社では、高速道路の運行を妨げずに橋桁を固定する方法など様々な特殊技術や工法を学び、耐震補強工事の実績と信頼を積んでいきました。
これまでの実績や良好な施工管理体制が評価され、京都市によるAクラス認定も取得しています。
ラグビーと組織づくりの共通点は「精神」にあり
私の実家は、あまり裕福ではありませんでした。高校進学を諦めて就職しようかと考えていたほどだったのですが、幸運にもラグビーの特待生として高校に進学することができました。高校1年生のときから全国大会へ出場し、ラグビーで大学の推薦も決まり、将来は教師をしながら学生にラグビーを教えたいという夢を抱いて練習に打ち込んでいました。しかし、そんなときにケガをきっかけにラグビーが続けられなくなり、その後、建設会社に就職し斫り職人としての修行を積み、独立へと至りました。
ラグビーを教えるという夢は経たれてしまいましたが、このスポーツを通じて多くのことを学びました。ラグビーは相手を尊敬して初めて成り立つ紳士のスポーツと言われています。「品位・情熱・結束・規律・尊重」の意識を選手だけではなくコーチや関係者全員が共有すべき価値観としています。2019年のワールドカップ日本大会で日本代表がスローガンとしていた『ONE TEAM』という言葉は、まさにラグビーの精神や価値観を表したものだと思います。
学生の頃から私の中に浸透しているこのようなラグビーの精神は、弊社の在り方を模索する上で大切にしているスタンスになっています。社員一人一人が自身の得意分野を把握し挑戦心を持ち、そして社員全員がお互いに個人を尊重しながら一丸となって、最高の仕事をするような組織づくりを行っています。
現場の振る舞いから業界イメージを変えていく
解体業は、ものづくりのファーストステップであり、クリエイティビティが必要とされる現場です。私は、創業当初から解体業のイメージ向上に注力しています。特に重点を置いているのが、若手の育成と意識改革です。「危険に慣れるな!」「汚さに慣れるな!」「皆が営業の顔を」という3点をモットーとし、指導し続けてきました。
解体作業は、どうしても騒音や振動、ホコリが発生するものです。それを当たり前だと考えず、極力抑えるように努力と工夫を重ね、周りに迷惑をかけないように最大限の配慮をするのが弊社のクリエイティブであり、ポリシーです。今では、若い社員でも「近所の人たちを驚かせてしまうような作業をするわけにはいかない」と、信念を持って働いてくれています。
しかし、解体業や、解体に携わっている職人は、未だに「汚い」「荒っぽい」「怖い」といったネガティブなイメージを持たれているのも現実です。作業場所の近くにお住まいの方や、道路を通行する方々の目線に立ち、現場を離れる時は掃除をする、近隣の方に会ったら挨拶をするといった礼儀やマナー、身だしなみも徹底しています。業界ではいち早く、ハラスメント問題や環境問題にも率先して取り組み、社長である私の考えを社員が実行してくれています。これは、社員を集めてミーティングを重ね、思いを伝え続けた結果だと考えています。
脳出血を経験して人生設計を軌道修正
弊社は、多角化経営で一回り大きく成長することが出来ました。現在では、売上の1/3は解体業以外の事業です。
多角化経営に舵を切ったきっかけは、私が脳出血で倒れたことです。「50歳で引退する」を目標に、次世代に事業を引き継ぐ準備をしていた矢先のことでした。引き継ぎの準備をしていたため、病に倒れたとしても、会社の事業に大きな影響があったわけではありませんが、私自身は左半身に麻痺が残ってしまいました。半年間の入院とリハビリの最中は、思い通りに動かない身体がもどかしく「自分は、もう社会に通用しないのではないか」という不安を抱えて過ごしました。なんとか歩けるまでに回復し、復帰の目処がついたところで「人生をやり直すつもりで、新しいビジネスでチャレンジをしよう」と決心したのです。
まず注力したのは、不動産業です。家屋やビルを解体した後、土地の所有者から不動産売買の相談を受けることはよくあるため、解体業の延長としてスムーズに取り扱いを増やすことができました。更に、インバウンド需要を狙って、事業計画書を一から作って金融機関から融資を受け、宿泊施設をオープンしました。
魅力のある職場環境で有意義に働き続けてほしい
創業時から社員の教育に力を入れてきましたが、現場のマネジメントができる中堅社員は定着している一方で、未来を担う若手層の定着率には課題を感じています。若手社員が希望と目標を持って働けるよう、評価制度や外部の研修などを取り入れている最中です。
以前の私は50歳での引退を考えていましたが、今はより社員が有意義に仕事をできる環境を整備するために真剣に向き合っています。
若手が現場で年収1000万円を稼ぎ、ゆくゆくは管理職として采配を振るうような未来を描ける会社を目指しています。解体現場では、体力が必要であり、高齢になってくると体力的に厳しくなってくるケースも多いですが、事業を多角化したことで、解体現場で働き続けることに不安のある社員が新たなポジションを得て、弊社でずっと働き続けられる環境も整いました。
私は、これまで、努力と根性で必死に困難に立ち向かい、強い心で乗り越えてきたという自負がありました。しかし、病に倒れ、どんなに心を強く持っても、手足が思うように動いてくれないという無力感を体験し、考え方が少し変わりました。人間の本当の優しさとは、相手の弱さを理解し、受け入れることだとより強く感じ、社員にもその思いを持って接するようにしています。
M&Aも視野に入れた事業拡大で社員に報いる
今後は、弊社の主軸である解体業とシナジーが得られる業種の企業とも手を組んでいきたいと考えています。最近では、硬化前のコンクリートを流し込む型枠を組む企業とのM&Aを行い、株式を取得しました。同じ建設業界でも、型枠と解体はあまり関連性がありませんが、その会社は、弊社がこれまで取引のなかった大手ゼネコンの一次下請として力を持つ優良企業でした。先方も、型枠だけでは成長が頭打ちで、新たな事業領域を模索していたこともあって、弊社と共に歩む道を選択してくれました。今回譲受側として手を上げたのは、弊社よりも規模の大きな会社ばかりだったのですが、弊社の解体事業に将来性を感じて、弊社といっしょに歩むことを選択してくれました。
建設業界では、多重下請け構造になることが多く、どのポジションで仕事を取るかが肝心です。現場の若手社員に報いるためには、優良企業の一次下請となり、受注単価を上げていく必要があります。そのような会社のベースを作るための布石として、M&Aも積極的に行っていきたいと思います。
真のリサイクルを実現して社会に貢献したい
解体業と産業廃棄物は切り離すことができません。弊社では、産業廃棄物収集運搬許可やアスベスト除去工事、ISO140001認証の取得などに取り組んできました。
今後、産業廃棄物をゼロにするための、オールリサイクルができるプラントを作りたいと考えています。以前、中間処理施設を作ったことがありますが、処理したものを実際に再利用する環境がまだ整っておらず、時期尚早であり断念した経緯があります。
現在の世間一般でリサイクルと呼ばれることでも、その真の目的からはずれてしまっていることも多いのではないかと感じます。たとえば、木くずをチップにしても、最終的には焼却されてしまいます。コンクリートの瓦礫を細かく砕いて砕石にしても、路盤を作る現場で選ばれるのは山から削った砕石であるケースがほとんどです。処理したものが実際に再利用されてなければ、真のリサイクルとは言えません。
石膏ボードのくずから再び石膏ボードを作ったり、木くずを圧縮して木材にしたりといった、真のリサイクルができるプラントを構築していくことで、環境負荷を少しでも押さえながら、よりクリーンな環境を未来へと繋げていくことが、弊社の使命だと考えて、取り組んでいきます。
品質の高い解体工事に注力し急成長
弊社は、ビルや住宅等の解体工事を主軸に、不動産の売買や宿泊事業なども手掛けています。1989年、私が22歳で創業した時は、解体現場でコンクリートやアスファルトを切削する斫り(はつり)工事が専門の小さな会社でした。
創業直後は、建設業界が未経験の社員と私の2人体制でのスタートでした。社員に仕事を教えつつ、現場作業をこなすため、なかなか営業まで手が回りませんでした。ありがたいことに、同業者から仕事を回してもらうことができ、「どんな仕事でも感謝を忘れず誠実・丁寧にやろう」という一心で取り組みました。その姿勢が功を奏して、「沖潮の仕事は質がいい」と評価いただくようになり、次第に各所から声がかかるようになっていきました。様々なご要望にお応えしていくために、斫り工事だけではなく、重機を使った大規模な解体工事にも業務の幅を広げていきました。
少しずつ職人も増え、創業から7年後に法人化しました。しかし20代の社長ということもあって、大手企業や銀行には相手にされず、悔しい思いをしました。それでも目の前の仕事を実直に行い、一歩一歩前に進んでまいりました。
弊社の転機の一つとなったのが、阪神大震災後の復興事業で、特に耐震補強工事の領域においては我々も復興へ向けてお役に立てたのではないかと思っています。震災の教訓をいかして、建造物の耐震性を高めるための補強が求められましたが、今まで経験したことのないような大地震に備えて、どのように補強するか、大手ゼネコンでも手探りの状態でした。そんな中弊社では、高速道路の運行を妨げずに橋桁を固定する方法など様々な特殊技術や工法を学び、耐震補強工事の実績と信頼を積んでいきました。
これまでの実績や良好な施工管理体制が評価され、京都市によるAクラス認定も取得しています。
ラグビーと組織づくりの共通点は「精神」にあり
私の実家は、あまり裕福ではありませんでした。高校進学を諦めて就職しようかと考えていたほどだったのですが、幸運にもラグビーの特待生として高校に進学することができました。高校1年生のときから全国大会へ出場し、ラグビーで大学の推薦も決まり、将来は教師をしながら学生にラグビーを教えたいという夢を抱いて練習に打ち込んでいました。しかし、そんなときにケガをきっかけにラグビーが続けられなくなり、その後、建設会社に就職し斫り職人としての修行を積み、独立へと至りました。
ラグビーを教えるという夢は経たれてしまいましたが、このスポーツを通じて多くのことを学びました。ラグビーは相手を尊敬して初めて成り立つ紳士のスポーツと言われています。「品位・情熱・結束・規律・尊重」の意識を選手だけではなくコーチや関係者全員が共有すべき価値観としています。2019年のワールドカップ日本大会で日本代表がスローガンとしていた『ONE TEAM』という言葉は、まさにラグビーの精神や価値観を表したものだと思います。
学生の頃から私の中に浸透しているこのようなラグビーの精神は、弊社の在り方を模索する上で大切にしているスタンスになっています。社員一人一人が自身の得意分野を把握し挑戦心を持ち、そして社員全員がお互いに個人を尊重しながら一丸となって、最高の仕事をするような組織づくりを行っています。
現場の振る舞いから業界イメージを変えていく
解体業は、ものづくりのファーストステップであり、クリエイティビティが必要とされる現場です。私は、創業当初から解体業のイメージ向上に注力しています。特に重点を置いているのが、若手の育成と意識改革です。「危険に慣れるな!」「汚さに慣れるな!」「皆が営業の顔を」という3点をモットーとし、指導し続けてきました。
解体作業は、どうしても騒音や振動、ホコリが発生するものです。それを当たり前だと考えず、極力抑えるように努力と工夫を重ね、周りに迷惑をかけないように最大限の配慮をするのが弊社のクリエイティブであり、ポリシーです。今では、若い社員でも「近所の人たちを驚かせてしまうような作業をするわけにはいかない」と、信念を持って働いてくれています。
しかし、解体業や、解体に携わっている職人は、未だに「汚い」「荒っぽい」「怖い」といったネガティブなイメージを持たれているのも現実です。作業場所の近くにお住まいの方や、道路を通行する方々の目線に立ち、現場を離れる時は掃除をする、近隣の方に会ったら挨拶をするといった礼儀やマナー、身だしなみも徹底しています。業界ではいち早く、ハラスメント問題や環境問題にも率先して取り組み、社長である私の考えを社員が実行してくれています。これは、社員を集めてミーティングを重ね、思いを伝え続けた結果だと考えています。
脳出血を経験して人生設計を軌道修正
弊社は、多角化経営で一回り大きく成長することが出来ました。現在では、売上の1/3は解体業以外の事業です。
多角化経営に舵を切ったきっかけは、私が脳出血で倒れたことです。「50歳で引退する」を目標に、次世代に事業を引き継ぐ準備をしていた矢先のことでした。引き継ぎの準備をしていたため、病に倒れたとしても、会社の事業に大きな影響があったわけではありませんが、私自身は左半身に麻痺が残ってしまいました。半年間の入院とリハビリの最中は、思い通りに動かない身体がもどかしく「自分は、もう社会に通用しないのではないか」という不安を抱えて過ごしました。なんとか歩けるまでに回復し、復帰の目処がついたところで「人生をやり直すつもりで、新しいビジネスでチャレンジをしよう」と決心したのです。
まず注力したのは、不動産業です。家屋やビルを解体した後、土地の所有者から不動産売買の相談を受けることはよくあるため、解体業の延長としてスムーズに取り扱いを増やすことができました。更に、インバウンド需要を狙って、事業計画書を一から作って金融機関から融資を受け、宿泊施設をオープンしました。
魅力のある職場環境で有意義に働き続けてほしい
創業時から社員の教育に力を入れてきましたが、現場のマネジメントができる中堅社員は定着している一方で、未来を担う若手層の定着率には課題を感じています。若手社員が希望と目標を持って働けるよう、評価制度や外部の研修などを取り入れている最中です。
以前の私は50歳での引退を考えていましたが、今はより社員が有意義に仕事をできる環境を整備するために真剣に向き合っています。
若手が現場で年収1000万円を稼ぎ、ゆくゆくは管理職として采配を振るうような未来を描ける会社を目指しています。解体現場では、体力が必要であり、高齢になってくると体力的に厳しくなってくるケースも多いですが、事業を多角化したことで、解体現場で働き続けることに不安のある社員が新たなポジションを得て、弊社でずっと働き続けられる環境も整いました。
私は、これまで、努力と根性で必死に困難に立ち向かい、強い心で乗り越えてきたという自負がありました。しかし、病に倒れ、どんなに心を強く持っても、手足が思うように動いてくれないという無力感を体験し、考え方が少し変わりました。人間の本当の優しさとは、相手の弱さを理解し、受け入れることだとより強く感じ、社員にもその思いを持って接するようにしています。
M&Aも視野に入れた事業拡大で社員に報いる
今後は、弊社の主軸である解体業とシナジーが得られる業種の企業とも手を組んでいきたいと考えています。最近では、硬化前のコンクリートを流し込む型枠を組む企業とのM&Aを行い、株式を取得しました。同じ建設業界でも、型枠と解体はあまり関連性がありませんが、その会社は、弊社がこれまで取引のなかった大手ゼネコンの一次下請として力を持つ優良企業でした。先方も、型枠だけでは成長が頭打ちで、新たな事業領域を模索していたこともあって、弊社と共に歩む道を選択してくれました。今回譲受側として手を上げたのは、弊社よりも規模の大きな会社ばかりだったのですが、弊社の解体事業に将来性を感じて、弊社といっしょに歩むことを選択してくれました。
建設業界では、多重下請け構造になることが多く、どのポジションで仕事を取るかが肝心です。現場の若手社員に報いるためには、優良企業の一次下請となり、受注単価を上げていく必要があります。そのような会社のベースを作るための布石として、M&Aも積極的に行っていきたいと思います。
真のリサイクルを実現して社会に貢献したい
解体業と産業廃棄物は切り離すことができません。弊社では、産業廃棄物収集運搬許可やアスベスト除去工事、ISO140001認証の取得などに取り組んできました。
今後、産業廃棄物をゼロにするための、オールリサイクルができるプラントを作りたいと考えています。以前、中間処理施設を作ったことがありますが、処理したものを実際に再利用する環境がまだ整っておらず、時期尚早であり断念した経緯があります。
現在の世間一般でリサイクルと呼ばれることでも、その真の目的からはずれてしまっていることも多いのではないかと感じます。たとえば、木くずをチップにしても、最終的には焼却されてしまいます。コンクリートの瓦礫を細かく砕いて砕石にしても、路盤を作る現場で選ばれるのは山から削った砕石であるケースがほとんどです。処理したものが実際に再利用されてなければ、真のリサイクルとは言えません。
石膏ボードのくずから再び石膏ボードを作ったり、木くずを圧縮して木材にしたりといった、真のリサイクルができるプラントを構築していくことで、環境負荷を少しでも押さえながら、よりクリーンな環境を未来へと繋げていくことが、弊社の使命だと考えて、取り組んでいきます。
会社概要
社名 | 株式会社沖潮開発 |
創立年 | 1989年 |
代表者名 | 代表取締役 沖潮 吉績 |
資本金 | 3000万円 |
本社住所 |
606-0005 京都府京都市左京区岩倉南池田町77番地 075-701-7713 |
事業内容 | 建築物解体、岩・基礎・擁壁取壊し、その他解体工事全般、ダイヤモンドコア工事、斫り工事、アスベスト除去工事、土木工事、建築工事、不動産取引業 |
URL |
https://www.okishio.co.jp/
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会社沿革
1989年 | 創業 |
1996年 | 株式会社沖潮開発 設立 |
株式会社沖潮開発の経営資源引継ぎ募集情報
公開日:2024/01/11
※本記事の内容および所属名称は2024年1月現在のものです。現在の情報とは異なる場合があります。