宇治
宇治市
お弁当づくりを通じてお客様と社員の幸せを実現
角井食品株式会社
他社には真似できない「ひと手間」へのこだわり
経営理念
「食文化の創造を通じて、社会に貢献し、全社員の幸せを実現する」
9つの約束
- 私たちは、特徴のない商品はつくりません。
- 私たちは、家庭の味の再現を目指します。
- 私たちは、すべての工程で記録を欠かさず残します。
- 私たちは、すべての工程で殺菌の作業を欠かしません。
- 私たちは、品質保持に適した温度管理を徹底します。
- 私たちは、保存時間・販売方法などを考慮した上で、均質なおいしさを保つための工夫を行います。
- 私たちは、自分たちの舌で、おいしさへの探求を続けます。
- 私たちは、夢を持って仕事に取り組みます。
- 私たちは、関西を中心とする地域社会に、役立つ企業を目指します。
代表者メッセージ
創業以来、安心安全そして「ひと手間」をかけたサンドイッチやお弁当を地域の方々にご提供しています。召し上がるタイミングが一番おいしい状態であることを計算してご提供しています。各ご家庭でも愛情込めて親御さんがお料理をするように、弊社はこういった「ひと手間」を通して、お客様に感謝をお伝えしています。食べることは生きることです。農家の方をはじめ生産者の方が作られた食材に弊社の「ひと手間」が合わさることで、日本の食文化を創造しながら、お客様にとって明日の生きる糧となれば幸いです。
また、弊社では高齢者・障がい者・外国人など多様な人財を雇用しておりますが、私たちはみんなで力を合わせて工夫しながら高い生産性や技術を築いていくことを大切に考えています。二代目として、50年100年後を見据えた会社にしていきたいと考えています。その気持ちはまさに「明日につながる食文化」です。これからも地域社会と共に「よりおいしく、より安全に」をモットーに、弊社の規模だからこそできる生産技術と品質の価値を高めながら、お客様により喜んでいただける食品をつくりつづけて参ります。
代表取締役社長 角井 美穂
私たちのこだわり
父の作った食品製造工場に親孝行のつもりで入社
弊社の歴史は、現会長である私の父が、1971年に京都市内でサンドイッチを製造し、小さな食料品店に販売することからスタートしました。現在は、コンビニエンスストアや駅、学校の売店、コーヒーショップなどのサンドイッチやおにぎり、弁当、惣菜を1日2万食ほど製造しています。父は、元々食品工場で働いており、お弁当やお惣菜をテイクアウトして家庭や職場で食べるという習慣が今ほど一般的ではなかった時代に、お弁当やサンドイッチの製造販売が今後は伸びると確信して自身で工場を立ち上げたと聞いています。
創業してから数年後に両親が結婚し、私が産まれました。当時の実家は、工場の2階で、小学生までそこで過ごしました。高校と大学では海外に興味を持ち、イギリスに留学させてもらいました。大学を卒業後は、食品業界に自ずと興味を持ち、大手食品メーカーに入社し、営業職として働きました。
入社式の日に父と「最低3年間は勤務する」「給料の3倍の価値がある仕事をする」「飲みの誘いは断らない」という3つの約束をしました。その後、親孝行をしたいという想いの元、約4年間勤めた会社を退職し、弊社に入社しました。
入社後に驚いたのは、幼いころ実家の1階にあった工場とはまるで違って、大規模な食品工場になっていたことです。当時は350名の従業員が在籍していて、今と比べて売上も3倍以上の規模がありました。当時は、大手コンビニエンスストアの下請けで食品を製造していたため、営業も工場も大忙しという状況でした。
他社には真似できない「ひと手間」かけた調理
弊社に入社して4年目の頃、売上の8割を占める発注をもらっていた大手コンビニエンスストアとの取引が様々な事情でなくなり、多くの従業員が会社を離れていきました。この時期に私は、役員兼工場長を任され、30歳前半から製造現場の責任者を務めています。
事業としては縮小してしまいましたが、私たちが譲れないこだわりを守りつつ再スタートを切ることになりました。そのこだわりとは、人の手だからこそできる「ひと手間かけたものを作る」ことです。たとえば、お弁当に豚カツを入れる場合、大手食品工場で大量生産によって作られた冷凍食品を仕入れた方が安く仕上がります。しかし、私たちは、自社で薄切り肉を一枚ずつ重ねてパティにして、一旦冷凍にしてから油でじっくり揚げています。このひと手間により、冷めても柔らかい豚カツに仕上がります。細かいこだわりかもしれませんが、「やっぱり角井食品の食べ物はおいしいよね」といわれることを常に心がけて開発しています。
社長就任と下請からの脱却に向けた新分野への挑戦
創業者である父から社長を引き継いだのは、2016年7月です。社長就任後は、徐々に既存の主力事業である弁当・サンドイッチの製造販売は担当役員に権限を委ねていきました。私は、会社経営と2つ目の事業の柱になる新規事業への探究に力を注ぎたかったからです。弁当・サンドイッチの製造下請からの脱却を目指して、父の代から様々な取り組みを行っていましたが、私の代でもその取り組みを継続していくつもりです。
2015年には、ritaというブランド名で直営店舗を運営し、オリジナル商品として「デリボトル」を開発しました。海外商品からアイデアを得て、サラダ・おかず・ごはんを層にして重ねて瓶詰めした商品です。
2022年には、自社商品miosai(ミオサイ)として国産の厳選した原料を使用した野菜ジュースやピュレを開発しました。miosai(ミオサイ)という商品名は、イタリアやスペイン語で「わたしの」という意味であるmio(ミオ)と野菜のsai(菜/サイ)に由来しています。ミオサイは、おいしい野菜ジュースや野菜ピュレを作るために全国の農家を訪問して、こだわりをもって大切に野菜を育てている農家の方々とレシピ開発を行いました。マーケティングなどの商品開発チームは、私が社会人になって夜間に通った大学院で出会った方をはじめ、想いに共感した人を中心とした繋がりで形成しています。
社員の幸せをベースにしたダイバーシティな職場づくり
2000年頃に策定した経営理念「食文化の創造を通じて、社会に貢献し、全社員の幸せを実現する」には、京セラ創業者の稲盛和夫氏の教えが根底にあります。
社員が働く目的は、人それぞれです。しっかりと働いて稼ぎたい人もいれば、パートナーの扶養控除の範囲内の給与で働きたいという人もいます。また、30年前から知的障がいのある人や精神障がいのある人も積極的に採用しています。6ヶ国から外国人実習生を受け入れたり、65歳以上の雇用継続も積極的に行っていたりします。最近では、多様な人財を受け入れる「ダイバーシティ経営」という言葉がありますが、思い返すと30年以上前からそれを実践していたと思います。
現在では、96名の従業員がいて全てのひとたちと満遍なくコミュニケーションを取るのは難しいため、月に1回の頻度で「社長通信」というかたちで、私の考えを手紙形式で発行しています。また、事業計画発表会も年に1度開催して、前期業績や今期の計画、会社のあるべき姿などを私から直接すべてのひとたちに伝える場を設けています。
正社員とパート・アルバイトに関わらず、採用の面接で重視することは、誠実であることです。テキパキと仕事をこなしそうな人よりも、仕事は遅いかもしれませんがより誠実な人を採用します。障がいを持つ方々や外国人も一緒に働いており、仕事の習熟度は十人十色です。OJTで仕事を教える中で、どうすれば本人の理解が進むかを、特性を見極めて、個性に合わせたオーダーメイドの形で一つずつ誠実に教えています。
宇治市の魅力が伝わるような新商品を開発したい
私たちは、京都府の宇治市に拠点を構えています。宇治市は十円玉硬貨に描かれている平等院がある街なのですが、全国の皆さんからお茶のイメージくらいしかないように感じています。だからこそ、宇治市にとって何かアピールになる新商品を開発したいと思っています。ミオサイの商品は、宇治市のふるさと納税の返礼品にも選んでいただいており、今後も地域貢献に注力していきたいと思っています。
来年は、京都産の米を使った米粉と京野菜を使ったお菓子をヴィーガン(完全菜食主義者)の方向けに発売する予定です。ヴィーガンは、海外では多いですが、日本では少ないため、国内の大手食品メーカーは、製造しようとしません。しかし、数は少なくともニーズがあるのであれば、チャンスととらえて挑戦することが、我々中小企業の務めだと考えています。
また、その挑戦にはもう一つ理由があり、社員の働き方を増やしたいからです。現在は、365日稼働している工場に、シフト制で働いてもらっているのですが、子育てや介護で時間の制約がある方には難しい場面もあります。例えば、子どもが学校に行っている4時間だけ働きたいと思ったら、4時間だけ働ける場所を新事業を通じて作りたいと考えています。
これらの取り組みを通して、これからもお弁当づくりをメインに据えつつも、新事業を展開して、地域や社会に貢献し、社員の幸せを実現する経営を行っていきます。
父の作った食品製造工場に親孝行のつもりで入社
弊社の歴史は、現会長である私の父が、1971年に京都市内でサンドイッチを製造し、小さな食料品店に販売することからスタートしました。現在は、コンビニエンスストアや駅、学校の売店、コーヒーショップなどのサンドイッチやおにぎり、弁当、惣菜を1日2万食ほど製造しています。父は、元々食品工場で働いており、お弁当やお惣菜をテイクアウトして家庭や職場で食べるという習慣が今ほど一般的ではなかった時代に、お弁当やサンドイッチの製造販売が今後は伸びると確信して自身で工場を立ち上げたと聞いています。
創業してから数年後に両親が結婚し、私が産まれました。当時の実家は、工場の2階で、小学生までそこで過ごしました。高校と大学では海外に興味を持ち、イギリスに留学させてもらいました。大学を卒業後は、食品業界に自ずと興味を持ち、大手食品メーカーに入社し、営業職として働きました。
入社式の日に父と「最低3年間は勤務する」「給料の3倍の価値がある仕事をする」「飲みの誘いは断らない」という3つの約束をしました。その後、親孝行をしたいという想いの元、約4年間勤めた会社を退職し、弊社に入社しました。
入社後に驚いたのは、幼いころ実家の1階にあった工場とはまるで違って、大規模な食品工場になっていたことです。当時は350名の従業員が在籍していて、今と比べて売上も3倍以上の規模がありました。当時は、大手コンビニエンスストアの下請けで食品を製造していたため、営業も工場も大忙しという状況でした。
他社には真似できない「ひと手間」かけた調理
弊社に入社して4年目の頃、売上の8割を占める発注をもらっていた大手コンビニエンスストアとの取引が様々な事情でなくなり、多くの従業員が会社を離れていきました。この時期に私は、役員兼工場長を任され、30歳前半から製造現場の責任者を務めています。
事業としては縮小してしまいましたが、私たちが譲れないこだわりを守りつつ再スタートを切ることになりました。そのこだわりとは、人の手だからこそできる「ひと手間かけたものを作る」ことです。たとえば、お弁当に豚カツを入れる場合、大手食品工場で大量生産によって作られた冷凍食品を仕入れた方が安く仕上がります。しかし、私たちは、自社で薄切り肉を一枚ずつ重ねてパティにして、一旦冷凍にしてから油でじっくり揚げています。このひと手間により、冷めても柔らかい豚カツに仕上がります。細かいこだわりかもしれませんが、「やっぱり角井食品の食べ物はおいしいよね」といわれることを常に心がけて開発しています。
社長就任と下請からの脱却に向けた新分野への挑戦
創業者である父から社長を引き継いだのは、2016年7月です。社長就任後は、徐々に既存の主力事業である弁当・サンドイッチの製造販売は担当役員に権限を委ねていきました。私は、会社経営と2つ目の事業の柱になる新規事業への探究に力を注ぎたかったからです。弁当・サンドイッチの製造下請からの脱却を目指して、父の代から様々な取り組みを行っていましたが、私の代でもその取り組みを継続していくつもりです。
2015年には、ritaというブランド名で直営店舗を運営し、オリジナル商品として「デリボトル」を開発しました。海外商品からアイデアを得て、サラダ・おかず・ごはんを層にして重ねて瓶詰めした商品です。
2022年には、自社商品miosai(ミオサイ)として国産の厳選した原料を使用した野菜ジュースやピュレを開発しました。miosai(ミオサイ)という商品名は、イタリアやスペイン語で「わたしの」という意味であるmio(ミオ)と野菜のsai(菜/サイ)に由来しています。ミオサイは、おいしい野菜ジュースや野菜ピュレを作るために全国の農家を訪問して、こだわりをもって大切に野菜を育てている農家の方々とレシピ開発を行いました。マーケティングなどの商品開発チームは、私が社会人になって夜間に通った大学院で出会った方をはじめ、想いに共感した人を中心とした繋がりで形成しています。
社員の幸せをベースにしたダイバーシティな職場づくり
2000年頃に策定した経営理念「食文化の創造を通じて、社会に貢献し、全社員の幸せを実現する」には、京セラ創業者の稲盛和夫氏の教えが根底にあります。
社員が働く目的は、人それぞれです。しっかりと働いて稼ぎたい人もいれば、パートナーの扶養控除の範囲内の給与で働きたいという人もいます。また、30年前から知的障がいのある人や精神障がいのある人も積極的に採用しています。6ヶ国から外国人実習生を受け入れたり、65歳以上の雇用継続も積極的に行っていたりします。最近では、多様な人財を受け入れる「ダイバーシティ経営」という言葉がありますが、思い返すと30年以上前からそれを実践していたと思います。
現在では、96名の従業員がいて全てのひとたちと満遍なくコミュニケーションを取るのは難しいため、月に1回の頻度で「社長通信」というかたちで、私の考えを手紙形式で発行しています。また、事業計画発表会も年に1度開催して、前期業績や今期の計画、会社のあるべき姿などを私から直接すべてのひとたちに伝える場を設けています。
正社員とパート・アルバイトに関わらず、採用の面接で重視することは、誠実であることです。テキパキと仕事をこなしそうな人よりも、仕事は遅いかもしれませんがより誠実な人を採用します。障がいを持つ方々や外国人も一緒に働いており、仕事の習熟度は十人十色です。OJTで仕事を教える中で、どうすれば本人の理解が進むかを、特性を見極めて、個性に合わせたオーダーメイドの形で一つずつ誠実に教えています。
宇治市の魅力が伝わるような新商品を開発したい
私たちは、京都府の宇治市に拠点を構えています。宇治市は十円玉硬貨に描かれている平等院がある街なのですが、全国の皆さんからお茶のイメージくらいしかないように感じています。だからこそ、宇治市にとって何かアピールになる新商品を開発したいと思っています。ミオサイの商品は、宇治市のふるさと納税の返礼品にも選んでいただいており、今後も地域貢献に注力していきたいと思っています。
来年は、京都産の米を使った米粉と京野菜を使ったお菓子をヴィーガン(完全菜食主義者)の方向けに発売する予定です。ヴィーガンは、海外では多いですが、日本では少ないため、国内の大手食品メーカーは、製造しようとしません。しかし、数は少なくともニーズがあるのであれば、チャンスととらえて挑戦することが、我々中小企業の務めだと考えています。
また、その挑戦にはもう一つ理由があり、社員の働き方を増やしたいからです。現在は、365日稼働している工場に、シフト制で働いてもらっているのですが、子育てや介護で時間の制約がある方には難しい場面もあります。例えば、子どもが学校に行っている4時間だけ働きたいと思ったら、4時間だけ働ける場所を新事業を通じて作りたいと考えています。
これらの取り組みを通して、これからもお弁当づくりをメインに据えつつも、新事業を展開して、地域や社会に貢献し、社員の幸せを実現する経営を行っていきます。
会社概要
社名 | 角井食品株式会社 |
創立年 | 1974年 |
代表者名 | 代表取締役 角井 美穂 |
資本金 | 7000万円 |
本社住所 |
611-0041 京都府宇治市槇島町目川80-2 |
事業内容 | 弁当・おにぎり・サンドイッチ・惣菜の製造販売 冷凍惣菜の製造販売 野菜ジュースとピュレの製造販売 高圧加工の受託製造 国産野菜ジュースとピュレのブランド「ミオサイ」のECショップ運営 |
URL |
https://kakui-food.com/
|
会社沿革
1971年 | 角井食品としてサンドウィッチの加工販売開始 |
1974年 | 角井食品株式会社を設立、資本金200万円 |
1982年 | 伏見工場新築移転 |
1987年 | 資本金2000万円に増資 関西一円販売店1000店達成 |
1989年 | 米飯工場完成(おにぎりと弁当の製造開始) |
1990年 | 本格的コンビニと取引開始、取引が飛躍的に拡大 宇治工場でもサンドウィッチ製造開始 |
1992年 | デジタルピッキングシステム導入 |
1993年 | 宇治工場を拡大・増築 |
1994年 | 資本金3600万円に増資 |
1995年 | 全工場を宇治に集約、本店移転登記 |
1996年 | 資本金5000万円に増資 |
1998年 | 資本金6000万円に増資 |
2000年 | ISO9001 品質保証の国際規格認証取得 |
2002年 | 資本金7000万円に増資 |
2004年 | 炊飯大型設備を「ガス式一釜炊飯一釜浸漬方式」に入れ替え完了 |
2006年 | 名古屋エリアのコンビニに進出。ホテルのおせちOEM製造を行う |
2008年 | 本格的におせちのOEM製造の取り組み開始 |
2009年 | 急速冷凍機の設備を導入。冷凍の惣菜やおせちなどの製造に着手 |
2011年 | 京都駅での販売開始 |
2015年 | 直販店舗rita高倉錦にオープン 仕出し弁当の製造開始 |
2016年 | 代表取締役社長が角井實から角井美穂に交代 ケータリングサービスの事業開始 |
2018年 | 高圧処理装置導入 |
2022年 | 国産厳選原料を使用した野菜ジュース「ミオサイ」を立ち上げ |
角井食品株式会社の経営資源引継ぎ募集情報
公開日:2023/12/14
※本記事の内容および所属名称は2023年12月現在のものです。現在の情報とは異なる場合があります。