川崎市高津
川崎市
電波天文観測・情報通信・防災インフラ設計開発のエキスパート
エレックス工業株式会社
頭脳と技術で宇宙開発ビジネスを牽引する創意工夫のものづくり
経営理念
社員の幸せを第一に考え、
ものづくりの喜びが感じられる自由闊達な職場環境をつくる
社会的使命を自覚し、
卓越した技術力でより豊かな社会の実現に貢献する
技術上の困難を恐れず、
人に感動を与えられる高度な製品を生み出す
常に前進を続ける一流の技術集団
代表者メッセージ
「マイクロ・コンピューティング技術の可能性に賭けた4人の若き技術者たちの夢」
それが私たちエレックス工業株式会社の始まりです。
1976年の創業以来、弊社は電子機器の設計開発・製造のエキスパートとして、数々の事業を推進してきました。特に電波天文観測、情報通信、防災インフラなどの高速伝送処理技術では、他の追随を許さない実績を築き上げてきました。
私たちのアドバンテージは、ハードウェアとソフトウェア、そしてそれらを統合したシステムの設計開発を全て自社一貫体制で進められることです。お客様のご要望に対して、真心を持って「何が最適か」を徹底的に考え抜き、最終的に心よりご満足いただける性能と品質を有する回答=製品を提示します。
テクノロジーの進歩は、現在もとどまるところを知りません。私たちは創業以来のチャレンジ精神と数々の実績に裏付けされた創意工夫で、これからもお客様のご要望に責任を持って応えていくとともに、事業を通じて豊かで暮らしやすい社会づくりに貢献したいと考えています。
目指しているのは「ものづくりの可能性に挑み続ける企業」、そして「世界で求められる企業」です。
これまで世の中になかった電子機器が必要となった時、私たちエレックス工業にご相談ください。ぜひ一緒に新しいビジネスの種子を蒔き、技術の未来を語り合いましょう。
代表取締役 内藤 岳史
私たちのこだわり
コンピュータの発展性を見込んだ父が創業
弊社は1976年に先代の父が創業しました。父は創業以前、大手通信機器メーカーで電話交換機の設計士をしており、当時の最新技術であったコンピュータ制御による電子交換機の開発に携わっていたそうです。1970年代には、国内での半導体技術が発達し、電話交換機もアナログのクロスバースイッチから半導体メモリを使ったプログラム制御方式へと移行が進んでいました。先代は、開発の過程でコンピュータの発展性を見込み「この技術で何か世の中に役立つものが作れるのではないか」と考えるようになりました。
当時コンピュータ事業といえば、IBMなど一部の海外企業が中心であり、コンピュータ機器も大変高額であったことから、国内の一般企業には手の届かない代物でした。その後、当時まだベンチャー企業だったIntelなどが続々とマイクロコンピュータの開発に乗り出し、一般層にも徐々にコンピュータが扱えるようになりました。これを機に先代は「これからは日常生活で自由にコンピュータを使える時代が来る。様々な分野に応用され、面白いものや役立つものができていけば世の中は大きく変わっていくだろう」と考え、仲間とともに独立・起業することを決断しました。
国産初K-3型VLBI相関器の開発と実用化を機に、宇宙開発分野に参入
先代はコンピュータの開発が得意だったので、相関処理機能を増強した、いわゆるスーパーコンピュータを作りました。これが日本初のK-3実用型VLBI相関器です。天体から届く電波を複数のパラボラアンテナで受信し、その受信時間のごくわずかな差により星までの距離を測定して、三角測量に似た手法により地点間の距離をミリメートル単位で算出することができます。地道な試作と検証の繰り返しによって研究チームの要望通りのスペックに仕上がり、超精密な長距離測量を可能とすることができました。
1983年には、このK-3型VLBI相関器が茨城県鹿嶋とハワイ諸島間のプレート運動の観測に使用され、VLBI測量の確立にも貢献するとともに、数年間の測量により、これまで仮説だったプレートテクニクス理論(大陸移動説)を観測事実として立証することができました。「太平洋プレートの移動により、ハワイ諸島が年間数センチずつ日本に近づいている」というセンセーショナルなニュースを記憶している方も多いのではないでしょうか。これらの開発協力をきっかけに、弊社の技術力が高く評価され、90年代からは天文観測や宇宙開発の仕事も請け負うようになりました。1992年には国立天文台のK-4型VLBI相関器の設計製造に携わったことで、さらに天文分野に深く関わるようになっていきました。
国立天文台電波天文学の研究チームから依頼があり、VLBI(超長基線電波干渉法)システムの日本に於ける立ち上げに参画することとなりました。当時の日本の電波天文学は発達段階であり、電波望遠鏡の整備を進めていこうというタイミングでした。研究者側からは「他国を圧倒する世界一のスペックを」との要望があり、天文物理学とは無縁の電子機器メーカーであった弊社としては技術的に難しい面もあった為、きちんと作れるのか疑問を持っていました。しかし、先方の熱心な申し入れにより先代が折れ、宇宙観測については何もわからない状態から協力することとなりました。
2代目としての実感がないまま社長に就任
私は神奈川県川崎市で生まれ育ちました。もともと理科や数学といった理系の科目が得意で、物理学の中でも特に電気に興味がありました。目に見えない素子が法則通りに運動しエネルギーが生まれることに面白さや不思議さを感じ、大学は電気工学科に進学しました。電気工学は現在の事業にも関わる分野ではありましたが、自分が会社を継ぎ、経営者になるとは考えたこともありませんでした。
大学卒業後は、電機メーカーで技術者として働き、通信機器の開発に携わりました。技術者として働き、自分の手でものづくりをする面白さが理解できるようになった頃、先代から会社を継ぐ前提で戻ってくるよう声がかかりました。後継者になるという実感が伴わないまま1999年に入社し、一般社員として働き始めました。
入社当時のメイン事業は、大手メーカーから受託した防災行政無線システムの開発製造であり、電波天文観測での計測装置や通信機器の開発製造は、その他の受託事業として細々と携わっていました。防災機器事業の方は収益に大きな伸びはありませんでしたが、受注数が減ることはないため比較的安定していました。しかし安定しているが故に業務や社内改善には目が向かず、向上心が育ちにくい環境であるように感じました。初めのうちは技術者として働き、その後営業として弊社の内部について現場経験から学んでいきましたが、経営者としての教育のようなものは何もないまま日々が過ぎていきました。
ところが、入社から約15年後の2015年に大した引継ぎもないまま2代目に就任することとなりました。とても驚きましたが、自力で道を切り拓いてきた先代としては、実際に経営してみないとわからないことや得られないものがあると考えたのかもしれません。経営者を退き相談役となった先代にとっては、口を出したくなることも多くあったかもしれませんが、何も言わず見守り、任せてくれていることを大変ありがたく思っています。現在は経営者としてやりがいを感じるようになり、今では社員やお客様、取引先など関係する全ての方に責任を持って仕事に取り組めるようになったと感じています。
人類初、M87ブラックホール撮影に成功したEHTプロジェクトへの技術協力
2009年には、韓国の国立天文科学研究院に超高速大型VLBI相関器の開発納入に携わり、2013年には世界一の電波望遠鏡を作る国際研究チーム「アルマプロジェクト」に日本の一員として参画しました。この「アルマプロジェクト」は、各国の技術協力によりブラックホール観測を目指す、仮想電波望遠鏡「イベント・ホライズン・テレスコープ(EHT)」プロジェクトと連動していき、協力国から200名以上の研究関係者が携わり、始動しました。
M87銀河にあるブラックホールは、地球から約5,500万光年も離れており、その画像を捉えることは、例えるなら地球から月面に置かれたゴルフボールを見るのと同じくらい困難を極める作業でした。そこで採用されたのが、世界8カ所に設置した電波望遠鏡で同時に観測したデータを、一つに合成して映像化するという方法です。弊社はこのプロジェクトで、チリの標高5,000メートルの砂漠地帯に設置されたアルマ望遠鏡のアンテナから、山麓施設に膨大なデータを高速で送るための伝送装置「10GbE(ギガビットイーサネット)波長多重伝送装置」の開発も担当しました。それまでにも、国立天文台とともに国内やアジア圏で同様のシステム構築に携わってきた経験を活かし、5~6人のチームを編成して開発に取り組みました。通常とは異なる環境下で稼働するよう設計し、日本でテスト運転を重ねて観測に臨んだものの、現地では送信エラーが続きました。「あれだけ試験したのにどうして」と不安になりましたが「プロジェクトを失敗させるわけにはいかない」と自分達を奮い立たせ、半年かけて調査を重ね、施設内に入り込んだ微細な砂ぼこりが通信に悪影響を与えていたことを突き止めました。
M87ブラックホールの撮影が成功し「ノーベル賞級」と報じられた際には、全社を挙げて喜びました。研究者の方々からは実現不可能と思われるようなハイレベルの要求もありますが、宇宙の謎にさらに迫るためにも、技術向上を目指していきたいと思っています。できるかどうか分からないからこそ、ものづくりは楽しいものです。弊社は探求心が旺盛な「オタク集団」なので、困難にも前向きにチャレンジしていけると思っています。今や日本の天文学研究は世界の中でもトップレベルです。弊社は電子技術でその発展をサポートするという重要な役割を担っています。試作を重ね、ノウハウが蓄積された光伝送装置をはじめとした製品は、お客様からの厳しい要望にも応えられる高いレベルとなっています。
社員の探究心がIoTソリューションの可能性を広げる
創業から40余年が経った現在は、ハードウェアとソフトウェア双方の強みを活かし、大規模なシステム構築から小さな基板制作まで、エレクトロニクス製品の開発・製造に幅広く携わっています。主なお客様はJAXA、国立天文台、NICT(情報通信研究機構)などの研究機関や、大手通信会社、電機メーカーなどです。弊社の技術力の高さは、社員一人ひとりが地道に、粘り強く取り組んできた成果によるものだと考えています。開発により収益とお客様からの信頼を得ている弊社にとって、開発にかける社員の熱意は今後も大事にしていきたい宝であり、創業当初から引き継がれている社風です。
その探求力が、思いがけず新しい製品の開発に繋がったというエピソードがあります。それは「神奈川工業技術開発大賞奨励賞」や「九都県市のきらりと光る産業技術表彰」などの各賞を授与され、「川崎ものづくりブランド」にも認定された、超小型IoTセンサーモジュール「μPRISM」(マイクロプリズム)が誕生したときのことです。
「μPRISM」は、小指の爪より小さい5.2㎜×9.0㎜の極小基盤に、温度や気圧、加速度、紫外線など7種類のセンサーとBluetoothを搭載したIoTセンサーモジュールです。あらゆる物をインターネットと繋いでデータを取得し、手元の端末で計測結果を確認したり、データを記録したりできるため、例えば製品に「μPRISM」を組み込むことで、どこにいても工場の生産管理や、従業員の安全管理、運送物の品質管理などができるようになります。
実はこの製品は、作ろうと思ってできたものではありませんでした。弊社の開発スタイルは、基本的にはお客様からの依頼に合わせて仕様を決めていく完全受託開発です。しかし「μPRISM」は、人工衛星に搭載する機器を「今の技術でどこまで小さくできるか」と遊び半分で試していたときに、偶然できてしまったのです。せっかくでき上がったので展示会に出品してみると、多くの来場者の方から「ぜひ商品化してほしい」と高評価を受け、自社製品としてリリースすることになりました。
私たちの超小型軽量化技術の結晶とも言える「μPRISM」を通して、これからのIoT社会の発展に貢献していくことが今後の目標です。「μPRISM」の使い方は様々で、すでに自動車会社の走行試験や、人や荷物の状態監視、工場や部屋の環境状況把握、動物の生態監視などで使用されていますが、まだまだニーズを探る余地があります。今後も医療、介護、農業、製造、物流など多岐にわたる業界でもっと幅広く導入してもらえるように、情報提供を行っていくとともに、お客様のご要望やお困り事などをじっくりとヒアリングしながら、様々なアイデアを具現化できるようにしていきたいです。
宇宙事業を軸に、常に新しいチャレンジを続ける企業に
私たちはこれからも開発会社として、変化し続ける未来に歩調を合わせて、新しいことにチャレンジし続ける企業でありたいと考えています。先端技術というマニアックな分野で、世の中の役に立つものを社員とともに生み出していきたいと思っています。今最も興味を持ち伸ばしていきたいと思っているのは、宇宙開発分野です。弊社では、これまでの技術を活かして宇宙関連事業への参入を検討していましたが、国内で開発を行っている事業者は主に大手数社のみでした。大手企業の下請けでものづくりをするより、海外に進出し自由な発想で開発に取り組めた方がモチベーション向上にもなるだろうと考えていたところ、弊社のマイクロ波などの技術を使わせてほしいとJAXA(宇宙航空開発機構)から声がかかりました。現在は技術協力により、JAXAの超広帯域アンテナと弊社の超高速デジタル信号変換技術を組み合わせた、干渉型デジタルマイクロ波放射計を開発しました。海面温度や塩分濃度等の観測により漁業分布が予測できるほか、精密な気象観測、地中埋設物の探査などが可能となります。
現時点での宇宙関連事業は市場がどう伸びるか読めませんが、世界に目を向けてみると、イーロン・マスク氏率いるアメリカの宇宙開発企業「SpaceX」が人工衛星を使った通信サービスで成功しているような例もあります。宇宙開発がビジネスとして成り立つ日は、そう遠くはないのかもしれません。
地域、日本、世界の未踏領域に挑むものづくり
今後は将来の宇宙開発を見据えて、人工衛星など広範囲にわたる装置開発が出来るような企業に成長したい考えです。そのためには、人員や技術の幅をスケールアップしていく必要があります。弊社の方向性と合う会社とタッグを組めそうであれば積極的に挑戦し、人財の採用にも注力していく予定です。新しい仲間に求めたいのは、ポテンシャルよりも、大変なことも面白がってチャレンジできる向上心です。私たちの業界は日進月歩で進化を続けています。そのため、現状維持は衰退に向かうのと同じなのです。非常に厳しい世界ですが、常に試行錯誤しながら、好きなことをとことん突き詰めたい技術者にはピッタリな仕事だと思います。
将来は、私の代で会社を絶やさないよう社内承継の準備を進めると同時に、地域の企業や行政とも協力して技術の承継もしていきたいと考えています。地域との繋がりを大切にするという意味では、地元のプロバスケットボールチームでB.LEAGUE所属の「川崎ブレイブサンダース」のスポンサーとしてチームの応援も行っています。社長として、社員にとってプラスになることを考えるのは当然ですが、これからは自分たちのことだけではなく、地域が一体となって盛り上がったり、発展したりしていけるように、弊社として出来ることを考えながら実践していきたいと思っています。
私は学生時代に山登りをしていたこともあり、ものづくりを山登りに例えて社員に話すことがよくあります。開発も山登りも準備が最も大事であり、途中は苦しいけれど、達成し努力が報われたときの喜びがとても大きいところがよく似ています。社員全員がその充実感や達成感を味わい、また挑戦したいと思えるようなやりがいのある仕事に取り組んでいきたいと思います。
コンピュータの発展性を見込んだ父が創業
弊社は1976年に先代の父が創業しました。父は創業以前、大手通信機器メーカーで電話交換機の設計士をしており、当時の最新技術であったコンピュータ制御による電子交換機の開発に携わっていたそうです。1970年代には、国内での半導体技術が発達し、電話交換機もアナログのクロスバースイッチから半導体メモリを使ったプログラム制御方式へと移行が進んでいました。先代は、開発の過程でコンピュータの発展性を見込み「この技術で何か世の中に役立つものが作れるのではないか」と考えるようになりました。
当時コンピュータ事業といえば、IBMなど一部の海外企業が中心であり、コンピュータ機器も大変高額であったことから、国内の一般企業には手の届かない代物でした。その後、当時まだベンチャー企業だったIntelなどが続々とマイクロコンピュータの開発に乗り出し、一般層にも徐々にコンピュータが扱えるようになりました。これを機に先代は「これからは日常生活で自由にコンピュータを使える時代が来る。様々な分野に応用され、面白いものや役立つものができていけば世の中は大きく変わっていくだろう」と考え、仲間とともに独立・起業することを決断しました。
国産初K-3型VLBI相関器の開発と実用化を機に、宇宙開発分野に参入
先代はコンピュータの開発が得意だったので、相関処理機能を増強した、いわゆるスーパーコンピュータを作りました。これが日本初のK-3実用型VLBI相関器です。天体から届く電波を複数のパラボラアンテナで受信し、その受信時間のごくわずかな差により星までの距離を測定して、三角測量に似た手法により地点間の距離をミリメートル単位で算出することができます。地道な試作と検証の繰り返しによって研究チームの要望通りのスペックに仕上がり、超精密な長距離測量を可能とすることができました。
1983年には、このK-3型VLBI相関器が茨城県鹿嶋とハワイ諸島間のプレート運動の観測に使用され、VLBI測量の確立にも貢献するとともに、数年間の測量により、これまで仮説だったプレートテクニクス理論(大陸移動説)を観測事実として立証することができました。「太平洋プレートの移動により、ハワイ諸島が年間数センチずつ日本に近づいている」というセンセーショナルなニュースを記憶している方も多いのではないでしょうか。これらの開発協力をきっかけに、弊社の技術力が高く評価され、90年代からは天文観測や宇宙開発の仕事も請け負うようになりました。1992年には国立天文台のK-4型VLBI相関器の設計製造に携わったことで、さらに天文分野に深く関わるようになっていきました。
国立天文台電波天文学の研究チームから依頼があり、VLBI(超長基線電波干渉法)システムの日本に於ける立ち上げに参画することとなりました。当時の日本の電波天文学は発達段階であり、電波望遠鏡の整備を進めていこうというタイミングでした。研究者側からは「他国を圧倒する世界一のスペックを」との要望があり、天文物理学とは無縁の電子機器メーカーであった弊社としては技術的に難しい面もあった為、きちんと作れるのか疑問を持っていました。しかし、先方の熱心な申し入れにより先代が折れ、宇宙観測については何もわからない状態から協力することとなりました。
2代目としての実感がないまま社長に就任
私は神奈川県川崎市で生まれ育ちました。もともと理科や数学といった理系の科目が得意で、物理学の中でも特に電気に興味がありました。目に見えない素子が法則通りに運動しエネルギーが生まれることに面白さや不思議さを感じ、大学は電気工学科に進学しました。電気工学は現在の事業にも関わる分野ではありましたが、自分が会社を継ぎ、経営者になるとは考えたこともありませんでした。
大学卒業後は、電機メーカーで技術者として働き、通信機器の開発に携わりました。技術者として働き、自分の手でものづくりをする面白さが理解できるようになった頃、先代から会社を継ぐ前提で戻ってくるよう声がかかりました。後継者になるという実感が伴わないまま1999年に入社し、一般社員として働き始めました。
入社当時のメイン事業は、大手メーカーから受託した防災行政無線システムの開発製造であり、電波天文観測での計測装置や通信機器の開発製造は、その他の受託事業として細々と携わっていました。防災機器事業の方は収益に大きな伸びはありませんでしたが、受注数が減ることはないため比較的安定していました。しかし安定しているが故に業務や社内改善には目が向かず、向上心が育ちにくい環境であるように感じました。初めのうちは技術者として働き、その後営業として弊社の内部について現場経験から学んでいきましたが、経営者としての教育のようなものは何もないまま日々が過ぎていきました。
ところが、入社から約15年後の2015年に大した引継ぎもないまま2代目に就任することとなりました。とても驚きましたが、自力で道を切り拓いてきた先代としては、実際に経営してみないとわからないことや得られないものがあると考えたのかもしれません。経営者を退き相談役となった先代にとっては、口を出したくなることも多くあったかもしれませんが、何も言わず見守り、任せてくれていることを大変ありがたく思っています。現在は経営者としてやりがいを感じるようになり、今では社員やお客様、取引先など関係する全ての方に責任を持って仕事に取り組めるようになったと感じています。
人類初、M87ブラックホール撮影に成功したEHTプロジェクトへの技術協力
2009年には、韓国の国立天文科学研究院に超高速大型VLBI相関器の開発納入に携わり、2013年には世界一の電波望遠鏡を作る国際研究チーム「アルマプロジェクト」に日本の一員として参画しました。この「アルマプロジェクト」は、各国の技術協力によりブラックホール観測を目指す、仮想電波望遠鏡「イベント・ホライズン・テレスコープ(EHT)」プロジェクトと連動していき、協力国から200名以上の研究関係者が携わり、始動しました。
M87銀河にあるブラックホールは、地球から約5,500万光年も離れており、その画像を捉えることは、例えるなら地球から月面に置かれたゴルフボールを見るのと同じくらい困難を極める作業でした。そこで採用されたのが、世界8カ所に設置した電波望遠鏡で同時に観測したデータを、一つに合成して映像化するという方法です。弊社はこのプロジェクトで、チリの標高5,000メートルの砂漠地帯に設置されたアルマ望遠鏡のアンテナから、山麓施設に膨大なデータを高速で送るための伝送装置「10GbE(ギガビットイーサネット)波長多重伝送装置」の開発も担当しました。それまでにも、国立天文台とともに国内やアジア圏で同様のシステム構築に携わってきた経験を活かし、5~6人のチームを編成して開発に取り組みました。通常とは異なる環境下で稼働するよう設計し、日本でテスト運転を重ねて観測に臨んだものの、現地では送信エラーが続きました。「あれだけ試験したのにどうして」と不安になりましたが「プロジェクトを失敗させるわけにはいかない」と自分達を奮い立たせ、半年かけて調査を重ね、施設内に入り込んだ微細な砂ぼこりが通信に悪影響を与えていたことを突き止めました。
M87ブラックホールの撮影が成功し「ノーベル賞級」と報じられた際には、全社を挙げて喜びました。研究者の方々からは実現不可能と思われるようなハイレベルの要求もありますが、宇宙の謎にさらに迫るためにも、技術向上を目指していきたいと思っています。できるかどうか分からないからこそ、ものづくりは楽しいものです。弊社は探求心が旺盛な「オタク集団」なので、困難にも前向きにチャレンジしていけると思っています。今や日本の天文学研究は世界の中でもトップレベルです。弊社は電子技術でその発展をサポートするという重要な役割を担っています。試作を重ね、ノウハウが蓄積された光伝送装置をはじめとした製品は、お客様からの厳しい要望にも応えられる高いレベルとなっています。
社員の探究心がIoTソリューションの可能性を広げる
創業から40余年が経った現在は、ハードウェアとソフトウェア双方の強みを活かし、大規模なシステム構築から小さな基板制作まで、エレクトロニクス製品の開発・製造に幅広く携わっています。主なお客様はJAXA、国立天文台、NICT(情報通信研究機構)などの研究機関や、大手通信会社、電機メーカーなどです。弊社の技術力の高さは、社員一人ひとりが地道に、粘り強く取り組んできた成果によるものだと考えています。開発により収益とお客様からの信頼を得ている弊社にとって、開発にかける社員の熱意は今後も大事にしていきたい宝であり、創業当初から引き継がれている社風です。
その探求力が、思いがけず新しい製品の開発に繋がったというエピソードがあります。それは「神奈川工業技術開発大賞奨励賞」や「九都県市のきらりと光る産業技術表彰」などの各賞を授与され、「川崎ものづくりブランド」にも認定された、超小型IoTセンサーモジュール「μPRISM」(マイクロプリズム)が誕生したときのことです。
「μPRISM」は、小指の爪より小さい5.2㎜×9.0㎜の極小基盤に、温度や気圧、加速度、紫外線など7種類のセンサーとBluetoothを搭載したIoTセンサーモジュールです。あらゆる物をインターネットと繋いでデータを取得し、手元の端末で計測結果を確認したり、データを記録したりできるため、例えば製品に「μPRISM」を組み込むことで、どこにいても工場の生産管理や、従業員の安全管理、運送物の品質管理などができるようになります。
実はこの製品は、作ろうと思ってできたものではありませんでした。弊社の開発スタイルは、基本的にはお客様からの依頼に合わせて仕様を決めていく完全受託開発です。しかし「μPRISM」は、人工衛星に搭載する機器を「今の技術でどこまで小さくできるか」と遊び半分で試していたときに、偶然できてしまったのです。せっかくでき上がったので展示会に出品してみると、多くの来場者の方から「ぜひ商品化してほしい」と高評価を受け、自社製品としてリリースすることになりました。
私たちの超小型軽量化技術の結晶とも言える「μPRISM」を通して、これからのIoT社会の発展に貢献していくことが今後の目標です。「μPRISM」の使い方は様々で、すでに自動車会社の走行試験や、人や荷物の状態監視、工場や部屋の環境状況把握、動物の生態監視などで使用されていますが、まだまだニーズを探る余地があります。今後も医療、介護、農業、製造、物流など多岐にわたる業界でもっと幅広く導入してもらえるように、情報提供を行っていくとともに、お客様のご要望やお困り事などをじっくりとヒアリングしながら、様々なアイデアを具現化できるようにしていきたいです。
宇宙事業を軸に、常に新しいチャレンジを続ける企業に
私たちはこれからも開発会社として、変化し続ける未来に歩調を合わせて、新しいことにチャレンジし続ける企業でありたいと考えています。先端技術というマニアックな分野で、世の中の役に立つものを社員とともに生み出していきたいと思っています。今最も興味を持ち伸ばしていきたいと思っているのは、宇宙開発分野です。弊社では、これまでの技術を活かして宇宙関連事業への参入を検討していましたが、国内で開発を行っている事業者は主に大手数社のみでした。大手企業の下請けでものづくりをするより、海外に進出し自由な発想で開発に取り組めた方がモチベーション向上にもなるだろうと考えていたところ、弊社のマイクロ波などの技術を使わせてほしいとJAXA(宇宙航空開発機構)から声がかかりました。現在は技術協力により、JAXAの超広帯域アンテナと弊社の超高速デジタル信号変換技術を組み合わせた、干渉型デジタルマイクロ波放射計を開発しました。海面温度や塩分濃度等の観測により漁業分布が予測できるほか、精密な気象観測、地中埋設物の探査などが可能となります。
現時点での宇宙関連事業は市場がどう伸びるか読めませんが、世界に目を向けてみると、イーロン・マスク氏率いるアメリカの宇宙開発企業「SpaceX」が人工衛星を使った通信サービスで成功しているような例もあります。宇宙開発がビジネスとして成り立つ日は、そう遠くはないのかもしれません。
地域、日本、世界の未踏領域に挑むものづくり
今後は将来の宇宙開発を見据えて、人工衛星など広範囲にわたる装置開発が出来るような企業に成長したい考えです。そのためには、人員や技術の幅をスケールアップしていく必要があります。弊社の方向性と合う会社とタッグを組めそうであれば積極的に挑戦し、人財の採用にも注力していく予定です。新しい仲間に求めたいのは、ポテンシャルよりも、大変なことも面白がってチャレンジできる向上心です。私たちの業界は日進月歩で進化を続けています。そのため、現状維持は衰退に向かうのと同じなのです。非常に厳しい世界ですが、常に試行錯誤しながら、好きなことをとことん突き詰めたい技術者にはピッタリな仕事だと思います。
将来は、私の代で会社を絶やさないよう社内承継の準備を進めると同時に、地域の企業や行政とも協力して技術の承継もしていきたいと考えています。地域との繋がりを大切にするという意味では、地元のプロバスケットボールチームでB.LEAGUE所属の「川崎ブレイブサンダース」のスポンサーとしてチームの応援も行っています。社長として、社員にとってプラスになることを考えるのは当然ですが、これからは自分たちのことだけではなく、地域が一体となって盛り上がったり、発展したりしていけるように、弊社として出来ることを考えながら実践していきたいと思っています。
私は学生時代に山登りをしていたこともあり、ものづくりを山登りに例えて社員に話すことがよくあります。開発も山登りも準備が最も大事であり、途中は苦しいけれど、達成し努力が報われたときの喜びがとても大きいところがよく似ています。社員全員がその充実感や達成感を味わい、また挑戦したいと思えるようなやりがいのある仕事に取り組んでいきたいと思います。
ツグナラコンサルタントによる紹介
宇宙事業を軸に、常に新しいチャレンジを続けている企業様です。宇宙に関連する業界は、日進月歩で技術が進展し、常に新しいことを求められますが、積極的な挑戦をし続けています。地域や行政とも協力し、その技術を次世代に継いでいくことにも注力されています。
会社概要
社名 | エレックス工業株式会社 |
創立年 | 1976年 |
代表者名 | 代表取締役 内藤 岳史 |
資本金 | 1200万円 |
本社住所 |
213-0014 神奈川県川崎市高津区新作1-22-23 |
事業内容 | コンピュータ応用を中心とする電子機器・通信機器の開発及び製造 |
URL |
https://www.elecs.co.jp/
|
会社沿革
1976年 | エレックス工業株式会社 創立。資本金600万円。 川崎市高津区溝の口にて、電子機器の設計・製造を開始 |
1979年 | 川崎市高津区末長に事務所を移転 |
1980年 | 資本金1200万円に増資 |
1981年 | 川崎市宮前区宮崎に事務所移転 |
1983年 | 電波研究所向けに国産初の実用VLBI相関器(K3型)を開発・製造。(天文分野へ参加) ハワイ‐日本間の超精密な長距離測量に使用され、VLBI測量の確立に役立った |
1984年 | 市町村防災行政無線システムの設計に関わる。(公共防災分野へ参加) |
1985年 | 川崎市高津区新作に事務所移転 |
1986年 | 消防用自動出動支援装置を設計創造。(消防分野へ参加) |
1989年 | 川崎市馬絹に自社工場を開設 |
1992年 | 国立天文台向けVLBI相関器(K4型)を設計創造。(天文分野に深く関わるようになる) |
1994年 | インバンドリンガーを開発・製品化。(自社ブランド製品の販売) |
1997年 | 本社事務所(A館)に隣接してB館を増築 |
2007年 | 工場を本社内へ移転 |
2008年 | 経営革新計画の申請を行い承認を受ける 国の「ものづくり中小企業製品開発等支援補助金」を交付される 川崎市の「新技術・新製品開発等支援事業補助金」の交付を受ける |
2009年 | 韓国の国立天文科学研究院のKVNシステム向け超高速大型VLBI相関器を開発・納入 |
2010年 | 神奈川県の「創造的新技術開発計画」の認定を受け補助金を交付される |
2011年 | 補助金を受けた直接変換方式超広帯域AD変換装置の開発に成功 |
2014年 | ブラックホール観測を目指す国際プロジェクトのALMAサイト(チリ)に10GbE波長多重伝送装置を開発納入 |
2017年 | 超小型センサーモジュール「μPRISM」を開発 |
2018年 | μPRISMが「九都県市のきらりと光る産業技術表彰」を授与される μPRISMが「川崎ものづくりブランド」に認定される |
2019年 | M87ブラックホール撮像結果が公開 μPRISMが「神奈川工業技術開発大賞奨励賞」を受賞 |
2021年 | 川崎市から生産性向上及び働き方改革への取り組みについて表彰される |
2022年 | 干渉型デジタルマイクロ波放射計(SAMRAI)を開発 天の川銀河中心のブラックホール撮像結果が公開 |
エレックス工業株式会社の経営資源引継ぎ募集情報
公開日:2023/08/15 (2023/08/16修正)
※本記事の内容および所属名称は2023年8月現在のものです。現在の情報とは異なる場合があります。