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プラスチック射出成形を軸に化成・医療・光学分野で日本を牽引
吉川化成株式会社
人・企業・環境の未来を技術と熱量で無限に広げるプラスのものづくり
経営理念
- 1) 総親和
創業の理念であり、全社員がお互いに調和した時に会社は大きな力を発する。多くの優秀な熱意ある社員を雇用し、社員一人ひとりの成長を願い、個人の幸せを通して会社の繁栄を実現する。その為に「働きがい」のある企業に育て、社員の夢の実現を果たせる企業となる。
- 2) 社会貢献
プラスチック産業の発展に貢献する商品開発に総力を挙げ”未来創造企業”を目指し、業界でのトップ企業になる。
- 3) 順法精神
すべての国の「法令・法律」を遵守し、会社内においては「役員規定・社員規定・運用管理規定・適正な監査規定」に必ず従う。これは企業が繁栄する為の前提条件である。
代表者メッセージ
1946年創業の吉川商店からスタートした弊社は、事業承継を機にプラスチック製造業へと舵を切りました。プラスチック製品の普及と二つの成長点を経て、実績により信頼を築き上げ、化成・メディカル・オプト・住宅建材分野といった安全性や機能性が求められる領域へと拡大を続けています。
弊社の製品や業績への信頼は、働く社員の手から生まれるものであり、社員には幸せという生きがいを実感してほしいと思っています。福利厚生の充実に力を入れるとともに、理念『総親和』を実現する行動指針としてビジョンマップを作成し、すべての社員が家族や働く仲間を大切にしながら成長していけるような環境づくりに努めています。
日本のみならず、世界で活躍できるリーディングカンパニーへと成長していくには、一人でも多くの方や会社様の協力が不可欠となります。家族のように、仲間のように互いを大切にできる関係性を育みながら、同じ景色を見られるよう、今後も総和による幸せを追求し続けていきます。
常務取締役 吉川 拓哉
私たちのこだわり
人と事業の引き継ぎによりプラスチック射出成形業へと舵を切った初代
弊社は、私の祖父にあたる吉川正光が1946年に大阪市で創業した、喫煙に関する道具を扱う喫具商「吉川商店」がルーツとなっています。
吉川家は代々、歯科医を営んできた家系であり、長男であった初代は、家業を継ぐため歯学系の大学に通っていました。しかし祖父は、決められた道を歩むよりも新しいことに挑戦したいという気持ちをずっと持ち続けていたそうです。その後、自分の選んだ道を歩むと決めた初代は、谷田製作所(現タニタ)に就職し、日中戦争の徴兵により中国に出征して現地の鉄道局に勤めました。帰国してすぐに心斎橋の二階建て家屋で吉川商店を開き、卸売業者向けに喫煙具のライターや雑貨などの販売を始めたそうです。
4年後の1950年には、同じ家屋でプラスチック製のタバコケースを製造していた会社が倒産し、社員数名と事業を引き継ぎ「株式会社吉川商店」を設立しました。プラスチックは、1950年前後から登場した新しいマテリアルであったため加工技術が確立されておらず、市場価値の可能性を見出した先代は、プラスチック成形事業に舵を切っていきました。
祖業を軸に、家電、携帯電話、医療、光学、自動車分野へと一気に拡大
個人事業からスタートし、事業引き継ぎにより会社の規模を拡大した後の弊社の成長点は二つあります。
第一次成長期は、1963年に松下電器産業(現パナソニック)からプラスチック製洗濯槽の製造を請け負うことになったタイミングです。当時の吉川商店の近隣には松下電器産業の本社があり、他社に先駆けてプラスチック製品を製造していた弊社に声がかかりました。冷蔵庫やテレビと並び三種の神器と言われていた洗濯機は、当時はまだ大変高価なものであり、一般家庭への普及を進めるため、部品のほとんどが金属で作られていた洗濯機を、安価で大量生産が容易なプラスチックでつくろうという大プロジェクトが立ち上がりました。初代は「社運をかけてでも必ず成功させる」と参画を決意し、時価1億円相当の射出成型機を2機購入し、開発に乗り出しました。2年の開発期間によりつくられた丈夫な洗濯槽は、松下電器産業から高く評価され、弊社の売上と利益は大きく引き上げられていきました。この経験と実績がなければ、今の弊社はなかったと感じています。
第二次成長期としては、1990年代の携帯電話の普及です。当時主流であった二つ折り型携帯電話の筐体の成形と塗装を請け負っていた弊社は、携帯電話の普及と共に飛躍的に売上が伸び、オーディオ機器の筐体の製造にも携わることでさらに成長していきました。好調な売上により得られた潤沢な資金を元手として、海外拠点を新設するとともに、国内ではまだ珍しかったプラスチック製の医療機器の製造や、カメラなどの光学製品、自動車製造分野といった新事業への設備投資や、雇用の拡大に向けた投資を行っていきました。
2020年代に入ってからは、先行投資をした新規事業が順調に伸びてきており、第三次成長期に入ったことを感じています。リーマンショックなどの危機を乗り越え、リスク分散を図りながら、現在も多岐にわたり事業領域を展開できているのは、父である現社長が先行投資を行い、事業ポートフォリオ(事業の構成、組み合わせ)の最適化を図ることができたからだと思っています。
家業の規模感と他社の信頼を実感しプロゴルファーから転身した常務
父である現社長は、自宅では会社の話は一切せず、現在常務である私自身もあまり会社のことは知らないまま育ちました。立命館大学の経営学部に入学した当初は、大手自動車メーカーに入社したいと思っており、ゴルフができる営業マンになれたらという軽い気持ちでゴルフ部に入部しました。しかし、せっかく挑戦するなら後悔はしたくないと思いゴルフに打ち込んでいったところ、大学3年頃から成績が大きく伸び、自信がついたことで、プロゴルファーの道に進むことを決めました。
大学を卒業後にはプロゴルファーとして海外の大会に出場するようになり、マレーシアのある大会に参戦した時に、観戦に来ていた現地の日本人の方から「吉川化成の吉川さんですよね。いつもお世話になっています」と声をかけられました。後々調べたところ、弊社の取引先の方であることがわかり、海外の地で取引先の方に挨拶をされる弊社の規模感と、他社からの信頼を初めて間近に感じました。そのことがきっかけとなり、家業に興味を抱くようになり、弊社への入社を決めました。
入社後は、一般社員からスタートし、社員の熱い想いや優しさに触れ、事業に取り組む楽しさを感じながら働きました。現在は常務取締役として、専務取締役の兄と力を合わせて経営を担っております。
強みを活かしながら、次の時代へバトンを渡す重要性
弊社の祖業であるプラスチック射出成形は、プラスチック樹脂を加熱溶融し、金型に射出することで成形品を形づくる手法です。これまでの事業展開は、すべて射出成形事業から創発されたものであり、今後もお客様や取引先との情報交換やご縁の中で、発展性のある事業に取り組んでいきたいと思っています。長年にわたり、ものづくりの技術を磨き続けてきた弊社の強みは三つあり、今後も事業展開に応じて活かしていけると思っています。
まず一つ目の長所は、射出成形に欠かせない金型設計・製作の技術力です。CAD、CAM、CAEなどのシステムを使った流動解析により事前に成形の問題を抽出し、金型の製作に反映することで充填時の問題などを未然に防ぎつつ、開発リードタイムの短縮を図ることができます。
二つ目は、技術品質保証です。弊社では、製品の企画から組み立てまでを行う総合生産システムを構築し、製品の供給前後も含めた品質保証体制を確立しています。安全な製品を適正な価格で提供できるということが弊社の強みです。弊社の事業領域には、医療や自動車業界といった人の安全性に直接関わる分野があり、製造工程だけではなく製品そのものの安全性も求められるため、妥協しない品質管理が必要となります。安全性と機能性を両立できる、創造型の技術提案により、お客様が安心できる体制のため改善を続けていきたいと考えています。
三つ目の強みは、お客様からのご依頼はすべて検証し、必ず結果を明示するようにしていることです。技術も営業もスピード対応を徹底しており、対応できそうにない場合は「なぜ」できないかを分析して、お客様には検証プロセスなどの情報をすべて共有し説明するようにしています。現在はお客様のご要望にはほぼ対応できるまでになり、お客様からは「吉川さんでできなければどこに頼めばいいのだろう」と言っていただけるまでになりました。弊社がプラスチック製造の最後の砦のような位置づけにもなってきていると感じており、お客様からの期待には、今後も仕事を通じてお応えしていきたいと思っています。
全社員の幸せな生活を第一に考えたフルサポートの福利厚生
現在のグループ全体の社員数は、派遣社員やパート社員も含めると1,700名、正社員は300名となっています。
社員教育としては、特にテキストなどは用意せず、OJTを中心に行っています。製品やサービスは社員の協力なしには完成せず、絶対的な自信をもってお客様に製品を提供したいからこそ、私自身が育成から率先して携わるようにしています。社員との対話の時間は年間1,000時間つくり、1on1の面談含めて年間600回以上の対話形式の会議などを行っています。
社員の評価としては、人と人、お客様、同僚、部下にどうやったら寄り添えるかを重視しており、相手を想う行動ができている社員を会社として評価していくことが弊社の発展にも繋がるだろうと考えています。社会的に評価され、業績もいい会社の社員のワークエンゲージメントは高いと言われており、弊社も社員の良心に基づく考えや行動を大事にすることで、働きやすい職場にも繋がるだろうと思っています。
働きやすい職場づくりとしては、福利厚生の充実にも力を入れており、資格の取得支援のほか、有給休暇を消化しない特別休暇、1日100円の日替わりランチ等々の制度があり、入社後に「いい会社だな」と思っていただけることが多いようです。同規模の会社の離職率は17.4%のところが弊社では2.8%であり、働きやすさが数字にも現れていると感じています。社員をサポートする体制が充実していることを求職サイトでも可視化し、どんな経営者かがわかるように社外にも発信していくことで、採用にも繋げられたらと思っています。
ビジョンマップ作成により基本方針行動の定着を図る
『総親和』という経営理念は、創業者である祖父が定めました。全社員の調和により大きな力が発せられる、という意味が込められており、理念として定められる以前の創業時から70年以上にわたり、弊社の根幹となる考えとして根づいてきました。長い年月によりこの理念が浸透する一方で、行動方針はまだ社員に定着していないと感じ、今年度からビジョンマップを作りました。ビジョンマップは『総親和』を実現するために意識するべきものとして、社員に伝わるようにできる限り具体的に言語化しています。ミッション、ビジョン、バリューの大枠は経営幹部で決め、細かな行動基準・判断基準は、現場に近い課長クラスの社員に決めてもらいました。
ODOROKI 『WOW』を生み出す判断基準は『変えてはいけないもの』『変えるもの』の21項目がありますが『利益』と『安全保障・品質担保』のように、両立しづらいトレードオフの関係性となっている項目もあり、取り組めそうな項目を社員自身が選び、計10項目を満たすことを目標にしてもらっています。また、会社にとっては売上に直結する分析や計画も必要ですが、社員のやる気や覚悟も評価されるべきだと考えており、『ONE VALUE』を『TEAM VALUE』にして仲間と協力して最後まで拘りぬく姿勢を大切にしています。ビジョンマップにより、会社として大切にしたいことを目に見える形で定義することで、評価の判断基準がより明確になっただろうと思っています。
グループ連携と規模拡大、情報発信で自社課題の解決を目指す
弊社では、子会社やグループ会社との連携を大切にしています。国内拠点はプラスチック射出成形の金型技術が最大の強みであり、タイ、マレーシア、メキシコにある海外5拠点では、組み立てや塗装、印刷といったプラスアルファの加工が得意であり、弊社の事業を国内外から支えています。
また、豊田通商との合弁会社として株式会社ティーワイオプティクスを設立し、自動車のヘッドライト向けレンズの製造をしています。豊田通商は営業、弊社は製造が得意であり、互いの強みを活かしながら、シナジー効果により付加価値を生み出すことができていると実感しています。
現在の全社的な課題としては、ここ20年ほどは利益を保持できているものの、売上が伸び悩んでいることです。ものづくりの生産力は、人と拠点の規模にかかる部分が多く、製造業が売上を伸ばしていくには、土地や建物、設備の規模を拡大し、生産拠点の増設が欠かせません。今後さらに力を入れていかなければならないと感じているところです。
もう一つの課題は、新たな人材の雇用です。弊社では射出成形の技術を持った人材が定年を迎えるようになってきており、技術を繋いでいくには新たな人材を迎え入れ、育てていく必要があります。人材の確保は業界全体での課題でもあり、射出成形業の魅力を自ら発信し、ブランディングに努めていかなければと考えています。リクルーティングサイトの開設やSNSの活用などにより情報発信をすることで、雇用に繋げていきたい考えです。
連携力でプラスチック射出成形のリーディングカンパニーへと成長
弊社はあと27年で100年目の節目を迎えます。今後も祖業のプラスチック射出成形をベースに事業を拡大し、日本一のリーディングカンパニーへと押し上げていきたいと考えています。同業の最大規模の会社は700億円超であり、現在の成長速度であれば、プラスチック射出成形分野での日本一の会社になることは不可能ではないと思っています。
現在、弊社は医療関係のコンソーシアムのほか西日本プラスチック製造業の業界団体に所属しており、企業会員として一般社団法人日本経済団体連合会(経団連)にも加盟しています。射出成形業者が経団連に加盟したケースはごく稀であり、今後、西日本から日本プラスチック製造業の第一人者と成長していくことで、国内外問わず環境問題も含めたプラスチックの課題や困りごとを相談してもらえるような立ち位置になっていきたいと考えております。そのためには、会社の体制やコストを見直すのみではなく、生産性を向上させながら筋肉質な経営基盤を構築していくことが大事だと思います。
業界の発展のためには仲間を増やしていくことも必要であり、ご縁があるならば、事業引き継ぎやM&Aにより同じ想いをもつ会社様と力を合わせていきたいと考えています。事業領域としては、この先10年を考えると、宇宙ビジネスは視野に入れておきたい領域であり、新規事業や共同開発に向けて徐々に行動を起こし始めたところです。熱い想いやアイデア、技術をお持ちの会社様がいらっしゃいましたら、ぜひお話を伺いたいと考えております。
人と事業の引き継ぎによりプラスチック射出成形業へと舵を切った初代
弊社は、私の祖父にあたる吉川正光が1946年に大阪市で創業した、喫煙に関する道具を扱う喫具商「吉川商店」がルーツとなっています。
吉川家は代々、歯科医を営んできた家系であり、長男であった初代は、家業を継ぐため歯学系の大学に通っていました。しかし祖父は、決められた道を歩むよりも新しいことに挑戦したいという気持ちをずっと持ち続けていたそうです。その後、自分の選んだ道を歩むと決めた初代は、谷田製作所(現タニタ)に就職し、日中戦争の徴兵により中国に出征して現地の鉄道局に勤めました。帰国してすぐに心斎橋の二階建て家屋で吉川商店を開き、卸売業者向けに喫煙具のライターや雑貨などの販売を始めたそうです。
4年後の1950年には、同じ家屋でプラスチック製のタバコケースを製造していた会社が倒産し、社員数名と事業を引き継ぎ「株式会社吉川商店」を設立しました。プラスチックは、1950年前後から登場した新しいマテリアルであったため加工技術が確立されておらず、市場価値の可能性を見出した先代は、プラスチック成形事業に舵を切っていきました。
祖業を軸に、家電、携帯電話、医療、光学、自動車分野へと一気に拡大
個人事業からスタートし、事業引き継ぎにより会社の規模を拡大した後の弊社の成長点は二つあります。
第一次成長期は、1963年に松下電器産業(現パナソニック)からプラスチック製洗濯槽の製造を請け負うことになったタイミングです。当時の吉川商店の近隣には松下電器産業の本社があり、他社に先駆けてプラスチック製品を製造していた弊社に声がかかりました。冷蔵庫やテレビと並び三種の神器と言われていた洗濯機は、当時はまだ大変高価なものであり、一般家庭への普及を進めるため、部品のほとんどが金属で作られていた洗濯機を、安価で大量生産が容易なプラスチックでつくろうという大プロジェクトが立ち上がりました。初代は「社運をかけてでも必ず成功させる」と参画を決意し、時価1億円相当の射出成型機を2機購入し、開発に乗り出しました。2年の開発期間によりつくられた丈夫な洗濯槽は、松下電器産業から高く評価され、弊社の売上と利益は大きく引き上げられていきました。この経験と実績がなければ、今の弊社はなかったと感じています。
第二次成長期としては、1990年代の携帯電話の普及です。当時主流であった二つ折り型携帯電話の筐体の成形と塗装を請け負っていた弊社は、携帯電話の普及と共に飛躍的に売上が伸び、オーディオ機器の筐体の製造にも携わることでさらに成長していきました。好調な売上により得られた潤沢な資金を元手として、海外拠点を新設するとともに、国内ではまだ珍しかったプラスチック製の医療機器の製造や、カメラなどの光学製品、自動車製造分野といった新事業への設備投資や、雇用の拡大に向けた投資を行っていきました。
2020年代に入ってからは、先行投資をした新規事業が順調に伸びてきており、第三次成長期に入ったことを感じています。リーマンショックなどの危機を乗り越え、リスク分散を図りながら、現在も多岐にわたり事業領域を展開できているのは、父である現社長が先行投資を行い、事業ポートフォリオ(事業の構成、組み合わせ)の最適化を図ることができたからだと思っています。
家業の規模感と他社の信頼を実感しプロゴルファーから転身した常務
父である現社長は、自宅では会社の話は一切せず、現在常務である私自身もあまり会社のことは知らないまま育ちました。立命館大学の経営学部に入学した当初は、大手自動車メーカーに入社したいと思っており、ゴルフができる営業マンになれたらという軽い気持ちでゴルフ部に入部しました。しかし、せっかく挑戦するなら後悔はしたくないと思いゴルフに打ち込んでいったところ、大学3年頃から成績が大きく伸び、自信がついたことで、プロゴルファーの道に進むことを決めました。
大学を卒業後にはプロゴルファーとして海外の大会に出場するようになり、マレーシアのある大会に参戦した時に、観戦に来ていた現地の日本人の方から「吉川化成の吉川さんですよね。いつもお世話になっています」と声をかけられました。後々調べたところ、弊社の取引先の方であることがわかり、海外の地で取引先の方に挨拶をされる弊社の規模感と、他社からの信頼を初めて間近に感じました。そのことがきっかけとなり、家業に興味を抱くようになり、弊社への入社を決めました。
入社後は、一般社員からスタートし、社員の熱い想いや優しさに触れ、事業に取り組む楽しさを感じながら働きました。現在は常務取締役として、専務取締役の兄と力を合わせて経営を担っております。
強みを活かしながら、次の時代へバトンを渡す重要性
弊社の祖業であるプラスチック射出成形は、プラスチック樹脂を加熱溶融し、金型に射出することで成形品を形づくる手法です。これまでの事業展開は、すべて射出成形事業から創発されたものであり、今後もお客様や取引先との情報交換やご縁の中で、発展性のある事業に取り組んでいきたいと思っています。長年にわたり、ものづくりの技術を磨き続けてきた弊社の強みは三つあり、今後も事業展開に応じて活かしていけると思っています。
まず一つ目の長所は、射出成形に欠かせない金型設計・製作の技術力です。CAD、CAM、CAEなどのシステムを使った流動解析により事前に成形の問題を抽出し、金型の製作に反映することで充填時の問題などを未然に防ぎつつ、開発リードタイムの短縮を図ることができます。
二つ目は、技術品質保証です。弊社では、製品の企画から組み立てまでを行う総合生産システムを構築し、製品の供給前後も含めた品質保証体制を確立しています。安全な製品を適正な価格で提供できるということが弊社の強みです。弊社の事業領域には、医療や自動車業界といった人の安全性に直接関わる分野があり、製造工程だけではなく製品そのものの安全性も求められるため、妥協しない品質管理が必要となります。安全性と機能性を両立できる、創造型の技術提案により、お客様が安心できる体制のため改善を続けていきたいと考えています。
三つ目の強みは、お客様からのご依頼はすべて検証し、必ず結果を明示するようにしていることです。技術も営業もスピード対応を徹底しており、対応できそうにない場合は「なぜ」できないかを分析して、お客様には検証プロセスなどの情報をすべて共有し説明するようにしています。現在はお客様のご要望にはほぼ対応できるまでになり、お客様からは「吉川さんでできなければどこに頼めばいいのだろう」と言っていただけるまでになりました。弊社がプラスチック製造の最後の砦のような位置づけにもなってきていると感じており、お客様からの期待には、今後も仕事を通じてお応えしていきたいと思っています。
全社員の幸せな生活を第一に考えたフルサポートの福利厚生
現在のグループ全体の社員数は、派遣社員やパート社員も含めると1,700名、正社員は300名となっています。
社員教育としては、特にテキストなどは用意せず、OJTを中心に行っています。製品やサービスは社員の協力なしには完成せず、絶対的な自信をもってお客様に製品を提供したいからこそ、私自身が育成から率先して携わるようにしています。社員との対話の時間は年間1,000時間つくり、1on1の面談含めて年間600回以上の対話形式の会議などを行っています。
社員の評価としては、人と人、お客様、同僚、部下にどうやったら寄り添えるかを重視しており、相手を想う行動ができている社員を会社として評価していくことが弊社の発展にも繋がるだろうと考えています。社会的に評価され、業績もいい会社の社員のワークエンゲージメントは高いと言われており、弊社も社員の良心に基づく考えや行動を大事にすることで、働きやすい職場にも繋がるだろうと思っています。
働きやすい職場づくりとしては、福利厚生の充実にも力を入れており、資格の取得支援のほか、有給休暇を消化しない特別休暇、1日100円の日替わりランチ等々の制度があり、入社後に「いい会社だな」と思っていただけることが多いようです。同規模の会社の離職率は17.4%のところが弊社では2.8%であり、働きやすさが数字にも現れていると感じています。社員をサポートする体制が充実していることを求職サイトでも可視化し、どんな経営者かがわかるように社外にも発信していくことで、採用にも繋げられたらと思っています。
ビジョンマップ作成により基本方針行動の定着を図る
『総親和』という経営理念は、創業者である祖父が定めました。全社員の調和により大きな力が発せられる、という意味が込められており、理念として定められる以前の創業時から70年以上にわたり、弊社の根幹となる考えとして根づいてきました。長い年月によりこの理念が浸透する一方で、行動方針はまだ社員に定着していないと感じ、今年度からビジョンマップを作りました。ビジョンマップは『総親和』を実現するために意識するべきものとして、社員に伝わるようにできる限り具体的に言語化しています。ミッション、ビジョン、バリューの大枠は経営幹部で決め、細かな行動基準・判断基準は、現場に近い課長クラスの社員に決めてもらいました。
ODOROKI 『WOW』を生み出す判断基準は『変えてはいけないもの』『変えるもの』の21項目がありますが『利益』と『安全保障・品質担保』のように、両立しづらいトレードオフの関係性となっている項目もあり、取り組めそうな項目を社員自身が選び、計10項目を満たすことを目標にしてもらっています。また、会社にとっては売上に直結する分析や計画も必要ですが、社員のやる気や覚悟も評価されるべきだと考えており、『ONE VALUE』を『TEAM VALUE』にして仲間と協力して最後まで拘りぬく姿勢を大切にしています。ビジョンマップにより、会社として大切にしたいことを目に見える形で定義することで、評価の判断基準がより明確になっただろうと思っています。
グループ連携と規模拡大、情報発信で自社課題の解決を目指す
弊社では、子会社やグループ会社との連携を大切にしています。国内拠点はプラスチック射出成形の金型技術が最大の強みであり、タイ、マレーシア、メキシコにある海外5拠点では、組み立てや塗装、印刷といったプラスアルファの加工が得意であり、弊社の事業を国内外から支えています。
また、豊田通商との合弁会社として株式会社ティーワイオプティクスを設立し、自動車のヘッドライト向けレンズの製造をしています。豊田通商は営業、弊社は製造が得意であり、互いの強みを活かしながら、シナジー効果により付加価値を生み出すことができていると実感しています。
現在の全社的な課題としては、ここ20年ほどは利益を保持できているものの、売上が伸び悩んでいることです。ものづくりの生産力は、人と拠点の規模にかかる部分が多く、製造業が売上を伸ばしていくには、土地や建物、設備の規模を拡大し、生産拠点の増設が欠かせません。今後さらに力を入れていかなければならないと感じているところです。
もう一つの課題は、新たな人材の雇用です。弊社では射出成形の技術を持った人材が定年を迎えるようになってきており、技術を繋いでいくには新たな人材を迎え入れ、育てていく必要があります。人材の確保は業界全体での課題でもあり、射出成形業の魅力を自ら発信し、ブランディングに努めていかなければと考えています。リクルーティングサイトの開設やSNSの活用などにより情報発信をすることで、雇用に繋げていきたい考えです。
連携力でプラスチック射出成形のリーディングカンパニーへと成長
弊社はあと27年で100年目の節目を迎えます。今後も祖業のプラスチック射出成形をベースに事業を拡大し、日本一のリーディングカンパニーへと押し上げていきたいと考えています。同業の最大規模の会社は700億円超であり、現在の成長速度であれば、プラスチック射出成形分野での日本一の会社になることは不可能ではないと思っています。
現在、弊社は医療関係のコンソーシアムのほか西日本プラスチック製造業の業界団体に所属しており、企業会員として一般社団法人日本経済団体連合会(経団連)にも加盟しています。射出成形業者が経団連に加盟したケースはごく稀であり、今後、西日本から日本プラスチック製造業の第一人者と成長していくことで、国内外問わず環境問題も含めたプラスチックの課題や困りごとを相談してもらえるような立ち位置になっていきたいと考えております。そのためには、会社の体制やコストを見直すのみではなく、生産性を向上させながら筋肉質な経営基盤を構築していくことが大事だと思います。
業界の発展のためには仲間を増やしていくことも必要であり、ご縁があるならば、事業引き継ぎやM&Aにより同じ想いをもつ会社様と力を合わせていきたいと考えています。事業領域としては、この先10年を考えると、宇宙ビジネスは視野に入れておきたい領域であり、新規事業や共同開発に向けて徐々に行動を起こし始めたところです。熱い想いやアイデア、技術をお持ちの会社様がいらっしゃいましたら、ぜひお話を伺いたいと考えております。
ツグナラコンサルタントによる紹介
大阪市を拠点に国内外に広くネットワークを持つ非球面プラスチックレンズ、医療機器、床下収納庫、LED照明部品等の開発、生産、販売を行う企業です。吉川化成様を知れば知るほど、全社員を大切にする経営をされていると強く感じます。成長を続けており、「未来創造企業」として必ずや業界を牽引する先導的企業になると思います。
会社概要
社名 | 吉川化成株式会社 |
創立年 | 1950年 |
代表者名 | 代表取締役社長 吉川秀朗 |
資本金 | 18000万円 |
事業エリア |
本社・大阪営業所
538-0052 大阪府大阪市鶴見区横堤5-6-34 06-6912-7295 |
新横浜営業所
222-0033 神奈川県横浜市港北区新横浜3-9-5 新横浜第3東昇ビル4F |
|
【国内生産拠点】 大阪工場(主要成形品:OA機器関連)
538-0052 大阪府大阪市鶴見区横堤5-6-34 06-6912-7295 |
|
メディカル大阪工場(主要成形品:医療部品関連)
538-0052 大阪府大阪市鶴見区横堤5-6-34 06-6912-3622(代表) |
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奈良工場(主要成形品:家電製品)
630-0142 奈良県生駒市北田原町1705 0743-78-1611(代表) |
|
静岡工場(主要成形品:家電製品・車載内装関連)
437-0032 静岡県袋井市豊沢806-1 0538-42-7171(代表) |
|
メディカル静岡工場(主要成形品:医療部品関連)
437-0004 静岡県袋井市友永1217-12 0538-49-5880(代表) |
|
東北工場(主要成形品:デジタル機器・車載の光学レンズ関連)
023-1101 岩手県奥州市江刺岩谷堂字松長根69-3 0197-35-3861(代表) |
|
東北新工場(主要成形品:デジタル機器・車載の光学レンズ関連)
023-1101 岩手県奥州市江刺岩谷堂字袖山11-33 0197-34-1005 |
|
大分工場(主要成形品:OA機器関連)
870-0319 大分県大分市大分流通業務団地1-3-4 097-524-2071(代表) |
|
本社住所 |
538-0052 大阪府大阪市鶴見区横堤5-6-34 |
事業内容 | <化成品分野> ・情報機器(携帯電話、デジタルカメラなど) ・OA機器(DVD、プリンタ、FAX、コピー機、プロジェクターなど) ・家電製品(食器洗浄機、ドラム式洗濯機など) の3分野を中心にプラスチック成形の多様なニーズに対応しています。 <オプト分野> 精密プラスチック成形金型そして精密射出成形技術をベースに、光学設計から精密レンズ成形、蒸着加工、組立までを社内一貫体制にて構築しています。 <メディカル・ヘルスケア分野> 多様なニーズに合わせて商品コンセプトの策定からデザイン、設計、さらに医療機器製造認可工場での生産、薬事申請まですべてに対応しています。 <住宅建材分野 (YPC株式会社)> 主に大手ハウスメーカー様や大手建材メーカー様向けに住宅設備の自社商品を生産しています。 成形から組立・ 出荷までを、工業製品と同じ品質管理体制で行っています。 |
URL |
https://www.ypc-g.com/
|
会社沿革
1946年 | 吉川正光、大阪市南区鰻谷にて吉川商店を創業 |
1950年 | 株式会社に改組、株式会社 吉川商店設立 資本金80万円 |
1968年 | 大阪工場新館竣工 |
1971年 | 奈良工場竣工 |
1973年 | 静岡工場竣工 |
1976年 | 東北工場竣工 東京営業所(現在の新横浜営業所)開設 |
1989年 | 吉川化成株式会社に社名変更 |
1994年 | マレーシアにM.Y.C.M.Sdn.Bhd.設立 |
1995年 | テクニカルセンター(現在の技術センター)開設 |
1998年 | マレーシアにYPC(Malaysia)設立 |
2002年 | メディカル事業発足 |
2003年 | オプト事業発足 |
2006年 | タイにYPC Precision (Thailand) Co., Ltd.を設立 大阪工場新社屋(本社)竣工 |
2007年 | 大分工場竣工 タイ・ウェルグローに新工場竣工 |
2011年 | パナソニック社より「EXパスポート」取得 パナソニック社より「ECO・VC賞」金賞受賞 |
2014年 | タイに合弁会社TY OPTICS設立 メディカル静岡工場竣工 大阪府「大阪ものづくり優良企業賞2014」にて最優秀企業賞受賞 パナソニック社より「ECO・VC賞」金賞受賞 |
2015年 | 『第6回ものづくり日本大賞』 「優秀賞」を受賞 |
2016年 | 東京営業所を新横浜へ移転 |
2017年 | 商品カンパニー奈良工場竣工 |
2018年 | タイ ウェルグロー 第二工場 竣工 パナソニック社より「ECO・VC賞」銀賞受賞 |
2019年 | YPC株式会社設立 東北新工場竣工 |
吉川化成株式会社の経営資源引継ぎ募集情報
公開日:2023/09/29 (2023/10/03修正)
※本記事の内容および所属名称は2023年10月現在のものです。現在の情報とは異なる場合があります。