横浜市中
横浜市
引継ぎ実績あり
困っているそば店を助け続けて17店舗に成長。横浜で愛される飲食企業
株式会社タカシン
横浜で50年以上続くそば店がもっとも大切にしてきたモットー
経営理念
お腹いっぱいに美味しい蕎麦をいつでも気軽に誰とでも
代表者メッセージ
創業から50年以上、時代は変わっても、決して変わることなく一貫してこだわり続けてきたものがあります。それは、素材の品質や味だけでなはなく、店づくりや価格などもふくめ、お客様に提供できる付加価値をトータルで考えるということです。弊社が運営するそば店「味奈登庵」は、日本そばの素材・味・ボリュームにこだわり、しかもこれまでにない低価格でお客様にご提供することを最大のモットーとしております。それが、「味奈登庵スタイル」です。
代表取締役社長 高橋大介
私たちのこだわり
スタートは元エンジニアの初代がはじめたそば店
弊社は1968年に初代が横浜市中区山下町で始めた小さなそば店がルーツです。「お腹いっぱいに美味しい蕎麦をいつでも気軽に誰とでも」を創業以来のモットーにして、現在では 横浜市を中心に「味奈登庵」の屋号で17店舗展開しております。
そば店を始めるまで初代は、富士通株式会社でトランジスタのエンジニアをしておりました。初代は高専を卒業し、技術畑一筋でやってきましたが、同社で優れたエンジニアに囲まれて仕事をする中で、「この道で生き残っていくのは難しい」と思ったようです。そこで初代は料理経験がないにも関わらず、そば店の経営を目指し、東京都内のそば店での1年間の修行を経て小さなそば店を営むようになりました。その後、初代は1972年に法人化し、弊社・株式会社タカシンを設立しました。
初代は2代目である私の父に当たりますが、息子から見た初代は、お酒や遊びなどの娯楽に時間を割くことはなく、常に勤勉に働いていた印象が強くあります。その姿は、子供心にかっこよく、尊敬の対象でした。
高校卒業後ソフトバンクに就職。30歳で父の会社に転職
2代目である私は、ソフトバンク株式会社(ソフトバンク)に新卒で就職しました。IT業界への関心よりも、同社の創業者である孫正義氏のビジョンを就職セミナーで知り、共感したことが志望した理由です。入社後は管理部門に配属され、経営企画に従事しました。その後、グループ会社のヤフー株式会社(ヤフー)から声をかけて頂き、転籍して人事関係の仕事に従事していました。
弊社に転職したのはソフトバンク、ヤフーで約10年働き、30歳になった頃でした。幼少期から父の働く姿を見て「いつか父のようになりたい」「父の会社で働きたい」と思っていたことが根底にあります。そして孫正義さんの経営者としての仕事ぶりを近くで見ていくなかで、「いつかは経営に携わりたい」という思いを抱くようになったことも理由の1つです。さらに弊社が新工場を立てるという、一大プロジェクトが動きはじめる節目のタイミングだったことも、決断を後押ししました。
ただ、父である初代から一度も継承の話をされたことはありませんでした。あくまでも私の意志で入社したので、いち社員として入っています。入社後に配属されたのは本部事務所で、初代からは「本部機能を整備してほしい」とオーダーされました。ソフトバンク、ヤフー時代の経歴を踏まえた上での初代の采配だったのだと思います。その後、本部長という役職に就き、事務所内や店舗管理に関する業務の整理と仕組化、新工場への引っ越し対応、新店舗の立ち上げなどに携わっていきました。そうした業務に従事して5、6年が経った頃、初代から事業承継し、私が弊社の2代目となりました。今から約15年前のことです。
弊社のモットーは本物志向のそばを低価格でお客様に提供すること
弊社の強みは、モットーにしてきた「お腹いっぱいに美味しい蕎麦をいつでも気軽に誰とでも」を実現するために、日々、工夫をし続けてきたことにあります。
中でもリーズナブルな価格で、高品質なそばを提供するためにたどり着いたのが、製麺とだし、かえし(そばつゆのもと)作りを工場にて一括で行うセントラルキッチン方式です。セントラルキッチンで麺とだし、かえしを作ることで、味のクオリティを安定化させ、まとめて作ることでのスケールメリットでコスト削減を実現しています。
セントラルキッチンでは効率化一辺倒にはならないように昔ながらの製法も大切にしています。例えば、弊社の「味奈登庵」で提供している熟成無添加つゆ(そばつゆ)なら、醤油・本みりん・ザラメを2週間熟成させて作った半生かえしを、天然だしと合わせてさらに2日間寝かせてから提供しております。製麺は、挽きたての粉を毎日自社工場に搬入・製麺して、午前と午後の2回に分けて、打ち立ての状態で各店舗に届けています。だしは、昆布と鰹節、宗田鰹節、さばの本枯節で作っています。おいしいそばを提供するための手間はしっかりとかけていくというのは弊社が大切にしている部分です。
店舗についても、安定した品質でそば茹でや天ぷらづくりができる専用の機械を導入し、少人数で安定した品質のそばを提供できる体制にしています。また、旧来のそば店のように席への案内や注文聞き、お茶出し、配膳などを行うフルサービス店と、それらをお客様自身にしていただくセルフサービス店を、店舗の立地、お客様のニーズを踏まえて展開しています。
困っているそば店の救済がきっかけだった多店舗展開
私が入社した2000年頃は5店舗だった「味奈登庵」ですが、今では横浜市内を中心に17店舗展開するようになっております。今でこそ店舗拡大や新店舗出店の戦略は、中期計画を策定して進めていますが、以前は違いました。17店舗のうち約半数は、お世話になっている不動産業者や金融機関、同業他店から「店主が体調を崩して困っている」「後継者がおらず困っている」などの引継ぎ相談がきっかけです。積極的に店舗を拡大していったというよりも、周りからお願いされた話に対して、ひとつひとつ誠意を持って検討し、それを具体化した出店でした。
例えば「味奈登庵」の港南台日野店は、家族経営で長い間経営され、地元のお客様からも愛され続けていた素晴らしいそば店でした。ご主人が亡くなり、奥様が1人でお店を切り盛りしていたのですが、高齢となり足を痛め、お店を続けることが難しくなったタイミングでお話を頂きました。
地元のお客様のためにも、お店で働いている方のためにも、このお店を何とか守っていかなければならない。その奥様の思いを弊社が受け継ぎ、お店の形はほぼそのままに、看板とお品書きだけを入れ替えて、現在も行列ができるそば店として引き続き営業しております。
様々な方法で立ちゆかなくなったそば店をサポートしたい
中期計画で何年後には何店舗という計画を立てているので、M&Aへの意欲はもちろんあります。ただ、目的は事業拡大だけにこだわらず、地域のそば店の承継支援やそば文化の保存という観点からも積極的に検討していきたいという考えです。
その地域で立ちゆかなくなったそば店のお悩みを聞き、一緒に解決策を見つけていきたいと思っています。弊社が丸々お店を引き継ぐ、弊社の社員に引き継がせる、お店としての負担大きい製麺や出汁づくりを弊社のセントラルキッチンで賄うなど、さまざまな形が考えられます。
また弊社は店舗のメンテナンス部門が社内にあるため、厨房機器が壊れた、壁紙が剥がれた、椅子が壊れたという設備機器や内外装のメンテナンスを即座に行えます。例えばフライヤーが壊れた場合、業者に連絡しても即日対応は難しく、部品が届くまで何日にも渡り使えないというケースもありますが、弊社の場合はメンテナンス部門が即座に対応します。事業承継という形でなくても、部分的なサポートも弊社は行えるので、ご相談をいただければと考えています。そうした積み重ねがそば文化の保存に繋がると考えているので、遠慮はいりません。
パートさんまで参加するオンライン会議やLINE動画配信で社長の思いを伝える
モットーである「お腹いっぱいに美味しい蕎麦をいつでも気軽に誰とでも」については、常々、初代が話していた言葉を私が言語化したものになります。なるべくその日入ったパートさんでもすぐに分かるように分かりやすい言葉で表現しています。
社内については、現在、弊社ではパートを含めて社員が300人近くいます。これだけの人数になると、会社のモットーや方針を浸透させていくのは非常に難しいと感じることもあります。以前はお店の壁に貼ったり、ハンドブックのようなものを配ったりして、会社の方針や思いを従業員に浸透させる努力を重ねてきましたが、どれも上手くいきませんでした。
そこで現在では、各店舗の責任者となる店長、副店長、社員というコアメンバーから浸透させていければと考えています。その方法の1つが最低でも月1回行っているオンラインミーティングです。希望があればパートの方にも参加してもらっています。私が一方的に話すのではなく、社員たちからもいろいろなアイデアを出してもらい、議論できる場にしています。やはり議論などで頭を使いながら考えを深めていくことが、モットーや方針を浸透させていくことにも有効だと考えているからです。
また、私が日々考えていること、各店舗を訪れた時に感じたことなど、社員に問題提起したい内容については不定期ながら週3、4回のペースで、数分間の動画として全社員に共有しています。接客方法や技術的なオペレーションなどのナレッジ的な部分については、積極的にマニュアル化して、オンラインで共有しています。本人の中でのやる気スイッチが入らないと、結局人は変わりにくいものがあります。そのスイッチが入りやすい環境を作ってあげるのことが会社がすべきことだと考えています。
地元・横浜からそば文化を守り継承していく
弊社は50年以上に亘り、地元・横浜で日本そばと食の楽しみを地元のお客様に提供してきました。中には親子三代でご利用いただいているお客様も少なくありません。それを途絶えさせるわけにはいかないという使命感は強く持っています。平安時代から日本の庶民の間で愛されてきた伝統的な食文化を、今後も守り続きていきたいとも考えています。
現在、家族経営のそば店では、朝から出汁を取り、製麺を行うという負担から、次世代の後継者が見つからずに閉店するケースが増えています。日本の古くからの食文化であるそばが衰退し、焼肉店やラーメン店に押されている今の状況に、私は忸怩たる思いもあります。まずは引継ぎ実績を持つ弊社が、横浜周辺で事業継続に対してお困り事があるそば店をサポートし、受け継いでいきたいと考えています。それをしなければ、そば業界は先細りになっていくという危機感を抱いているからです。
No.1ローカルブランドが目標
今後の展望としては、まず一番に工場の品質の安定と効率化は引き続き追及していくべきことだと感じています。原材料費や人件費の高騰もありますし、同じようにセントラルキッチン方式をとっている大手外食チェーンやコンビニでも、高品質なそばを提供し始めているからです。
工場においてはシステム化、デジタル化を進め、店舗では調理をどれだけ効率化できるかを機材の更新などを含めて挑戦していく必要があるでしょう。ただ、「お腹いっぱいに美味しい蕎麦をいつでも気軽に誰とでも」というモットーを掲げている以上は、これまでもずっと知恵を絞り、実現してきた部分なのポジティブな挑戦だととらえています。
何より、そば業界にはまだまだチャンスがあると思っています。そばはお子様からお年寄りまでとお客様の間口が広く、日本の食文化に深く根付いています。そば店の立場からすれば、ご来店されたお客様の回転の速さがビジネス的な魅力です。洋食店や喫茶店などなら、1時間とか2時間、お客様は店にいらっしゃいますが、そば店ではお客様は10分や15分でぱっと食べてぱっと出ていくことも珍しくありません。その回転の速さは、飲食ビジネスとしては大きなメリットで、そこをしっかり活かせれば、まだまだビジネスチャンスはたくさんあるでしょう。
そうした取り組みを実践していく中で、長期的には地域ナンバーワンのローカルブランドを目指したいと考えています。そして横浜、神奈川、さらには関東圏で「そばと言えば味奈登庵だよね」と言われるようにしていきます。
スタートは元エンジニアの初代がはじめたそば店
弊社は1968年に初代が横浜市中区山下町で始めた小さなそば店がルーツです。「お腹いっぱいに美味しい蕎麦をいつでも気軽に誰とでも」を創業以来のモットーにして、現在では 横浜市を中心に「味奈登庵」の屋号で17店舗展開しております。
そば店を始めるまで初代は、富士通株式会社でトランジスタのエンジニアをしておりました。初代は高専を卒業し、技術畑一筋でやってきましたが、同社で優れたエンジニアに囲まれて仕事をする中で、「この道で生き残っていくのは難しい」と思ったようです。そこで初代は料理経験がないにも関わらず、そば店の経営を目指し、東京都内のそば店での1年間の修行を経て小さなそば店を営むようになりました。その後、初代は1972年に法人化し、弊社・株式会社タカシンを設立しました。
初代は2代目である私の父に当たりますが、息子から見た初代は、お酒や遊びなどの娯楽に時間を割くことはなく、常に勤勉に働いていた印象が強くあります。その姿は、子供心にかっこよく、尊敬の対象でした。
高校卒業後ソフトバンクに就職。30歳で父の会社に転職
2代目である私は、ソフトバンク株式会社(ソフトバンク)に新卒で就職しました。IT業界への関心よりも、同社の創業者である孫正義氏のビジョンを就職セミナーで知り、共感したことが志望した理由です。入社後は管理部門に配属され、経営企画に従事しました。その後、グループ会社のヤフー株式会社(ヤフー)から声をかけて頂き、転籍して人事関係の仕事に従事していました。
弊社に転職したのはソフトバンク、ヤフーで約10年働き、30歳になった頃でした。幼少期から父の働く姿を見て「いつか父のようになりたい」「父の会社で働きたい」と思っていたことが根底にあります。そして孫正義さんの経営者としての仕事ぶりを近くで見ていくなかで、「いつかは経営に携わりたい」という思いを抱くようになったことも理由の1つです。さらに弊社が新工場を立てるという、一大プロジェクトが動きはじめる節目のタイミングだったことも、決断を後押ししました。
ただ、父である初代から一度も継承の話をされたことはありませんでした。あくまでも私の意志で入社したので、いち社員として入っています。入社後に配属されたのは本部事務所で、初代からは「本部機能を整備してほしい」とオーダーされました。ソフトバンク、ヤフー時代の経歴を踏まえた上での初代の采配だったのだと思います。その後、本部長という役職に就き、事務所内や店舗管理に関する業務の整理と仕組化、新工場への引っ越し対応、新店舗の立ち上げなどに携わっていきました。そうした業務に従事して5、6年が経った頃、初代から事業承継し、私が弊社の2代目となりました。今から約15年前のことです。
弊社のモットーは本物志向のそばを低価格でお客様に提供すること
弊社の強みは、モットーにしてきた「お腹いっぱいに美味しい蕎麦をいつでも気軽に誰とでも」を実現するために、日々、工夫をし続けてきたことにあります。
中でもリーズナブルな価格で、高品質なそばを提供するためにたどり着いたのが、製麺とだし、かえし(そばつゆのもと)作りを工場にて一括で行うセントラルキッチン方式です。セントラルキッチンで麺とだし、かえしを作ることで、味のクオリティを安定化させ、まとめて作ることでのスケールメリットでコスト削減を実現しています。
セントラルキッチンでは効率化一辺倒にはならないように昔ながらの製法も大切にしています。例えば、弊社の「味奈登庵」で提供している熟成無添加つゆ(そばつゆ)なら、醤油・本みりん・ザラメを2週間熟成させて作った半生かえしを、天然だしと合わせてさらに2日間寝かせてから提供しております。製麺は、挽きたての粉を毎日自社工場に搬入・製麺して、午前と午後の2回に分けて、打ち立ての状態で各店舗に届けています。だしは、昆布と鰹節、宗田鰹節、さばの本枯節で作っています。おいしいそばを提供するための手間はしっかりとかけていくというのは弊社が大切にしている部分です。
店舗についても、安定した品質でそば茹でや天ぷらづくりができる専用の機械を導入し、少人数で安定した品質のそばを提供できる体制にしています。また、旧来のそば店のように席への案内や注文聞き、お茶出し、配膳などを行うフルサービス店と、それらをお客様自身にしていただくセルフサービス店を、店舗の立地、お客様のニーズを踏まえて展開しています。
困っているそば店の救済がきっかけだった多店舗展開
私が入社した2000年頃は5店舗だった「味奈登庵」ですが、今では横浜市内を中心に17店舗展開するようになっております。今でこそ店舗拡大や新店舗出店の戦略は、中期計画を策定して進めていますが、以前は違いました。17店舗のうち約半数は、お世話になっている不動産業者や金融機関、同業他店から「店主が体調を崩して困っている」「後継者がおらず困っている」などの引継ぎ相談がきっかけです。積極的に店舗を拡大していったというよりも、周りからお願いされた話に対して、ひとつひとつ誠意を持って検討し、それを具体化した出店でした。
例えば「味奈登庵」の港南台日野店は、家族経営で長い間経営され、地元のお客様からも愛され続けていた素晴らしいそば店でした。ご主人が亡くなり、奥様が1人でお店を切り盛りしていたのですが、高齢となり足を痛め、お店を続けることが難しくなったタイミングでお話を頂きました。
地元のお客様のためにも、お店で働いている方のためにも、このお店を何とか守っていかなければならない。その奥様の思いを弊社が受け継ぎ、お店の形はほぼそのままに、看板とお品書きだけを入れ替えて、現在も行列ができるそば店として引き続き営業しております。
様々な方法で立ちゆかなくなったそば店をサポートしたい
中期計画で何年後には何店舗という計画を立てているので、M&Aへの意欲はもちろんあります。ただ、目的は事業拡大だけにこだわらず、地域のそば店の承継支援やそば文化の保存という観点からも積極的に検討していきたいという考えです。
その地域で立ちゆかなくなったそば店のお悩みを聞き、一緒に解決策を見つけていきたいと思っています。弊社が丸々お店を引き継ぐ、弊社の社員に引き継がせる、お店としての負担大きい製麺や出汁づくりを弊社のセントラルキッチンで賄うなど、さまざまな形が考えられます。
また弊社は店舗のメンテナンス部門が社内にあるため、厨房機器が壊れた、壁紙が剥がれた、椅子が壊れたという設備機器や内外装のメンテナンスを即座に行えます。例えばフライヤーが壊れた場合、業者に連絡しても即日対応は難しく、部品が届くまで何日にも渡り使えないというケースもありますが、弊社の場合はメンテナンス部門が即座に対応します。事業承継という形でなくても、部分的なサポートも弊社は行えるので、ご相談をいただければと考えています。そうした積み重ねがそば文化の保存に繋がると考えているので、遠慮はいりません。
パートさんまで参加するオンライン会議やLINE動画配信で社長の思いを伝える
モットーである「お腹いっぱいに美味しい蕎麦をいつでも気軽に誰とでも」については、常々、初代が話していた言葉を私が言語化したものになります。なるべくその日入ったパートさんでもすぐに分かるように分かりやすい言葉で表現しています。
社内については、現在、弊社ではパートを含めて社員が300人近くいます。これだけの人数になると、会社のモットーや方針を浸透させていくのは非常に難しいと感じることもあります。以前はお店の壁に貼ったり、ハンドブックのようなものを配ったりして、会社の方針や思いを従業員に浸透させる努力を重ねてきましたが、どれも上手くいきませんでした。
そこで現在では、各店舗の責任者となる店長、副店長、社員というコアメンバーから浸透させていければと考えています。その方法の1つが最低でも月1回行っているオンラインミーティングです。希望があればパートの方にも参加してもらっています。私が一方的に話すのではなく、社員たちからもいろいろなアイデアを出してもらい、議論できる場にしています。やはり議論などで頭を使いながら考えを深めていくことが、モットーや方針を浸透させていくことにも有効だと考えているからです。
また、私が日々考えていること、各店舗を訪れた時に感じたことなど、社員に問題提起したい内容については不定期ながら週3、4回のペースで、数分間の動画として全社員に共有しています。接客方法や技術的なオペレーションなどのナレッジ的な部分については、積極的にマニュアル化して、オンラインで共有しています。本人の中でのやる気スイッチが入らないと、結局人は変わりにくいものがあります。そのスイッチが入りやすい環境を作ってあげるのことが会社がすべきことだと考えています。
地元・横浜からそば文化を守り継承していく
弊社は50年以上に亘り、地元・横浜で日本そばと食の楽しみを地元のお客様に提供してきました。中には親子三代でご利用いただいているお客様も少なくありません。それを途絶えさせるわけにはいかないという使命感は強く持っています。平安時代から日本の庶民の間で愛されてきた伝統的な食文化を、今後も守り続きていきたいとも考えています。
現在、家族経営のそば店では、朝から出汁を取り、製麺を行うという負担から、次世代の後継者が見つからずに閉店するケースが増えています。日本の古くからの食文化であるそばが衰退し、焼肉店やラーメン店に押されている今の状況に、私は忸怩たる思いもあります。まずは引継ぎ実績を持つ弊社が、横浜周辺で事業継続に対してお困り事があるそば店をサポートし、受け継いでいきたいと考えています。それをしなければ、そば業界は先細りになっていくという危機感を抱いているからです。
No.1ローカルブランドが目標
今後の展望としては、まず一番に工場の品質の安定と効率化は引き続き追及していくべきことだと感じています。原材料費や人件費の高騰もありますし、同じようにセントラルキッチン方式をとっている大手外食チェーンやコンビニでも、高品質なそばを提供し始めているからです。
工場においてはシステム化、デジタル化を進め、店舗では調理をどれだけ効率化できるかを機材の更新などを含めて挑戦していく必要があるでしょう。ただ、「お腹いっぱいに美味しい蕎麦をいつでも気軽に誰とでも」というモットーを掲げている以上は、これまでもずっと知恵を絞り、実現してきた部分なのポジティブな挑戦だととらえています。
何より、そば業界にはまだまだチャンスがあると思っています。そばはお子様からお年寄りまでとお客様の間口が広く、日本の食文化に深く根付いています。そば店の立場からすれば、ご来店されたお客様の回転の速さがビジネス的な魅力です。洋食店や喫茶店などなら、1時間とか2時間、お客様は店にいらっしゃいますが、そば店ではお客様は10分や15分でぱっと食べてぱっと出ていくことも珍しくありません。その回転の速さは、飲食ビジネスとしては大きなメリットで、そこをしっかり活かせれば、まだまだビジネスチャンスはたくさんあるでしょう。
そうした取り組みを実践していく中で、長期的には地域ナンバーワンのローカルブランドを目指したいと考えています。そして横浜、神奈川、さらには関東圏で「そばと言えば味奈登庵だよね」と言われるようにしていきます。
ツグナラコンサルタントによる紹介
1968年、一軒のそば店から始まり、「お腹いっぱいに美味しい蕎麦をいつでも気軽に誰とでも」をモットーに現在17店舗を展開している企業様です。ナンバーワンのローカルブランドを目指し、地元・横浜からそば文化を守り継承していきたいとお考えです。
会社概要
社名 | 株式会社タカシン |
創立年 | 1968年 |
代表者名 | 代表取締役社長 高橋 大介 |
資本金 | 1000万円 |
事業エリア |
港北・川崎エリア 都筑佐江戸店(フルサービス店)
横浜市都筑区佐江戸町1801 |
港北・川崎エリア 港北インター店(フルサービス店)
横浜市都筑区折本町118-1 コーナン港北インター店フードコート内 |
|
港北・川崎エリア 大倉山店(フルサービス店)
横浜市港北区師岡町518 |
|
港北・川崎エリア 武蔵小杉店(セルフサービス店)
川崎市中原区小杉町3-1501 セントア武蔵小杉A棟102 |
|
横浜・みなとみらいエリア 横浜天理ビル店(セルフサービス店)
横浜市西区北幸1-4-1 横浜天理ビルB1F |
|
横浜・みなとみらいエリア 青木橋店(セルフサービス店)
横浜市神奈川区栄町2-8 |
|
横浜・みなとみらいエリア みなとみらい店(セルフサービス店)
横浜市西区みなとみらい4-6-2 MMグランドセントラルテラス2F |
|
関内・本牧エリア 関内店(セルフサービス店)
横浜市中区扇町2-5-5 |
|
関内・本牧エリア 関内南口店(セルフサービス店)
横浜市中区不老町1-6-10 |
|
関内・本牧エリア 本町店(セルフサービス店)
横浜市中区本町6-54 |
|
関内・本牧エリア 総本店(セルフサービス店)
横浜市中区山下町25 |
|
関内・本牧エリア 山下店(セルフサービス店)
横浜市中区山下町45-1 |
|
関内・本牧エリア 本牧店(フルサービス店)
横浜市中区小港町1-4-12 |
|
港南・大船エリア 港南台店(セルフサービス店)
横浜市港南区港南台5-23-24 |
|
港南・大船エリア 港南台日野店(フルサービス店)
横浜市港南区港南台2-8-11 |
|
港南・大船エリア 鎌倉大船モール店(セルフサービス店)
鎌倉市岡本1188-1 鎌倉大船モール2階 |
|
本社住所 |
231-0023 神奈川県横浜市中区山下町25番地 |
事業内容 | 1.飲食店の経営 2.飲食店舗の設計、施行、管理 3.飲食店の営業に関する機械設置、什器備品の販売 4.小麦粉、そば粉、その他食料品の販売 5.不動産の賃貸・売買・管理・維持および仲介 6.前期各号に付帯する一切の業務 |
URL |
https://minatoan.com/company/
|
会社沿革
1968年 | 横浜山下町のマンション1階にそば店を開業 |
1972年 | 法人化し株式会社タカシンを設立 |
株式会社タカシンの経営資源引継ぎ募集情報
公開日:2023/02/17 (2023/07/07修正)
※本記事の内容および所属名称は2023年7月現在のものです。現在の情報とは異なる場合があります。