川崎市中原
川崎市
新庄市
航空・宇宙・通信分野に高品質な部品を提供する金属加工メーカー
株式会社サンテック
「はやぶさ2」の成功に貢献した高い技術力とチャレンジ精神
経営理念
サンテック八訓
一、誠意を持って行動する。
誠意は信頼の源で有り、信頼が全てを育む。
一、出来ないと言わない。
創意を持って出来ない事を実現するのが仕事である。
一、しなやかであれ。
何事にも固執しない、柔軟な発想が進歩をもたらす。
一、慢心を捨て、常に謙虚であれ。
謙虚は信頼を育て、慢心は全てを破壊する。
一、感謝の心を持つ。
感謝の心が人と人との和を生み、和が力となる。
一、礼を持って接し、節度を持って行動する。
礼節が秩序を保ち、秩序は信頼を保つ。
一、摩擦を怖れない。
勇気と自信を持って真実を求め、改善を成し遂げる。
一、決して諦めない。
失敗しても諦めず、強い意志で取り組めば必ず成功する。
代表者メッセージ
モノづくりは、ヒトづくりから
私たちは創業以来、常に最新の加工技術を導入し、伝統的な技能を駆使し、無線通信用機器に利用される部品や航空宇宙・防衛に利用される部品づくりの分野で貢献しております。
今後も更なる先端加工技術と伝統技術の融合をもって事業を展開し、社会に貢献して参ります。
代表取締役 清水 睦視
私たちのこだわり
社員4人での創業から「はやぶさ2」に関わる企業になるまで
弊社は、1968年に神奈川県川崎市で創業しました。弊社の創業者は私の祖父の知人で、創業時の社員数は4人でした。創業者が体調を崩してしまったため、祖父が2代目社長として経営を引き継いだそうです。3代目は私のおじで、私は4代目の社長になります。
創業時の社名は「坂戸精機株式会社」で、衛星放送を受信するパラボラアンテナや飛行場の管制レーダーなど、様々な通信インフラで使用される「導波管」を製造する会社として設立されました。やがて導波管だけでなく金属部品加工領域にも事業を拡大していき、1988年には現在の「株式会社サンテック」に社名を変更しました。
2014年に打ち上げられ2020年に回収カプセルが帰還した小惑星探査機「はやぶさ2」のイオンエンジンプレート製造に携わるなど、今では優れた技術力を持つ会社として評価されています。
プログラミング知識が家業の事業拡大に貢献
私は、子どものころから宇宙船や宇宙科学が好きでしたが、そういった分野を仕事にしようとまでは考えておらず、高校も普通科高校に進学しました。私が高校に通い始めてしばらくすると、NECの有名な「PC-9800シリーズ」の前モデルである「PC-8000シリーズ」が発売されました。私は、そのコンピュータでBASICというプログラミング言語を用いて、様々なプログラムやゲームを作ることに熱中しました。そのころ、実家の会社は導波管だけを製造する会社から脱却し、金属部品加工にも手を広げ始めようという時期でした。それまでは汎用機という手動で加工する工作機械を主に使用していましたが、事業拡大に向け最新式の工作機械であるマシニングセンタを積極的に導入していました。
私は、大学進学を考えていましたが、事業の転換期を迎えていた弊社は大変な忙しさで、人手不足に困っていた祖父に頼まれてアルバイトとして頻繁に家業を手伝うようになりました。するとそこで私が夢中になっていたコンピュータの知識が役に立ちました。マシニングセンタはプログラミングで数値を制御する機械だからです。私は、そのプログラミングを担当することになりました。
しかもマシニングセンタの導入が功を奏し、受注が大幅に増えて会社の業績も伸びていきました。私は、すっかり仕事が楽しくなってしまい、大学へ進学するのはやめて、高校卒業後の1982年に弊社に入社しました。
技術力とチャレンジ精神で成し遂げた「はやぶさ2」のプロジェクト
弊社の強みは、無謀とすら思えるようなチャレンジ精神です。その最たるものが小惑星探査機「はやぶさ2」のイオンエンジンプレートの製造でした。イオンエンジンプレートを生産技術として見たとき、「こうすればできる」という理論上の仮説を立てるだけであればどの会社でもできると思います。しかし、実際に200kgのアルミニウム合金から、複雑な形状をした4.5kgのパーツを5ミクロン以内の精度で削り出すという作業は、想像以上に難易度が高い作業でした。最新の5軸マシニングセンタのポテンシャルを最大限引き出し、2ヵ月かけて製作しました。
チャレンジにはリスクも当然あります。多くの企業はリスクを恐れて、9割方できる目途が立たなければ「できる」とはいわないことが多いです。しかし、弊社では、「決して諦めない」と理念で謳っているように、方向性だけ決まったら「もうやりましょう」と動き始めるようにしています。そうやって挑戦した上で、受注した仕事は必ず完成させてきました。
もちろん、完成までのストーリーを描くことができなければ、挑戦しないという判断も理解できます。完成させる目途が全く立っていないのにも関わらず、引き受けるのは無責任だからです。しかし、その場合でもクライアントから「何を必要としているのか」を正しく聞き取った上で判断することが重要だと思っています。クライアントの要望通りに作ることだけが、彼らの目的を実現する唯一の方法であるとは限らないからです。
場合によっては「こういうやり方はいかがですか」とこちらから提案することで解決できるケースもあります。技術力には、もちろん自信がありますが、何よりもこういったマインドの部分が強みだと思っています。
誠実に、柔軟に、諦めず仕事に取り組む姿勢を育てる企業風土
弊社が掲げる「サンテック八訓」は、私が策定しました。ただ、これは厳密に言えば経営理念というより、私がこうありたいと考える仕事との向き合い方をまとめたものです。社員に対して無理に押し付けるようなことはしていませんし、おそらく社員も普段は特に意識していないと思います。その上で、社員が判断に迷ったときや困ったことが起きたときには、判断基準の1つとしてこの「八訓」を参考にしてもらえればと思っています。
社内の雰囲気は、基本的に思ったことをいいやすい環境だと思います。これは私自身が意識してそういう環境ができるように心掛けてきました。自由な意見交換がしやすい企業風土だと、チームワークが向上したり、新しいアイデアが生まれやすくなったり、多くのメリットがあります。逆に「他の社員が何を考えているかわからない」ということが増えると、業務がスムーズに進みません。
私が社長に就任して最初に行ったことも、営業部と生産管理部で分かれていた事務所の壁を取り払うことでした。社員の距離を物理的にも心理的にも近付けることで、社内コミュニケーションを活発化しようと考えたわけです。
創業時は4人だった弊社ですが、今ではおよそ100人の社員がいます。「サンテック八訓」やコミュニケーション施策は、社員が増えていく中でしっかりとした組織を作るためにはどうしても必要でした。採用に関しては、「責任を持って仕事をしっかりやれる人」かどうかを何よりも重視しています。
仕事は責任を移譲することから始まるので、結局のところ「責任を移譲してもいいと思えるかどうか」が一番重要だと考えています。その見極めはとても難しいのですが、例えば「Yes」「No」で答えられないような抽象的な質問をして、その答え方から判断するなど色々な工夫をしてその人の考え方を見るようにしています。
取引先の工場の人員をそのまま引き継いで新工場を設立
M&Aというかたちではないですが、取引先の工場の人員をまとめて弊社に引き継いだという経験があります。それが2020年に竣工した山形県の新庄工場です。
元々は、山形に弊社の業務を請け負ってくれていた工場があり、技術指導のような形で私も定期的に顔を出していました。しかし、弊社との事業は堅調だったものの、メインだったコピー機などの事務機器関連事業がリーマンショックやデジタル化の影響で急速に悪化し、最終的には倒産せざるを得ない状況になってしまいました。
弊社にとっては、本社の川崎工場だけでは足りない生産能力を補ってくれる、とても重要な取引先でした。正直なところ、弊社の事業規模で一気に20人近くの人員を引き継ぐのはかなり勇気がいる決断でした。しかし、長年弊社に協力してくれてきた人たちなのだから大切にするべきだと考え、彼らを迎え入れました。
結果的には売上や事業規模を維持する意味でも経営判断として正解だったと思います。
引き受けた社員たちはもともと技術指導などで頻繁に顔を合わせていた人たちなので、仕事面でも人間関係においても不安は最初からありませんでした。彼らにとっても経営状態や賃金面が改善されたので安心できたと思います。
山形の工場の件は私が社長に就任してすぐの事例ですが、実は私がまだ部長だった時にもNECの子会社から導波管の事業を丸ごと引き取ったことがありました。それ以外にも、弊社の取引先を中心に、1人~2人で取り組んでいる職人さんを引き受けたことは何度もあります。
経営者が倒れてしまったり、小規模ゆえに古くなった機械の更新が難しかったりと、抱えている事情はそれぞれでしたが、もう10件以上そういった形で人を受け入れています。これまで弊社の仕事を引き受けてくれた職人さんたちは大切にすべきだと思いますし、彼らの雇用や技術を守って引き継いでいくことは地域への貢献にもなると考えています。
ものづくり企業としてできることを増やしていきたい
現在、弊社では金属部品加工事業と導波管事業を主に手掛けていますが、今後は加工の範囲を拡げていきたいと考えています。お客様の多様な要求に答えられるような、色々なことができるものづくり企業として守備範囲を広げていくことを目指します。
職人の高齢化や後継者問題等により、ものづくり企業は年々減少しています。しかし、私自身がずっと身を置いてきた業界が縮小していってしまうのはやはり寂しさを感じています。ものづくり企業として守備範囲を広げることで、ただできることを増やすだけでなく、より多くの職人や事業の受け皿にもなれるのではないかと思っています。
それと同時に、若い人や子どもたちにも、もっとこの業界を知ってもらいたいという思いがあります。そのため弊社では山形の工場で高校生の見学会を開催するなど様々な取り組みを行っています。その中から1人でもこの業界の未来を担う若者が育ってくれれば嬉しいです。
「承継」という言葉を聞くと、どうしても古い技術を身に付けることだと思われがちです。もちろん伝統工芸などそういう側面が強いジャンルもありますが、ものづくり企業における技術はどんどん変化していくものであり、技術そのものを承継するというよりは、技術を獲得するやり方や考え方を学ぶことが大事になってきます。
そうやって新たな技術や考える力を身に付けてイノベーションを起こすことで、様々な挑戦をしていくことができるようになります。そこがものづくりの面白さだと考えており、その面白さを若い人に伝えながら、弊社としても、さらなる挑戦を続けていきたいと思っています。
社員4人での創業から「はやぶさ2」に関わる企業になるまで
弊社は、1968年に神奈川県川崎市で創業しました。弊社の創業者は私の祖父の知人で、創業時の社員数は4人でした。創業者が体調を崩してしまったため、祖父が2代目社長として経営を引き継いだそうです。3代目は私のおじで、私は4代目の社長になります。
創業時の社名は「坂戸精機株式会社」で、衛星放送を受信するパラボラアンテナや飛行場の管制レーダーなど、様々な通信インフラで使用される「導波管」を製造する会社として設立されました。やがて導波管だけでなく金属部品加工領域にも事業を拡大していき、1988年には現在の「株式会社サンテック」に社名を変更しました。
2014年に打ち上げられ2020年に回収カプセルが帰還した小惑星探査機「はやぶさ2」のイオンエンジンプレート製造に携わるなど、今では優れた技術力を持つ会社として評価されています。
プログラミング知識が家業の事業拡大に貢献
私は、子どものころから宇宙船や宇宙科学が好きでしたが、そういった分野を仕事にしようとまでは考えておらず、高校も普通科高校に進学しました。私が高校に通い始めてしばらくすると、NECの有名な「PC-9800シリーズ」の前モデルである「PC-8000シリーズ」が発売されました。私は、そのコンピュータでBASICというプログラミング言語を用いて、様々なプログラムやゲームを作ることに熱中しました。そのころ、実家の会社は導波管だけを製造する会社から脱却し、金属部品加工にも手を広げ始めようという時期でした。それまでは汎用機という手動で加工する工作機械を主に使用していましたが、事業拡大に向け最新式の工作機械であるマシニングセンタを積極的に導入していました。
私は、大学進学を考えていましたが、事業の転換期を迎えていた弊社は大変な忙しさで、人手不足に困っていた祖父に頼まれてアルバイトとして頻繁に家業を手伝うようになりました。するとそこで私が夢中になっていたコンピュータの知識が役に立ちました。マシニングセンタはプログラミングで数値を制御する機械だからです。私は、そのプログラミングを担当することになりました。
しかもマシニングセンタの導入が功を奏し、受注が大幅に増えて会社の業績も伸びていきました。私は、すっかり仕事が楽しくなってしまい、大学へ進学するのはやめて、高校卒業後の1982年に弊社に入社しました。
技術力とチャレンジ精神で成し遂げた「はやぶさ2」のプロジェクト
弊社の強みは、無謀とすら思えるようなチャレンジ精神です。その最たるものが小惑星探査機「はやぶさ2」のイオンエンジンプレートの製造でした。イオンエンジンプレートを生産技術として見たとき、「こうすればできる」という理論上の仮説を立てるだけであればどの会社でもできると思います。しかし、実際に200kgのアルミニウム合金から、複雑な形状をした4.5kgのパーツを5ミクロン以内の精度で削り出すという作業は、想像以上に難易度が高い作業でした。最新の5軸マシニングセンタのポテンシャルを最大限引き出し、2ヵ月かけて製作しました。
チャレンジにはリスクも当然あります。多くの企業はリスクを恐れて、9割方できる目途が立たなければ「できる」とはいわないことが多いです。しかし、弊社では、「決して諦めない」と理念で謳っているように、方向性だけ決まったら「もうやりましょう」と動き始めるようにしています。そうやって挑戦した上で、受注した仕事は必ず完成させてきました。
もちろん、完成までのストーリーを描くことができなければ、挑戦しないという判断も理解できます。完成させる目途が全く立っていないのにも関わらず、引き受けるのは無責任だからです。しかし、その場合でもクライアントから「何を必要としているのか」を正しく聞き取った上で判断することが重要だと思っています。クライアントの要望通りに作ることだけが、彼らの目的を実現する唯一の方法であるとは限らないからです。
場合によっては「こういうやり方はいかがですか」とこちらから提案することで解決できるケースもあります。技術力には、もちろん自信がありますが、何よりもこういったマインドの部分が強みだと思っています。
誠実に、柔軟に、諦めず仕事に取り組む姿勢を育てる企業風土
弊社が掲げる「サンテック八訓」は、私が策定しました。ただ、これは厳密に言えば経営理念というより、私がこうありたいと考える仕事との向き合い方をまとめたものです。社員に対して無理に押し付けるようなことはしていませんし、おそらく社員も普段は特に意識していないと思います。その上で、社員が判断に迷ったときや困ったことが起きたときには、判断基準の1つとしてこの「八訓」を参考にしてもらえればと思っています。
社内の雰囲気は、基本的に思ったことをいいやすい環境だと思います。これは私自身が意識してそういう環境ができるように心掛けてきました。自由な意見交換がしやすい企業風土だと、チームワークが向上したり、新しいアイデアが生まれやすくなったり、多くのメリットがあります。逆に「他の社員が何を考えているかわからない」ということが増えると、業務がスムーズに進みません。
私が社長に就任して最初に行ったことも、営業部と生産管理部で分かれていた事務所の壁を取り払うことでした。社員の距離を物理的にも心理的にも近付けることで、社内コミュニケーションを活発化しようと考えたわけです。
創業時は4人だった弊社ですが、今ではおよそ100人の社員がいます。「サンテック八訓」やコミュニケーション施策は、社員が増えていく中でしっかりとした組織を作るためにはどうしても必要でした。採用に関しては、「責任を持って仕事をしっかりやれる人」かどうかを何よりも重視しています。
仕事は責任を移譲することから始まるので、結局のところ「責任を移譲してもいいと思えるかどうか」が一番重要だと考えています。その見極めはとても難しいのですが、例えば「Yes」「No」で答えられないような抽象的な質問をして、その答え方から判断するなど色々な工夫をしてその人の考え方を見るようにしています。
取引先の工場の人員をそのまま引き継いで新工場を設立
M&Aというかたちではないですが、取引先の工場の人員をまとめて弊社に引き継いだという経験があります。それが2020年に竣工した山形県の新庄工場です。
元々は、山形に弊社の業務を請け負ってくれていた工場があり、技術指導のような形で私も定期的に顔を出していました。しかし、弊社との事業は堅調だったものの、メインだったコピー機などの事務機器関連事業がリーマンショックやデジタル化の影響で急速に悪化し、最終的には倒産せざるを得ない状況になってしまいました。
弊社にとっては、本社の川崎工場だけでは足りない生産能力を補ってくれる、とても重要な取引先でした。正直なところ、弊社の事業規模で一気に20人近くの人員を引き継ぐのはかなり勇気がいる決断でした。しかし、長年弊社に協力してくれてきた人たちなのだから大切にするべきだと考え、彼らを迎え入れました。
結果的には売上や事業規模を維持する意味でも経営判断として正解だったと思います。
引き受けた社員たちはもともと技術指導などで頻繁に顔を合わせていた人たちなので、仕事面でも人間関係においても不安は最初からありませんでした。彼らにとっても経営状態や賃金面が改善されたので安心できたと思います。
山形の工場の件は私が社長に就任してすぐの事例ですが、実は私がまだ部長だった時にもNECの子会社から導波管の事業を丸ごと引き取ったことがありました。それ以外にも、弊社の取引先を中心に、1人~2人で取り組んでいる職人さんを引き受けたことは何度もあります。
経営者が倒れてしまったり、小規模ゆえに古くなった機械の更新が難しかったりと、抱えている事情はそれぞれでしたが、もう10件以上そういった形で人を受け入れています。これまで弊社の仕事を引き受けてくれた職人さんたちは大切にすべきだと思いますし、彼らの雇用や技術を守って引き継いでいくことは地域への貢献にもなると考えています。
ものづくり企業としてできることを増やしていきたい
現在、弊社では金属部品加工事業と導波管事業を主に手掛けていますが、今後は加工の範囲を拡げていきたいと考えています。お客様の多様な要求に答えられるような、色々なことができるものづくり企業として守備範囲を広げていくことを目指します。
職人の高齢化や後継者問題等により、ものづくり企業は年々減少しています。しかし、私自身がずっと身を置いてきた業界が縮小していってしまうのはやはり寂しさを感じています。ものづくり企業として守備範囲を広げることで、ただできることを増やすだけでなく、より多くの職人や事業の受け皿にもなれるのではないかと思っています。
それと同時に、若い人や子どもたちにも、もっとこの業界を知ってもらいたいという思いがあります。そのため弊社では山形の工場で高校生の見学会を開催するなど様々な取り組みを行っています。その中から1人でもこの業界の未来を担う若者が育ってくれれば嬉しいです。
「承継」という言葉を聞くと、どうしても古い技術を身に付けることだと思われがちです。もちろん伝統工芸などそういう側面が強いジャンルもありますが、ものづくり企業における技術はどんどん変化していくものであり、技術そのものを承継するというよりは、技術を獲得するやり方や考え方を学ぶことが大事になってきます。
そうやって新たな技術や考える力を身に付けてイノベーションを起こすことで、様々な挑戦をしていくことができるようになります。そこがものづくりの面白さだと考えており、その面白さを若い人に伝えながら、弊社としても、さらなる挑戦を続けていきたいと思っています。
ツグナラコンサルタントによる紹介
1968年創業の老舗金属加工メーカーです。航空・宇宙・通信などの分野において、高精度な製品を提供しています。その技術の高さが認められ、無人惑星探査機「はやぶさ2」の部品にも採用されています。ものづくりの面白さを後世に引き継いでいきたいと、挑戦し続ける企業様です。
会社概要
社名 | 株式会社サンテック |
創立年 | 1968年 |
代表者名 | 代表取締役 清水 睦視 |
資本金 | 1200万円 |
事業エリア |
新庄工場
996-0053 山形県新庄市大字福田字福田山711-229 |
本社住所 |
211-0051 神奈川県川崎市中原区宮内2-28-2 |
事業内容 | 金属製品加工事業 古くからの加工技術と最新のIT技術を融合した新たな技術を活用し、お客様の"欲しいもの"を実現する 導波管事業 マイクロ波を導く導波管は通信機器に欠かせない部品。厳格な品質管理と熟練工の技でハイクオリティな製品を製造する 検査 高精度な測定機による検査後、人間の目と手でさらに念入りにチェックしてより確実な品質保証につなげる システム・ソリューション 社内で独自にITシステムの開発・構築・運用を行ってきたノウハウを活用し、総合的なITシステム・ソリューションを提供する |
URL |
https://www.e-santec.com/
|
会社沿革
1968年 | 川崎市高津区坂戸に坂戸精機株式会社を設立、導波管の製造開始 |
1977年 | 部分加工分野へ取り組むためマシニングセンタ導入 |
1981年 | 川崎市高津区久地に本社移転 |
1988年 | 社名を株式会社サンテックに変更 |
1991年 | 320万円増資。資本金1,000万円に |
1992年 | 川崎市中原区宮内に本社移転 松浦機械製超高速マシニングセンタ導入 |
2001年 | 川崎市中原区宮内2-31-11に第二工場を設立 アンテン株式会社殿より導波管事業を移管 |
2004年 | 品質マネジメントシステム ISO9001:2000取得 |
2006年 | 200万円増資。資本金を1,200万円に |
2008年 | 本社横に2号館を新設。それに伴い第二工場を廃止 Ø350 × H240までのワークサイズ対応5軸制御立形マシニングセンタ(松浦機械)を導入 |
2012年 | 小惑星探査機「はやぶさ2」搭載 IES PLATE制作 |
2013年 | Ø420 × H350までのワークサイズ対応5軸制御立形マシニングセンタ(松浦機械)を導入 |
2015年 | 清水 睦視が代表取締役就任(4代目) |
2018年 | 品質マネジメントシステム JISQ9100:2016取得 |
2020年 | 山形県新庄市に新庄工場を竣工 新庄工場に新規にマシニングセンタ、NC旋盤、三次元測定機を設置 |
株式会社サンテックの経営資源引継ぎ募集情報
公開日:2023/12/11
※本記事の内容および所属名称は2023年12月現在のものです。現在の情報とは異なる場合があります。