横浜市港北
横浜市
「品質」を徹底的に追求し、独自の地位を築いた精密板金加工会社
株式会社ナガラ
困難な注文を積極的に請け負うことで技術力を磨いたものづくり企業
経営理念
「ものづくり」企業として「品質」と「納期」を厳守し、困難な加工であっても決してあきらめず実現する
社員の幸せを第一に考え、地域社会とお客様に信頼される企業を目指す
代表者メッセージ
株式会社ナガラは、創業以来技術の向上にたゆまぬ努力を重ねてきました。お客様のニーズを十分に把握することで、設計段階から技術的な提案をさせていただいたうえで製作させていただいております。
弊社の特徴は大きく分けて2つあります。
1つ目は、「製品」を作るのではなく、「商品」を作るという姿勢です。大量生産される部品を製造するのではなく、お客様と対話を重ねることでお客様と共に、一点ものの付加価値の高い商品を開発しています。
2つ目は、他社がやりたがらない物の製造に定評があることです。弊社の確かな技術力があるからこそ、弊社のプロフェッショナル集団が不可能といわれてきたことにも果敢に挑戦してきました。
この特徴は弊社が大切にしてきたものであり、今後もお客様とともに社会に貢献できるようなものづくりを目指していきます。
代表取締役 新井 一政
私たちのこだわり
既存の板金業とは異なるスタイルのビジネスを目指し創業
弊社は、1987年に私の父が創業した精密板金加工の会社です。父はもともとプレス加工会社で技術者として働いていましたが、作業中の事故で指を2本失ってしまい、営業部に異動しました。それからしばらくは同じ会社で営業職として働いていましたが、大量に作って単価を抑えて安く売るというプレス加工業の既存のビジネスモデルでは、事業の永続性が見込めないと考えていました。既存のビジネスモデルから脱却し、新たなものづくりを模索する必要を感じ、学生時代からの友人である現在の工場長に声をかけ、2人で新たに事業を立ち上げたというのが弊社のルーツです。創業時の事業所名は「長良製作所」でしたが、1998年の法人化に伴い現在の「ナガラ」へ社名を変更しました。
安価な大量生産への懸念から生まれた弊社は、小ロットの高精度な製品を受注生産で提供するという手法を創業当初から守り続けています。そして、どんな注文にも応えられるように会社としての技術力を磨き続け、信頼を積み重ねてきました。今では社員数が20人を超えるまでになり、加工設備も最新のものに更新しながら日々技術を磨き続けています。
家業の手伝いでものづくりの楽しさに目覚める
父が弊社の前身である長良製作所を立ち上げたのは、私が高校生のときでした。立ち上げたばかりで人手不足だったこともあり、私はアルバイトという形で父の会社を手伝うことにしました。私が通っていた高校は大学の附属高校であり、3年生の時には既に進学先も決まっていたため、自由にできる時間が多くありました。半ば親孝行をするつもりで始めたアルバイトでしたが、予想していたよりもはるかに面白かったため、気付けば月曜日から金曜日までフルタイムに近い形で家業を手伝っていました。
もともと私は子どものころからものづくりが好きで、中学生のときには当時発売されたばかりの「PC-9800シリーズ」でプログラムを組む作業に熱中したこともありました。ものづくりに関わる実家のアルバイトは、そんな私の趣味嗜好にマッチしていたのだと思います。見たこともなかった機械を動かすことも、自分の手で形あるものを作っていくことも、全て楽しい作業でした。何より、自分が組んだプログラム通りに機械が動いて金属に穴をあけたり、金属板を切断したりするのを見ているのが本当に面白かったため、アルバイトとはいえ私にとっては楽しい時間でした。
アルバイトを始める前に、法学部に進学することを決めていましたが、進路を決めるタイミングがアルバイトの後だったら、違う学部を選んでいたかもしれません。大学進学を機に、家業の手伝いはいったん終了しましたが、将来的には家業を継ぎたいという気持ちが芽生えていました。しかし、家業を継ぐにあたっては、別の会社での社会人経験も必要であると考え、大学卒業後は電子部品を取り扱う商社に入社しました。
その商社で営業職として働き始めて数年が経ったころ、父が病で倒れてしまいました。家族からは「戻ってくれたらありがたいが、無理なら廃業も考えている」といわれました。当時の私は、営業職として経験を積んだのちに、次はメーカーに転職して違うことも学びたいと考えていましたが、悩んだ末に家業に入ることを決意しました。想定よりも少し早いタイミングでしたが、いずれは家業を継ぎたい気持ちもあったため、25歳で弊社に入社しました。
幸い、私が弊社に入社したのちに父は快復しました。父はそのまま社長業を続け、私は現場で技術者として働きながら、前職の経験を活かして営業活動にも積極的に取り組みました。当時の弊社は、社員が4~5人しかおらず、営業に人員を割く余裕はありませんでした。しかし、私という社員が1人増えたことで、営業活動にも力を入れられるようになりました。そうして少しずつ販路を拡大していき、2000年には社員が20名まで増え、年商も2億円を達成するなど徐々に事業を拡大していきました。
良いものを早く提供することで積み重ねた信頼と実績
弊社の特徴は、「良いもの」を「早く」提供することです。ここでポイントとしていることは、決して「安く」提供するわけではないというところです。製造業では、Quality(品質)、Cost(コスト)、Delivery(納期)の頭文字から取った「QCD」が重要な要素とされています。もちろん、理想はその3つが全てそろうことですが、大手企業でもない限り、3つ全てを実現するのは困難だと考えています。したがって「良いもの」「安く」「早く」のうち、どれか1つを削る必要がありました。しかし、当然ながら品質を落とすわけにはいきません。そして、納期も守らなければなりません。そうすると、必然的に3つの中で選ぶことができるのは価格だけになります。どうすれば安くなくても買ってもらえるのかを考えた結果、たどり着いたのが「技術力を充実させること」でした。
だからこそ、弊社は何よりもまず高品質な製品作りを目指しています。そして、他社が嫌がるような小ロットの注文も受け、「こんなの無理だよ」といわれるような難しい加工の注文も積極的に引き受けています。難しい加工をどんどん引き受けることで、結果として技術者のスキルもアップしていきました。そうしてお客様の信頼を勝ち取っていくことで、「ナガラに任せれば大丈夫」「ナガラならなんとかしてくれる」といわれるまでになりました。ものづくり企業としての弊社のこうした姿勢こそが、父が前職を辞して独立したときにやりたかったことであり、私も共感してその考えを引き継いでいます。
弊社では、難しい注文にも対応できるように、加工設備も最新の機器を導入しています。しかし、難易度が高い注文に応えるためには、実際に機械を稼働させる前に入念に構想を練る必要があります。その構想の工程に時間を要しているため、機械が実際に稼働している時間は就業時間のうち2~3割程度だと思います。今後は、この機械の稼働率を向上させて、より効率的な組織を構築していきたいと考えています。
社員の幸せを何よりも重視し、利益は社員に還元する
弊社が何よりも大事にしているのは「人」です。パナソニックの創業者である松下幸之助氏の理念を学ぶ松下政経塾に参加させていただく機会があったのですが、「企業は人なり」という言葉に深く感銘を受けました。その言葉通り、会社にとって一番大事なことは社員が幸せであることだと思います。だからこそ、弊社では可能な限り利益を社員に還元するようにしています。
また、毎週月曜日の朝礼では、毎月の売り上げや利益、経費等の数字を隠さず社員に伝えています。そうすることで、社員も会社の状況や待遇に納得できると考えているからです。経営陣が情報をオープンにしている影響もあるのか、社員同士のコミュニケーションも活発で、いいたいことがいえる環境になっていると思います。
弊社では、社員旅行も実施しています。社員同士のチームワーク向上やコミュニケーションの活性化といった目的だけではなく、利益を社員に還元するという目的もあるため、旅行資金は全額会社が負担しています。コロナ禍の影響でしばらく実施できていませんでしたが、昨年3年ぶりに実施しました。そして、その社員旅行では非常に嬉しい出来事がありました。
一昨年入社した社員で、なかなか弊社に馴染めていない社員がいました。私も折に触れ気にかけていたのですが、社員旅行の時期が近付いてきたため、いい機会だと思いそれとなく参加を促しました。当初、その社員はあまり乗り気でなかったようですが、悩んだ末に参加することを決断してくれました。旅行中は、仕事中なかなか話せないようなことも、プライベートな空間で社員同士で話せたことが非常に楽しかったそうで、今ではすっかり周囲とも打ち解けて仕事にも積極的になってくれました。社員旅行は長年開催していますが、その中でも特に開催してきて良かったなと感じた瞬間でした。
時代に合わない慣習を改革し、日本のものづくりの発展に貢献する
日本の製造業の就業者数は、2002年から2022年の20年間で約160万人減少したといわれています。なかでも若手層の数が減っており、業界全体での人財不足と高齢化が進展しています。私の周囲でも、技術者の高齢化や後継者不在により廃業する同業者もいました。
ものづくりが好きで家業を継いだ私としては、日本のものづくりが縮小していく現状をどうにかしたいという思いがあり、何か業界に貢献できないかと思っています。例えば同業他社の事業を社員も含めて承継すれば、日本のものづくりを守る一助になるとともに、弊社にとっても事業拡大に繋がります。その意味でも事業の承継については今後も検討していきたいと考えています。
前述したように、弊社は「QCD」のうち「コスト」以外の「品質」と「納期」を重視した戦略で事業を拡大してきましたが、板金業界において弊社は例外的な存在です。
板金業の中には、社員が数名しかおらず、とにかく安さだけを武器に仕事を請け負うことで事業を継続してきた会社が数多く存在します。何十年も無理をしながらそのやり方を続けてきて、最終的に不況や原材料費の高騰に対応できずに廃業してしまうというケースがこれまでいくつもありました。
そういった会社が請け負っていた仕事の対価は、市場の適正価格を大幅に下回ることが多く、長時間働いても利益が残らないため社員の給与もごくわずかであり、このままの商習慣が続くことは業界にとっても健全ではないと感じています。多くの企業が働き方改革を求められる現代において、板金業を含めたものづくり業界全体で事業の在り方自体を改革していく必要を感じています。
社員の幸せを最重要視する弊社では、不健全なコスト競争とは別の方法で事業を展開してきました。弊社が業界内で存在感を増し、周囲に影響を及ぼすことで、時代に合わせた業界の健全化や発展に貢献していきたいと思っています。
既存の板金業とは異なるスタイルのビジネスを目指し創業
弊社は、1987年に私の父が創業した精密板金加工の会社です。父はもともとプレス加工会社で技術者として働いていましたが、作業中の事故で指を2本失ってしまい、営業部に異動しました。それからしばらくは同じ会社で営業職として働いていましたが、大量に作って単価を抑えて安く売るというプレス加工業の既存のビジネスモデルでは、事業の永続性が見込めないと考えていました。既存のビジネスモデルから脱却し、新たなものづくりを模索する必要を感じ、学生時代からの友人である現在の工場長に声をかけ、2人で新たに事業を立ち上げたというのが弊社のルーツです。創業時の事業所名は「長良製作所」でしたが、1998年の法人化に伴い現在の「ナガラ」へ社名を変更しました。
安価な大量生産への懸念から生まれた弊社は、小ロットの高精度な製品を受注生産で提供するという手法を創業当初から守り続けています。そして、どんな注文にも応えられるように会社としての技術力を磨き続け、信頼を積み重ねてきました。今では社員数が20人を超えるまでになり、加工設備も最新のものに更新しながら日々技術を磨き続けています。
家業の手伝いでものづくりの楽しさに目覚める
父が弊社の前身である長良製作所を立ち上げたのは、私が高校生のときでした。立ち上げたばかりで人手不足だったこともあり、私はアルバイトという形で父の会社を手伝うことにしました。私が通っていた高校は大学の附属高校であり、3年生の時には既に進学先も決まっていたため、自由にできる時間が多くありました。半ば親孝行をするつもりで始めたアルバイトでしたが、予想していたよりもはるかに面白かったため、気付けば月曜日から金曜日までフルタイムに近い形で家業を手伝っていました。
もともと私は子どものころからものづくりが好きで、中学生のときには当時発売されたばかりの「PC-9800シリーズ」でプログラムを組む作業に熱中したこともありました。ものづくりに関わる実家のアルバイトは、そんな私の趣味嗜好にマッチしていたのだと思います。見たこともなかった機械を動かすことも、自分の手で形あるものを作っていくことも、全て楽しい作業でした。何より、自分が組んだプログラム通りに機械が動いて金属に穴をあけたり、金属板を切断したりするのを見ているのが本当に面白かったため、アルバイトとはいえ私にとっては楽しい時間でした。
アルバイトを始める前に、法学部に進学することを決めていましたが、進路を決めるタイミングがアルバイトの後だったら、違う学部を選んでいたかもしれません。大学進学を機に、家業の手伝いはいったん終了しましたが、将来的には家業を継ぎたいという気持ちが芽生えていました。しかし、家業を継ぐにあたっては、別の会社での社会人経験も必要であると考え、大学卒業後は電子部品を取り扱う商社に入社しました。
その商社で営業職として働き始めて数年が経ったころ、父が病で倒れてしまいました。家族からは「戻ってくれたらありがたいが、無理なら廃業も考えている」といわれました。当時の私は、営業職として経験を積んだのちに、次はメーカーに転職して違うことも学びたいと考えていましたが、悩んだ末に家業に入ることを決意しました。想定よりも少し早いタイミングでしたが、いずれは家業を継ぎたい気持ちもあったため、25歳で弊社に入社しました。
幸い、私が弊社に入社したのちに父は快復しました。父はそのまま社長業を続け、私は現場で技術者として働きながら、前職の経験を活かして営業活動にも積極的に取り組みました。当時の弊社は、社員が4~5人しかおらず、営業に人員を割く余裕はありませんでした。しかし、私という社員が1人増えたことで、営業活動にも力を入れられるようになりました。そうして少しずつ販路を拡大していき、2000年には社員が20名まで増え、年商も2億円を達成するなど徐々に事業を拡大していきました。
良いものを早く提供することで積み重ねた信頼と実績
弊社の特徴は、「良いもの」を「早く」提供することです。ここでポイントとしていることは、決して「安く」提供するわけではないというところです。製造業では、Quality(品質)、Cost(コスト)、Delivery(納期)の頭文字から取った「QCD」が重要な要素とされています。もちろん、理想はその3つが全てそろうことですが、大手企業でもない限り、3つ全てを実現するのは困難だと考えています。したがって「良いもの」「安く」「早く」のうち、どれか1つを削る必要がありました。しかし、当然ながら品質を落とすわけにはいきません。そして、納期も守らなければなりません。そうすると、必然的に3つの中で選ぶことができるのは価格だけになります。どうすれば安くなくても買ってもらえるのかを考えた結果、たどり着いたのが「技術力を充実させること」でした。
だからこそ、弊社は何よりもまず高品質な製品作りを目指しています。そして、他社が嫌がるような小ロットの注文も受け、「こんなの無理だよ」といわれるような難しい加工の注文も積極的に引き受けています。難しい加工をどんどん引き受けることで、結果として技術者のスキルもアップしていきました。そうしてお客様の信頼を勝ち取っていくことで、「ナガラに任せれば大丈夫」「ナガラならなんとかしてくれる」といわれるまでになりました。ものづくり企業としての弊社のこうした姿勢こそが、父が前職を辞して独立したときにやりたかったことであり、私も共感してその考えを引き継いでいます。
弊社では、難しい注文にも対応できるように、加工設備も最新の機器を導入しています。しかし、難易度が高い注文に応えるためには、実際に機械を稼働させる前に入念に構想を練る必要があります。その構想の工程に時間を要しているため、機械が実際に稼働している時間は就業時間のうち2~3割程度だと思います。今後は、この機械の稼働率を向上させて、より効率的な組織を構築していきたいと考えています。
社員の幸せを何よりも重視し、利益は社員に還元する
弊社が何よりも大事にしているのは「人」です。パナソニックの創業者である松下幸之助氏の理念を学ぶ松下政経塾に参加させていただく機会があったのですが、「企業は人なり」という言葉に深く感銘を受けました。その言葉通り、会社にとって一番大事なことは社員が幸せであることだと思います。だからこそ、弊社では可能な限り利益を社員に還元するようにしています。
また、毎週月曜日の朝礼では、毎月の売り上げや利益、経費等の数字を隠さず社員に伝えています。そうすることで、社員も会社の状況や待遇に納得できると考えているからです。経営陣が情報をオープンにしている影響もあるのか、社員同士のコミュニケーションも活発で、いいたいことがいえる環境になっていると思います。
弊社では、社員旅行も実施しています。社員同士のチームワーク向上やコミュニケーションの活性化といった目的だけではなく、利益を社員に還元するという目的もあるため、旅行資金は全額会社が負担しています。コロナ禍の影響でしばらく実施できていませんでしたが、昨年3年ぶりに実施しました。そして、その社員旅行では非常に嬉しい出来事がありました。
一昨年入社した社員で、なかなか弊社に馴染めていない社員がいました。私も折に触れ気にかけていたのですが、社員旅行の時期が近付いてきたため、いい機会だと思いそれとなく参加を促しました。当初、その社員はあまり乗り気でなかったようですが、悩んだ末に参加することを決断してくれました。旅行中は、仕事中なかなか話せないようなことも、プライベートな空間で社員同士で話せたことが非常に楽しかったそうで、今ではすっかり周囲とも打ち解けて仕事にも積極的になってくれました。社員旅行は長年開催していますが、その中でも特に開催してきて良かったなと感じた瞬間でした。
時代に合わない慣習を改革し、日本のものづくりの発展に貢献する
日本の製造業の就業者数は、2002年から2022年の20年間で約160万人減少したといわれています。なかでも若手層の数が減っており、業界全体での人財不足と高齢化が進展しています。私の周囲でも、技術者の高齢化や後継者不在により廃業する同業者もいました。
ものづくりが好きで家業を継いだ私としては、日本のものづくりが縮小していく現状をどうにかしたいという思いがあり、何か業界に貢献できないかと思っています。例えば同業他社の事業を社員も含めて承継すれば、日本のものづくりを守る一助になるとともに、弊社にとっても事業拡大に繋がります。その意味でも事業の承継については今後も検討していきたいと考えています。
前述したように、弊社は「QCD」のうち「コスト」以外の「品質」と「納期」を重視した戦略で事業を拡大してきましたが、板金業界において弊社は例外的な存在です。
板金業の中には、社員が数名しかおらず、とにかく安さだけを武器に仕事を請け負うことで事業を継続してきた会社が数多く存在します。何十年も無理をしながらそのやり方を続けてきて、最終的に不況や原材料費の高騰に対応できずに廃業してしまうというケースがこれまでいくつもありました。
そういった会社が請け負っていた仕事の対価は、市場の適正価格を大幅に下回ることが多く、長時間働いても利益が残らないため社員の給与もごくわずかであり、このままの商習慣が続くことは業界にとっても健全ではないと感じています。多くの企業が働き方改革を求められる現代において、板金業を含めたものづくり業界全体で事業の在り方自体を改革していく必要を感じています。
社員の幸せを最重要視する弊社では、不健全なコスト競争とは別の方法で事業を展開してきました。弊社が業界内で存在感を増し、周囲に影響を及ぼすことで、時代に合わせた業界の健全化や発展に貢献していきたいと思っています。
ツグナラコンサルタントによる紹介
良いものを早く提供することで事業を拡大してきた板金加工の企業様です。「人」にフォーカスした組織運営を心掛けており、日々技術を磨き続けています。ものづくりに対する熱い思いがあり、業界の発展のために既存の常識にとらわれることなく挑戦を続けています。
会社概要
社名 | 株式会社ナガラ |
創立年 | 1987年 |
代表者名 | 代表取締役 新井 一政 |
資本金 | 1000万円 |
事業エリア |
本社工場
223-0057 神奈川県横浜市港北区新羽町861-2 |
工場
223-0057 神奈川県横浜市港北区新羽町866-1 |
|
本社住所 |
223-0057 神奈川県横浜市港北区新羽町861-2 |
事業内容 | 精密板金加工 (通信機器、計測機器、映像機器、放送機器、音響機器、各種筐体組立、他) |
URL |
https://www.kk-nagara.co.jp/index.php
|
会社沿革
1987年 | 長良製作所として川崎市高津区宇奈根町にて創業。このとき従業員1名 |
1989年 | 資本金300万円で有限会社長良製作所設立。この年の年商6,500万円 |
1991年 | 工場を横浜市港北区大熊町に移転。「AMADA製 NCT」「AMADA製 PEGA-345」他、各種機械設備を拡充。この年の年商9,000万円 |
1995年 | 面取装置の特許公開。特許公開 (平07-237028) |
1996年 | 資本金800万円に増資 |
1997年 | 横浜市港北区新羽町に工場を移転。レーザー加工機「AMADA製 LC-1212α2」他、各種機械設備を拡充 決算にて年商1億3千万円以上を達成 |
1998年 | 資本金を1,000万円に増資し株式会社ナガラに組織変更。このとき従業員17名 |
1999年 | 2次元CAD/CAM 「AMADA製AP100」を導入 |
2000年 | 決算にて年商2億円を達成。このとき従業員20名 |
2002年 | レーザー加工機(ドイツ製)「TRUMPF製 TRUMATIC L 2530」を導入 設計部門設置 |
2004年 | 3次元CAD/CAM/NESTING 「AMADA製 AP100α」を導入 |
2006年 | 複合機(ドイツ製)「TRUMPF製 TRUMATIC 3000L」を導入 |
2007年 | 3D-CAD SolidWorks を導入 |
2011年 | ベンダー(2.5m)(ドイツ製)「TRUMPF製 TruBend 5085」を導入 |
2013年 | サーボベンダー(1.3m)「FMBⅡ3613NT」を導入 デスクパンチャー(15トン)「LSP-1540Ⅱ」を導入 |
2015年 | ハイブリッド・ファイバーレーザー溶接機 導入 |
2017年 | レーザー加工機(ドイツ製)「TRUMPF製 TruLaser3030」導入 |
2020年 | サーボベンダー「EG4010」(アマダ製)を導入 本社・工場 竣工 |
2021年 | 複合機(ドイツ製)「TRUMPF製 TruMatic1000fiber」導入 |
2022年 | ハイブリッド・ファイバーレーザー溶接機 追加導入 |
2023年 | ハイブリッドドライブベンダー(2.5m)「HG8025」を導入 年商3億円達成 |
株式会社ナガラの経営資源引継ぎ募集情報
公開日:2024/02/20
※本記事の内容および所属名称は2024年2月現在のものです。現在の情報とは異なる場合があります。