品川
品川区
横浜市
福岡市
引継ぎ実績あり
予防的支援と経営者創出で社会変革を起こす専門家プラットフォーム
エキスパート・リンク株式会社
革新と実践、突破力を培う事業家育成を目指した経営支援
経営理念
イノベーション・プラットフォームの創造
我々はお客様(個々の企業)が持っている独自の「力」を引き出し、新たな変革を後押しする「イノベーション・プラットフォーム」創造企業です。
代表者メッセージ
学生時代に個人で起業し、大学院卒業後にはベンチャー企業に就職して、現場で店舗開発などの経験を積み、コンサルティング事業を創業しました。
私の経歴は決して華やかなものではありませんが、商売に真剣に向き合うために高校を休学しビジネスに没頭した時間、ゆかりの無い福岡に単身で移住し中小企業診断士として奮闘した試行錯誤の日々の連続が、今の私をつくり上げたのだろうと思っています。
弊社では、現場を知らずに経営は語れないという私自身の実感から、弊社のコンサルタントにはグループ会社や関連会社の『経営』に取り組んでもらっています。
実際に経営をしながら真のマネジメント経験を培い、リーダーとしての素養を磨き続けることで、経営者の皆様と同じ目線でアドバイスができるという考えからです。
そして経営に共通する悩みや課題、成功のポイントは全て『人』にあると考えています。
部下の心をつかみ動かす原動力は、上司の仕事への情熱や姿勢そのものです。上に立つ人の言動と行動力が組織の基盤となります。
我々は、トップマネジメントの情熱を組織全体のパワーとして発揮できるよう、組織づくりをサポートしています。基本教育から、成長のための仕組みづくりやマネジメント、戦略・計画立案をコンサルティングにて支援し、企業の成功発展をバックアップし続けます。
人を動かす情熱と、成長意欲のある経営者の皆様との出会いを、心から楽しみにしております。
代表取締役 藤田 隆久
私たちのこだわり
起業一家に生まれ育ち、中1から経営者としての頭角を現す
私は大阪の実家で生まれ育ちました。私の家系は格好良く言えば起業一家で、父は寿司職人として高級寿司店を経営し、祖父は郵便局長を務めた後に愛媛県で食品ストアを立ち上げていたことから、子どもながらに独立心が育っていったのだろうと思っています。
小学生の頃から切手やコイン、テレホンカードなどを収集し、中学1年になった頃には、販売促進用のアイドルのテレホンカードや日本電信電話時代のカードが、プレミアム価格で取引されていることを知りました。そこで大人が集うオークションに参加し、自分で集めたテレホンカードを競売にかけたところ、コレクターの方に高値で買い取ってもらえました。ビジネスのやりがいや楽しみを知った私は、本腰を入れて取り組むようになり、中学生ながらポケットベルを持ち歩き、週末はアタッシュケースを手に大阪と東京を行き来して、自宅には電話回線をひいて郵便局に私書箱を設けるなど、通信販売事業のようなことも自分で考え実践していました。そのため中学生の頃のあだ名は「社長」で、物珍しさから新聞や雑誌、テレビの取材を受けたこともありました。取材の際には「経営者になる」と話し、実際に経営者となれるだろうと信じて疑いませんでした。
経営での苦い経験から中小企業診断士の資格取得を決意
私の通っていた学校は中高大一貫校だったので高校受験もなく、高校でも引き続き兼業、兼学生活を続けていました。しかし委託販売の際に売上金を持ち逃げされ、他人を信用できなくなった時期がありました。私の父も、何度か人に騙され連帯保証人となったり、法外な慰謝料を請求されたりしたことがあり、味方であるはずの弁護士の対応に不信感を抱きました。トラブルが起こってからの事後対応ではカバーしきれないことも多々あり、経営への知識や理解を深めることで自分や家族を守りたいと思うようになりました。
またその頃、父の寿司店の常連だった経営者が、東京への本社機能の移転とともに大阪から転居をするようになり、これからは東京一極集中になっていくだろうと学生ながら感じました。そこで進路選択の時期には、上場株の売買で得た利益で東京の大学を受験し、経営の勉強を始めようと考えました。大学の経営学部に入学後には、伯父が中小企業診断士として東京で独立していたことを知りました。中小企業診断士という職業はまさに自分が目指している仕事だと感じ、資格取得を決意しました。
大学では勉強に集中した甲斐あって、大学4年の在学中に販売士1級と中小企業診断士試験の一次試験に合格することができました。就職活動も並行して行っていましたが全て不採用となり、2次試験の準備と自分自身を振り返るモラトリアムの期間として、横浜国立大の大学院へと進学を決めました。大学院では、ヤン・カールソン著『真実の瞬間』や、日本経営品質賞のベースとなったマルコム・ボルドリッジ賞の研究をしながら、中小企業診断士2次試験に挑み、資格を取得することができました。
コンサルティング会社の子会社で現場経験を積む
大学院の就職活動の時期には、世界最大規模のコンサルティングファームや政府系銀行などからの引き合いもある中で、福岡県のコンサルティング会社への就職を決めました。ゆくゆくは経営者として組織をつくり、自分の経験や実感を社員に伝えたいと考えていた私は、企業の現場で働く社員の目線や考え方を学びながらキャリアを積もうと思いました。
ところが、私が入社する前年の1996年には、O-157による集団感染の影響でサンドイッチの売上が激減し、業績不振から内定取り消しなどが相次いだ状態でした。幸い私は中小企業診断士の資格があったため採用され社長室所属となりましたが、入社直後から直営店のサンドイッチ店長として早朝5時から21時まで働き、交通手段がないため10数キロを自転車で往復をする生活をすることとなりました。苦労の末、3カ月で売上を劇的に改善することができましたが、今度は本来中堅社員が取り組むような加盟店や店舗開発の仕事を任され、通常業務と並行して外部セミナーを開催し、講師として登壇するなど裁量権の大きい業務に任されました。加盟店開発の仕事は、着手から半年後には契約がとれるようになり、入社2年目には関西に事業エリアを拡大できるまでになりました。その後も大手ショッピングセンター内に出店する店舗モデルを開発し、順調に業績を伸ばしていきました。
石の上にも3年という気持ちで勤め続け、3年3カ月で前職を退職する頃には、社内ナンバー3の役職である開発本部長となっていました。大変な時期ではありましたが、社員として現場を経験し、会社の業績向上にも貢献できたと自負しています。
個人事務所の開業と行政支援に挑戦
2000年には福岡県の自宅に事務所を構え、コンサルティング業をスタートしました。当時の福岡はコンサルタントの認知度が低く、マーケティングや新規事業、フランチャイズに精通した若手のコンサルタントがいなかったため、なかなか個人では業務が受注しにくい環境ではありました。そのため、まずは中小企業診断士として専門家登録をして中小企業支援センターや行政機関を巡り、日払いの仕事からスタートしました。
しかし前職として勤めたコンサルティング会社の社長から「サービスの価値を自分で下げるな」「経営者自身が自腹で支払うからこそ真剣に改善に取り組んでくれる」というアドバイスをもらい、報酬は下げず経営者様と会社を本気で思う提案を地道に実践していったところ、当初の顧問契約の約3倍の報酬を得られるようになっていきました。
また業務の傍ら、早稲田大学のオープンカレッジでMBA講座の講師を務め、東京のチェーン店舗の株式上場のサポートに入ったり、1カ月のうち1週間は福岡から東京へ行く生活を続けていたことで、外部ネットワークも広がっていきました。
福岡では数人でチームを組み、コンサルタントとして充実した日々を送れるようになっていましたが、福岡と東京の往復をするうち「このままでいいのか」と自問自答をするようになりました。ベストプラクティス(最善の効率の良いプロセス)を求めるなら、より優秀な人の集まる都心で、新たにチームを組む方が自分の成長にもつながるかもしれないと考えていたところ、横浜産業振興公社(現 横浜企業経営支援財団)で株式上場を目指す企業を支援する、プロジェクトのマネージャーの募集広告を見つけ、応募を決めました。そして30歳の時には、専門家2人と行政のマネージャーチームを組み、株式公開支援によって企業の成長をサポートしました。行政の元で活動した3年間は、弊社の事業の礎となり、全国25を超える金融機関との提携や、現在受託運営を担っている武蔵小山創業支援センター(品川区立)のご縁へと繋がっています。
経営コンサルに加え行政支援施設の受託運営をスタート
プロジェクトチーム解散後の2006年には、エキスパート・リンク株式会社として法人化し、現在の東京本社所在地で新たなスタートを切りました。創業当初からの経営コンサルティングに加え、行政のマネージャー経験のある民間事業者はごく少数であるため、地方自治体の受託事業も弊社の特色となっています。
弊社が受託運営をしている、女性起業家支援を行っている武蔵小山創業支援センターでは、私は最高運営責任者兼インキュベーションマネージャーとして起業家の方への支援を行っています。起業から株式上場までのサポートや顧問型コンサル、挑戦したことがない領域への支援により、起業家の皆様にベストプラクティスとベリーベストの提案を行っています。起業は、起業家が自分自身を変革する一つの瞬間です。コンサルタントとして、また社員として若手の頃から携わってきた企業経験を活かし、起業の不安や疑問を解消し成功へとつなげるサポートを行っています。特に、事業や組織の規模が拡大する際には、社員の満足度が低下しやすいため、起こりうる問題に予防的なアプローチを行っています。
グループ会社『M&Aの窓口』にて後継者支援も実践
また弊社では、創業や経営支援の立ち合いや補助金支援、大企業向けの経費適正化を進める上で、金融機関との連携も進めていましたが、M&Aの仲介機能をもたない、または万全な支援体制ではない金融機関が多いと感じていました。弊社にも廃業や承継に関する相談も多く寄せられるようになっていたことから、2017年にはグループ会社として株式会社M&Aの窓口を設立しました。大手仲介会社では高額となるM&Aの手数料を、完全成功報酬制を採用しつつ地域の中小企業が利用しやすい価格帯まで下げ、金融機関とのタイアップにより地道な支援を続けています。
国は、国内企業の成長促進と産業競争力を増強のため、小規模事業者の技術承継と統合、公的支援による中小企業の中堅企業化を進める見通しであり、弊社としても微力ながら支援を実行するとともに、自らも事業に参入・買収することにより一翼を担って参りたいと考えております。また自ら親族外、第三者承継による承継と開業率をコンサルティングにより向上することで、地域にとっていい会社を残していきたいと思っています。このビジネスモデルは、サクシードのツグナラと我々がまず行動することで世の中に提示し、グループ内のシナジーにより、広く窓口機能を担っていきたいと考えています。
飲食、介護事業を通じて主体性ある経営者を育成
グループ会社では、福岡県の名店として知られる『味の正福』を引き継ぎ運営するほか、FCの介護施設2施設を運営しています。コンサルティング会社としてM&Aの仲介サポートをするだけではなく、自社で引き継ぎと運営を行うことで、社内で主体性をもった経営者を育てたいという思いからスタートしました。
今後さらに外部環境が悪化すれば、405事業(経営改善計画策定支援)や事業再生支援を必要とする会社が増えるだろうと推測しています。しかし国の経済支援にも限界はあり、企業や経営者が自立できるようにサポートし成長を促すことこそが本来とるべき施策であろうと思っています。
飲食や介護は人手不足が深刻化していますが、弊社が手がける2施設は、年商を当初の倍まで伸ばし、良い業績を上げ続けることができています。国の賃上げ要請に先行して社員の給料アップもできていることから、正しいマネジメントとリーダーシップが発揮できれば実績が出ることを実証できたと感じています。
飲食や介護事業等サービス産業での最大の目標は、顧問や役員としての活動によりノウハウを社内グループに供給、蓄積し、スーパーバイジング機能や経営指導機能によって経営者を育てていくことです。弊社ではコンサルタントが中心となり取り組んでいますが、他企業が実施する場合は、経営ノウハウのある大企業の経営陣や意欲ある専門家が中小企業のオーナーとなることで、内部改革を促進できるのではと考えています。弊社の考えに共感する優秀な経営者が多店舗を運営するようになり、中小企業の底上げを図る動きが起こればと思っています。
『凡事徹底』の姿勢を社員育成と経営改善に活かす
グループ全体の社員数は45人、M&A専門のコンサルタントは6人ほどで、グループ会社の飲食業と介護事業のスタッフがほとんどを占めています。社内の情報共有の場としては、3カ月に1回行う四半期全体会議と、毎週月曜の週礼です。介護、飲食、行政支援では、仕事内容が大きく異なるため、月次の会議は各事業所に実施してもらっています。
経営理念は「イノベーション・プラットフォームの創造」です。理念については四半期会議の際に話し、各事業所への掲示と社員にクレドカードを携帯してもらい、日頃から目につくようにしています。クレドカード冒頭に掲げている「凡事徹底なくして創意工夫なし」は、コンサルティング事業部の理念でもあります。コンサルタントはスマートでかっこいい仕事だと思っている方も多くいるようですが、飲食店の支援の際には店内のエアコンのダクト、冷蔵庫、トイレの掃除をすることもあります。飲食店にとって清潔さは店の印象を決める大切な要素であり、経営改善には数字だけではなく整理整頓や清掃などの『凡事』の徹底が大切です。凡事への向き合い方は実務に取り組む姿勢と同じであることを、社員も理解し意識していってほしいと思っています。
社員や事業パートナーには、真面目で起業家志望の診断士が多く集まり、実力を身につけ独立した人もいます。新宿でビジネススクール『志師塾』を開講している五十嵐和也塾長は元々弊社のパートナーの一人です。コンサルタントから転身し介護事業のオーナーとなった人もいます。弊社は、社員それぞれの能力を活かしたプラットフォームのような場であり、従来の統制された会社とは異なる組織体制となっています。経営課題の最適解を見つけるには、社員のほか業種に詳しい外部の方の協力が必要なケースもあり、ネットワークも活用しながら適材適所の支援を行っているところです。
弊社では、まずは現場で経験を積み、実感を得た上で経営者支援に携わってほしいという考えから、コンサルティング事業での新卒は募集していません。一方で、介護や飲食事業では随時募集を行い、自分の力で起業しオーナーシップを発揮したいという社員に声をかけるようにしています。
経営者と新規事業を創出するクロスボーダーな事業を展開
近年になり、税理士や会計士、弁護士といった士業の社会的地位が向上してきています。弊社も社会に役立つ事業を実践していくことで、中小企業診断士や経営コンサルタントの地位向上を図りたいと思っています。コンサルタントである私自身は、経営者という主役を引き立てるプロデューサーや裏方のような活動をしていけたらと思っているところです。
今後の事業展開としては、引き続き地域の会社や店を承継していくことで、次の世代に残していきたいと思っています。地域における会社や店は、水道ガス電気のインフラと同じように不可欠なものであり、廃業が進めば雇用の受け皿もなくなり地域全体が衰退してしまいます。既存の事業や店を若手が継ぎ、デビューから経営の安定化まで伴走できるような体制づくりをしつつ、自社でも経営者の人財を育てながら地道に取り組んでいきたい考えです。名古屋の知人の診断士や金融機関との連携による事業承継ファンドや、経営者を目指す個人が中小企業の経営権を取得するためのサーチファンドを創設する話もあり、実現化に向けて動き出したところです。コンサルティングの機能を活かし金融機関をフォローしながら展開していけたらと思っています。
また、インバウンドやアウトバウンド対策としては、ホスピタリティ教育やビジネススクール、コンサルティングといった日本ならではの育成システムを、教育ビジネスとしてASEANを中心とした国外で展開できたらと思っています。少子高齢化という日本の現実的な課題を踏まえると、新規事業と利益を生み出すには、外国人労働者を積極採用し、その方々が祖国に戻った時も日本での就業経験が活かされる、クロスボーダーな取り組みと実践こそが大切だろうと思っています。
日本がイノベーションを起こすには、民間主導で風穴を開け、挑戦を続けることが発展への第一歩であると考えています。共鳴する方々とともに、行政を巻き込みながらより良い社会を目指していきます。
起業一家に生まれ育ち、中1から経営者としての頭角を現す
私は大阪の実家で生まれ育ちました。私の家系は格好良く言えば起業一家で、父は寿司職人として高級寿司店を経営し、祖父は郵便局長を務めた後に愛媛県で食品ストアを立ち上げていたことから、子どもながらに独立心が育っていったのだろうと思っています。
小学生の頃から切手やコイン、テレホンカードなどを収集し、中学1年になった頃には、販売促進用のアイドルのテレホンカードや日本電信電話時代のカードが、プレミアム価格で取引されていることを知りました。そこで大人が集うオークションに参加し、自分で集めたテレホンカードを競売にかけたところ、コレクターの方に高値で買い取ってもらえました。ビジネスのやりがいや楽しみを知った私は、本腰を入れて取り組むようになり、中学生ながらポケットベルを持ち歩き、週末はアタッシュケースを手に大阪と東京を行き来して、自宅には電話回線をひいて郵便局に私書箱を設けるなど、通信販売事業のようなことも自分で考え実践していました。そのため中学生の頃のあだ名は「社長」で、物珍しさから新聞や雑誌、テレビの取材を受けたこともありました。取材の際には「経営者になる」と話し、実際に経営者となれるだろうと信じて疑いませんでした。
経営での苦い経験から中小企業診断士の資格取得を決意
私の通っていた学校は中高大一貫校だったので高校受験もなく、高校でも引き続き兼業、兼学生活を続けていました。しかし委託販売の際に売上金を持ち逃げされ、他人を信用できなくなった時期がありました。私の父も、何度か人に騙され連帯保証人となったり、法外な慰謝料を請求されたりしたことがあり、味方であるはずの弁護士の対応に不信感を抱きました。トラブルが起こってからの事後対応ではカバーしきれないことも多々あり、経営への知識や理解を深めることで自分や家族を守りたいと思うようになりました。
またその頃、父の寿司店の常連だった経営者が、東京への本社機能の移転とともに大阪から転居をするようになり、これからは東京一極集中になっていくだろうと学生ながら感じました。そこで進路選択の時期には、上場株の売買で得た利益で東京の大学を受験し、経営の勉強を始めようと考えました。大学の経営学部に入学後には、伯父が中小企業診断士として東京で独立していたことを知りました。中小企業診断士という職業はまさに自分が目指している仕事だと感じ、資格取得を決意しました。
大学では勉強に集中した甲斐あって、大学4年の在学中に販売士1級と中小企業診断士試験の一次試験に合格することができました。就職活動も並行して行っていましたが全て不採用となり、2次試験の準備と自分自身を振り返るモラトリアムの期間として、横浜国立大の大学院へと進学を決めました。大学院では、ヤン・カールソン著『真実の瞬間』や、日本経営品質賞のベースとなったマルコム・ボルドリッジ賞の研究をしながら、中小企業診断士2次試験に挑み、資格を取得することができました。
コンサルティング会社の子会社で現場経験を積む
大学院の就職活動の時期には、世界最大規模のコンサルティングファームや政府系銀行などからの引き合いもある中で、福岡県のコンサルティング会社への就職を決めました。ゆくゆくは経営者として組織をつくり、自分の経験や実感を社員に伝えたいと考えていた私は、企業の現場で働く社員の目線や考え方を学びながらキャリアを積もうと思いました。
ところが、私が入社する前年の1996年には、O-157による集団感染の影響でサンドイッチの売上が激減し、業績不振から内定取り消しなどが相次いだ状態でした。幸い私は中小企業診断士の資格があったため採用され社長室所属となりましたが、入社直後から直営店のサンドイッチ店長として早朝5時から21時まで働き、交通手段がないため10数キロを自転車で往復をする生活をすることとなりました。苦労の末、3カ月で売上を劇的に改善することができましたが、今度は本来中堅社員が取り組むような加盟店や店舗開発の仕事を任され、通常業務と並行して外部セミナーを開催し、講師として登壇するなど裁量権の大きい業務に任されました。加盟店開発の仕事は、着手から半年後には契約がとれるようになり、入社2年目には関西に事業エリアを拡大できるまでになりました。その後も大手ショッピングセンター内に出店する店舗モデルを開発し、順調に業績を伸ばしていきました。
石の上にも3年という気持ちで勤め続け、3年3カ月で前職を退職する頃には、社内ナンバー3の役職である開発本部長となっていました。大変な時期ではありましたが、社員として現場を経験し、会社の業績向上にも貢献できたと自負しています。
個人事務所の開業と行政支援に挑戦
2000年には福岡県の自宅に事務所を構え、コンサルティング業をスタートしました。当時の福岡はコンサルタントの認知度が低く、マーケティングや新規事業、フランチャイズに精通した若手のコンサルタントがいなかったため、なかなか個人では業務が受注しにくい環境ではありました。そのため、まずは中小企業診断士として専門家登録をして中小企業支援センターや行政機関を巡り、日払いの仕事からスタートしました。
しかし前職として勤めたコンサルティング会社の社長から「サービスの価値を自分で下げるな」「経営者自身が自腹で支払うからこそ真剣に改善に取り組んでくれる」というアドバイスをもらい、報酬は下げず経営者様と会社を本気で思う提案を地道に実践していったところ、当初の顧問契約の約3倍の報酬を得られるようになっていきました。
また業務の傍ら、早稲田大学のオープンカレッジでMBA講座の講師を務め、東京のチェーン店舗の株式上場のサポートに入ったり、1カ月のうち1週間は福岡から東京へ行く生活を続けていたことで、外部ネットワークも広がっていきました。
福岡では数人でチームを組み、コンサルタントとして充実した日々を送れるようになっていましたが、福岡と東京の往復をするうち「このままでいいのか」と自問自答をするようになりました。ベストプラクティス(最善の効率の良いプロセス)を求めるなら、より優秀な人の集まる都心で、新たにチームを組む方が自分の成長にもつながるかもしれないと考えていたところ、横浜産業振興公社(現 横浜企業経営支援財団)で株式上場を目指す企業を支援する、プロジェクトのマネージャーの募集広告を見つけ、応募を決めました。そして30歳の時には、専門家2人と行政のマネージャーチームを組み、株式公開支援によって企業の成長をサポートしました。行政の元で活動した3年間は、弊社の事業の礎となり、全国25を超える金融機関との提携や、現在受託運営を担っている武蔵小山創業支援センター(品川区立)のご縁へと繋がっています。
経営コンサルに加え行政支援施設の受託運営をスタート
プロジェクトチーム解散後の2006年には、エキスパート・リンク株式会社として法人化し、現在の東京本社所在地で新たなスタートを切りました。創業当初からの経営コンサルティングに加え、行政のマネージャー経験のある民間事業者はごく少数であるため、地方自治体の受託事業も弊社の特色となっています。
弊社が受託運営をしている、女性起業家支援を行っている武蔵小山創業支援センターでは、私は最高運営責任者兼インキュベーションマネージャーとして起業家の方への支援を行っています。起業から株式上場までのサポートや顧問型コンサル、挑戦したことがない領域への支援により、起業家の皆様にベストプラクティスとベリーベストの提案を行っています。起業は、起業家が自分自身を変革する一つの瞬間です。コンサルタントとして、また社員として若手の頃から携わってきた企業経験を活かし、起業の不安や疑問を解消し成功へとつなげるサポートを行っています。特に、事業や組織の規模が拡大する際には、社員の満足度が低下しやすいため、起こりうる問題に予防的なアプローチを行っています。
グループ会社『M&Aの窓口』にて後継者支援も実践
また弊社では、創業や経営支援の立ち合いや補助金支援、大企業向けの経費適正化を進める上で、金融機関との連携も進めていましたが、M&Aの仲介機能をもたない、または万全な支援体制ではない金融機関が多いと感じていました。弊社にも廃業や承継に関する相談も多く寄せられるようになっていたことから、2017年にはグループ会社として株式会社M&Aの窓口を設立しました。大手仲介会社では高額となるM&Aの手数料を、完全成功報酬制を採用しつつ地域の中小企業が利用しやすい価格帯まで下げ、金融機関とのタイアップにより地道な支援を続けています。
国は、国内企業の成長促進と産業競争力を増強のため、小規模事業者の技術承継と統合、公的支援による中小企業の中堅企業化を進める見通しであり、弊社としても微力ながら支援を実行するとともに、自らも事業に参入・買収することにより一翼を担って参りたいと考えております。また自ら親族外、第三者承継による承継と開業率をコンサルティングにより向上することで、地域にとっていい会社を残していきたいと思っています。このビジネスモデルは、サクシードのツグナラと我々がまず行動することで世の中に提示し、グループ内のシナジーにより、広く窓口機能を担っていきたいと考えています。
飲食、介護事業を通じて主体性ある経営者を育成
グループ会社では、福岡県の名店として知られる『味の正福』を引き継ぎ運営するほか、FCの介護施設2施設を運営しています。コンサルティング会社としてM&Aの仲介サポートをするだけではなく、自社で引き継ぎと運営を行うことで、社内で主体性をもった経営者を育てたいという思いからスタートしました。
今後さらに外部環境が悪化すれば、405事業(経営改善計画策定支援)や事業再生支援を必要とする会社が増えるだろうと推測しています。しかし国の経済支援にも限界はあり、企業や経営者が自立できるようにサポートし成長を促すことこそが本来とるべき施策であろうと思っています。
飲食や介護は人手不足が深刻化していますが、弊社が手がける2施設は、年商を当初の倍まで伸ばし、良い業績を上げ続けることができています。国の賃上げ要請に先行して社員の給料アップもできていることから、正しいマネジメントとリーダーシップが発揮できれば実績が出ることを実証できたと感じています。
飲食や介護事業等サービス産業での最大の目標は、顧問や役員としての活動によりノウハウを社内グループに供給、蓄積し、スーパーバイジング機能や経営指導機能によって経営者を育てていくことです。弊社ではコンサルタントが中心となり取り組んでいますが、他企業が実施する場合は、経営ノウハウのある大企業の経営陣や意欲ある専門家が中小企業のオーナーとなることで、内部改革を促進できるのではと考えています。弊社の考えに共感する優秀な経営者が多店舗を運営するようになり、中小企業の底上げを図る動きが起こればと思っています。
『凡事徹底』の姿勢を社員育成と経営改善に活かす
グループ全体の社員数は45人、M&A専門のコンサルタントは6人ほどで、グループ会社の飲食業と介護事業のスタッフがほとんどを占めています。社内の情報共有の場としては、3カ月に1回行う四半期全体会議と、毎週月曜の週礼です。介護、飲食、行政支援では、仕事内容が大きく異なるため、月次の会議は各事業所に実施してもらっています。
経営理念は「イノベーション・プラットフォームの創造」です。理念については四半期会議の際に話し、各事業所への掲示と社員にクレドカードを携帯してもらい、日頃から目につくようにしています。クレドカード冒頭に掲げている「凡事徹底なくして創意工夫なし」は、コンサルティング事業部の理念でもあります。コンサルタントはスマートでかっこいい仕事だと思っている方も多くいるようですが、飲食店の支援の際には店内のエアコンのダクト、冷蔵庫、トイレの掃除をすることもあります。飲食店にとって清潔さは店の印象を決める大切な要素であり、経営改善には数字だけではなく整理整頓や清掃などの『凡事』の徹底が大切です。凡事への向き合い方は実務に取り組む姿勢と同じであることを、社員も理解し意識していってほしいと思っています。
社員や事業パートナーには、真面目で起業家志望の診断士が多く集まり、実力を身につけ独立した人もいます。新宿でビジネススクール『志師塾』を開講している五十嵐和也塾長は元々弊社のパートナーの一人です。コンサルタントから転身し介護事業のオーナーとなった人もいます。弊社は、社員それぞれの能力を活かしたプラットフォームのような場であり、従来の統制された会社とは異なる組織体制となっています。経営課題の最適解を見つけるには、社員のほか業種に詳しい外部の方の協力が必要なケースもあり、ネットワークも活用しながら適材適所の支援を行っているところです。
弊社では、まずは現場で経験を積み、実感を得た上で経営者支援に携わってほしいという考えから、コンサルティング事業での新卒は募集していません。一方で、介護や飲食事業では随時募集を行い、自分の力で起業しオーナーシップを発揮したいという社員に声をかけるようにしています。
経営者と新規事業を創出するクロスボーダーな事業を展開
近年になり、税理士や会計士、弁護士といった士業の社会的地位が向上してきています。弊社も社会に役立つ事業を実践していくことで、中小企業診断士や経営コンサルタントの地位向上を図りたいと思っています。コンサルタントである私自身は、経営者という主役を引き立てるプロデューサーや裏方のような活動をしていけたらと思っているところです。
今後の事業展開としては、引き続き地域の会社や店を承継していくことで、次の世代に残していきたいと思っています。地域における会社や店は、水道ガス電気のインフラと同じように不可欠なものであり、廃業が進めば雇用の受け皿もなくなり地域全体が衰退してしまいます。既存の事業や店を若手が継ぎ、デビューから経営の安定化まで伴走できるような体制づくりをしつつ、自社でも経営者の人財を育てながら地道に取り組んでいきたい考えです。名古屋の知人の診断士や金融機関との連携による事業承継ファンドや、経営者を目指す個人が中小企業の経営権を取得するためのサーチファンドを創設する話もあり、実現化に向けて動き出したところです。コンサルティングの機能を活かし金融機関をフォローしながら展開していけたらと思っています。
また、インバウンドやアウトバウンド対策としては、ホスピタリティ教育やビジネススクール、コンサルティングといった日本ならではの育成システムを、教育ビジネスとしてASEANを中心とした国外で展開できたらと思っています。少子高齢化という日本の現実的な課題を踏まえると、新規事業と利益を生み出すには、外国人労働者を積極採用し、その方々が祖国に戻った時も日本での就業経験が活かされる、クロスボーダーな取り組みと実践こそが大切だろうと思っています。
日本がイノベーションを起こすには、民間主導で風穴を開け、挑戦を続けることが発展への第一歩であると考えています。共鳴する方々とともに、行政を巻き込みながらより良い社会を目指していきます。
会社概要
社名 | エキスパート・リンク株式会社 |
創立年 | 2006年 |
代表者名 | 代表取締役 藤田 隆久 |
資本金 | 2500万円 |
事業エリア |
福岡オフィス
810-0001 福岡県福岡市中央区天神1-15-5 天神明治通りビル7階 |
介護事業部
240-0003 神奈川県横浜市保土ヶ谷区天王町1-26-3 喜多井ビル1階 |
|
本社住所 |
141-0022 東京都品川区東五反田5-25-16 MLJ五反田ビル8階 |
事業内容 | 経営専門による経営コンサルティング・顧問サービス 企業の財務・経営体質改善支援サポート&コンサルティング 経営支援施設の運営受託、経営セミナー・研修等の企画運営、各種リサーチ業務 経営支援・専門家マッチングシステムの企画・開発・運用 介護施設の運営(予防介護デイサービス施設) 各事業会社への経営参画、投資 |
URL |
https://ex-link.co.jp/
|
会社沿革
2000年 | 創業 |
2006年 | エキスパート・リンク株式会社を設立 |
2009年 | IVP事業部を発足 自治体・金融機関等向けに、起業・経営支援のための セミナー及び相談システムの企画開発・運営受託業務を開始 |
2010年 | 東京都品川区東五反田に東京支店(東京エキスパート・オフィス:現東京本社)開設 中堅~株式上場企業向け経費適正化支援コンサルティング業務開始 |
2012年 | 介護事業部設立「寝たきりにしない」新しい介護予防デイサービス業務開始 |
2015年 | 本社を東京都品川区に移転、東京エキスパート・オフィスと統合 |
2016年 | 経済産業省「女性起業家等支援ネットワーク構築事業」の代表機関(関東経済産業局圏内)に選定され、地域公的機関・金融機関等における女性起業家支援サポート業務開始 |
2017年 | グループ会社として株式会社M&Aの窓口を設立 |
2021年 | 福岡市内で44年経営の老舗飲食店「味の正福」運営会社の全株式を譲受、事業承継・グループ会社化を行い飲食店経営を開始 |
エキスパート・リンク株式会社の経営資源引継ぎ募集情報
関連リンク
公開日:2024/03/11
※本記事の内容および所属名称は2024年3月現在のものです。現在の情報とは異なる場合があります。