つくば
食と住まいと宿泊でツーリストを歓迎するつくばの「顔」
株式会社ベストランドホールディングス
明日笑顔になれる安らぎのひと時をつくる「五方よし」のおもてなし
経営理念
全ての人々を笑顔に!幸せに!!
そしてつくばを、世界を、HAPPYに!!
社是
五方よし
お客様よし、従業員よし、会社よし、お取引先よし、地域よし
代表者メッセージ
不動産、ホテル、飲食の3事業を展開する弊社では、お客様にとって親しみのある、真心のこもった柔軟なサービスを目指しています。
弊社のサービスは、スタッフ一人ひとりの努力とお客様を想う行動により生まれています。お客様が心からくつろぎリフレッシュできる空間はスタッフによって形づくられ、お客様の信頼や弊社の実績はその上に築かれています。
家族、お客様、従業員、お取引先、地域の人々が「幸せ」を感じられる環境をつくり、人と個性を大事にした働き方を推進していきたいと考えております。
また、昨今のコロナ禍では飲食業や宿泊業はかつてないほど大きな影響を受けました。弊社も例外ではありませんでしたが、事業や会社としての在り方を見つめ直す転機と捉え、アフターコロナの経営体制への転換に踏み切りました。意思決定の早さを活かしてIT化も進めながら、事業の再構築を始めています。
1987年に不動産業からスタートした弊社は、地元つくば市とともに成長発展し、創業から36年を迎えることができました。「100億円企業よりも100年企業」を目指し、他社では真似できない地域ならではの経営を続けています。
代表取締役 髙野勝憲
私たちのこだわり
地域発展の機運とともに先代が不動産賃貸業をスタート
弊社は、私の父である会長が1987年に創業した、不動産業が原点となっています。
創業前の1980年代は、つくば研究学園都市への研究機関や大学の整備が進み、1985年にはつくば市で国際科学技術博覧会(科学万博つくば’85)が開かれたことで、周辺地域の人の動きもビジネスも活発になり初めていました。先代は、それまで外資系製造業の工場で工場長を勤めていましたが、発展の機運の高まりとともに事業を始めたいと考え、脱サラを決意しました。最初の事業は上手くいかず、新たに株式会社ベストランドを設立して不動産賃貸業を始めました。創業時は先代が1人で会社を運営していましたが、母も途中から入社し、家族経営のような形で会社を運営していきました。
創業当時12歳だった私は、脱サラして異業種である不動産業界に身を投じ試行錯誤しながら働く父の姿を見て育ちました。最初の事業がうまくいかなかった中でも子供達を不安にさせる事無く、不動産業を立上げ、家族を養い、発展・安定させた事に対し尊敬し感謝しています。
ホテル、飲食業の新設により後継者としての覚悟を決める
私は大学を卒業後、1998年4月に新卒で茨城県内の筑波銀行(旧関東銀行)に入行しました。社会人としてのスキルや経験を磨く中で、身の振り方を考えるようになり、30歳の節目を迎えた2005年に退職をしました。家業のベストランドには、ゆくゆくは入社することになるだろうとは思っていましたが、金融業界から不動産業界にいきなり飛び込んでもできる仕事は限られると思い、転職し金融の知識を介して不動産業への知識を深めてから後を継ぐ考えでいました。
2005年には都内直通のつくばエクスプレスが開業する事が分かり、駅の目の前に土地が確保出来、ホテルを建てることが長年の夢であった先代は、ホテル建設を決意しました。
私が後継者の立場であることを改めて意識させられたのは、ホテルの開業資金のため借入をする際の連帯保証人となる必要があると判明した時でした。ホテルの新築には莫大な資金が必要となり、借入の返済が長期にわたることから、息子である私が法定相続人として連帯保証人とならざるを得ませんでした。当時は別会社の内定をいただいていましたが、重責を担うのであれば後悔のないよう事業立ち上げから携わろうと覚悟を決め、2005年4月に入社し、ホテル業の立上を中心に手伝うようになりました。
2007年には先代の念願であったホテルベストランドを立ち上げ、ホテル事業をスタートさせました。同時期にはホテル内の飲食テナントとして自社運営で飲食店を開始し不動産、ホテル、飲食サービスの3事業へと拡大していきました。
当時、研究学園駅前には弊社のホテルしかありませんでしたが、徐々に近隣の開発が進み、大規模ショッピングセンターがオープンしたことで街が賑わうようになりました。独立系ホテルで知名度もブランドも確立されていなかった弊社にとっては、駅周辺の土地開発は追い風となり、稼働率も確保され軌道に乗ることができました。ホテルのオープン翌年の2008年には、リーマンショックにより国内産業は大ダメージを負いましたが、弊社は地域全体が活性化する大きな流れに守られる形となり、事業への影響はそれほどありませんでした。先代が開業を決めたタイミングも良かったのだと思います。
3.11復興支援者のひと時の安らぎの場となる
ホテル開業から3年後の2011年には、東日本大震災が発生しました。つくばも震度6強ほどの揺れがあり、水道管の破損により断水となり、ガスや電気などのインフラも一時的に使えなくなりました。揺れが大きかったためエレベーターのかごやワイヤーがずれて使えなくなるなど、ホテルの設備にも震災の影響が大きく出たため復旧には時間を要しました。他社は震災のあった3月11日から5月頃まで営業ができない宿泊施設もありましたが、幸いなことに弊社ホテルのある地域の電気はすぐ復旧して暖は確保できるようになり、実家が井戸水だったので飲料水を確保することができました。
限られたサービスではありましたが、震災後、宿泊を希望するお客様のために休まず営業を継続しました。被災地の復旧、復興支援のために東北へ向かう方や、被害状況の把握のため出張した保険の査定人などのお客様にご利用いただきました。復旧当初は従来通りのサービスを提供できなかったため、お客様は不便な思いをされた部分もあるかもしれませんが、一刻も早い復興が望まれる中で、被災地に向かう方や被災地から避難し他県に向かう方が、ひと時でも安心して休める場を提供できたことを誇りに思います。震災後の無休での営業継続をきっかけに、常連や固定客となった方も増え、他者を想う行動は相手に伝わり、期待や信頼となって返ってくることを実感しました。
震災を経て代表取締役に就任、コロナ禍の低迷を機に変革とDX化を図る
震災同年には、事業承継を踏まえた組織づくりのためホールディングス化を進め、不動産業の「ベストランド」とホテル業の「ホテルベストランド」の下に、飲食運営会社の合同会社「ベストランドフードクリエイトパートナーズ」「ホテルベストランドパートナーズ」を持ち株会社とする形で分社化をしました。
併せて、ホテルベストランドの代表取締役を務めることとなり、その後は自社合併前のベストランドフードクリエイトや、合同会社の代表取締役も担いました。
8年前の2015年、40歳の時には社長に就任し、父は会長を務めてもらうことになりました。肩書きが変わっても、親子で経営し意思決定をしていく部分は変わらないため、承継への気負いはそれほどありませんでした。
創業以来、事業の安定化を図り軸足を増やすために新規事業への挑戦は常に続けていたこともあって、変動や変化への耐性はあったつもりでいました。しかし2021年からのコロナ禍により、弊社のホテル業や飲食業は大きな打撃を受けて、かつてないほど売上が低迷しました。今後はこれまでの経営は通用しないことを痛感するとともに、事業や会社を変化させる転機にもなり得ると考え、アフターコロナの体制へと踏み切りました。
現在は意思決定の早さを活かしてIT化も進めながら、事業の再構築を進めているところです。補助金を活用し、フランチャイズの焼肉店「肉匠坂井」をオープンし、自動チェックイン機器やオーダー端末、自律走行型のルームサービスロボットの導入など、DXによりスタッフの負担を軽減しながら、万が一緊急事態が発生した時にも対応できるようなBCPの役割も期待しています。外的変化に対応できるように内部の革新を進めながら、ホテルの全面リノベーションも行うことで変革を可視化し、ブランディングにも繋げられるようにしました。原価高騰や人財育成などの課題は山積みですが、アフターコロナの世の中ではどのように変化し適応していけるかという会社方針に社運がかかっています。現在は危機を乗り越え発展していく転換点であり、スタッフや地域のためにも安定した経営を継続できるように改善を試みているところです。
食材や空間を通じたつくば市ならではのおもてなし
現在のグループ全体の売り上げは10億ほどです。コロナ禍での危機的状況もあり売り上げの上下はありますが、グループ全体として上昇傾向にあります。現在社員は40名で、パート・アルバイトも含めると120名程になります。
社長に就任した当初は、社長は会社の成長にだけ注力していればいいと考えていましたが、困難を経た今は、お客様をはじめ、スタッフ、地域、取引先、社会に必要とされ、生かされていると気付かされました。だからこそ企業体は付加価値を高め、利益を還元していく努力が必要だと思い至りました。
弊社の強みは経営陣が茨城出身であり、地元企業であることです。大手の競合他社と比較しても、地域特性や地域のお客様をよく知っているという点は差別化のポイントとなっています。特にホテル業は、他県から茨城県へ、あるいは海外から訪れる方の足がかりにもなっており、お客様を茨城やつくばにお迎えする入口のような役割も担っています。地産地消の食材や食事、アメニティなどのアイテムを通じて、お客様にはつくばならではの体験をしていただきたいと思っています。今後はお土産など地域をPRできるスペースも設け、非日常をさらに楽しめるサービスを提供できるようにしていきたいと考えています。経営陣も含めた全員がつくばという地域に対して愛着を持っていますし、地元だからこそできるサービスを模索しながらお客様に満足いただけるよう取り組んでいます。
好立地が見つかれば他県での展開の可能性もありますが、原価高騰や人財確保の問題もあり一筋縄ではいかないと思っています。また知見のない他県で事業を始めるよりも、地域の観光やトレンド、行政との結びつきも強い地元の魅力を発信していく方が、地域おこしにもなり、弊社のためにもなると思っています。今後もつくば市を中心に展開し成長しながら、地域密着の経営を続けていきたい考えです。
「生きる目的」と「働く目的」のシンクロを目指すクレド
経営理念を作りたいと考え始めたのは入社から6年後、ホテル事業立ち上げから少し経った頃でした。後継者にもなったことで、コンサルタントをしている友人からの助言もあり、会社の方針を経営理念に落とし込む作業を行いました。しかし当時は若く経営者として未熟だったこともあり、会社としての在り方や目標ではなく、スタッフに対して「こうしてほしい」という利益を優先したメッセージを織り込んだ内容になってしまいました。結局、納得のいく理念にはならず、経営者としての経験を積み、目指す組織像が明確になってから再考しようと決めました。約10年後、40歳で父から事業を引き継ぐタイミングで改めて理念を定めるため、外部セミナーや経営陣の集いに参加し、自社や経営者としての存在意義を問い直しました。
人が生きる目的は「幸せになること」であり、「幸せ」は「笑顔」でいられるような関係性や環境が大切だと思います。「生きる目的」と、生活のうち最も長い時間を過ごす会社での「働く目的」がシンクロすれば、弊社を支えるスタッフが一番良い形で幸せになれると考え「全ての人々を笑顔に!幸せに!!」を理念として定めました。
理念や社訓、社是、行動指針などは「アワークレド」(Our Credo)に記し、社員の名前や自己目標、日付を書けるようにデザインし配布しています。クレドは、世界で最も優れたホテルとして名高いザ・リッツ・カールトン・ホテル・カンパニーのクレドカードを参考にしました。会社目標と個人目標を可視化し、勤務中には常に携帯してもらうことで目的意識を持って働き、実現に向けて行動し励まし合えるようになっていけたらと思っています。
さらに、新入社員として加わった方には、理念や指針について話すオリエンテーションの場を設けています。どのような組織であるか、働く心構えを共有するだけではなく、日々の現場で先輩社員の考えと行動を通じて理念の浸透を図っています。
ありがとうを「目的」に。おもてなしという「手段」
清潔な部屋を整え、お客様を最高のサービスでおもてなしすることは、目的ではなく「役割」「手段」だと考えています。弊社のホテルは、出張の前泊などビジネス利用のお客様が6割から7割を占めています。ビジネス利用のお客様の「目的」は「翌日の仕事の成功」と「仕事に集中するための休息」であり、弊社は「お客様の前日の疲れを癒し最高のパフォーマンスを発揮できるように快適な環境とサービスを提供すること」が私たちの「役割」です。
ホテル業も飲食業も、突き詰めれば日常のやや外側で宿泊や食事などを通じてリフレッシュを図る「コト消費」であり、レジャーやエンターテインメントにも近い分野だと思っています。お客様の目的を理解した適切な判断とサービスが弊社にとっての付加価値であり、お客様の目的を間接的に実現できるのはお客様に最も近い場所で働く現場スタッフです。ホテル、飲食、不動産と畑は違えど、全ての事業は「お客様とスタッフの幸せと笑顔」のためにあります。社員、スタッフはお客様からの「楽しかった」「幸せだった」「また来るね」「ありがとう」という感謝の言葉をいただける喜びとやりがいを、日々プライドを持って仕事をしてくれています。
互いを理解し心を繋げ働くためのコミュニケーション
仕事をしている中ではなかなか各店舗や事業所を全て見て回ることは難しいため、気づいた点は率直に指示しています。
以前は、年2回から4半期1回のバーベキューや飲み会、社員やスタッフの家族も自由に参加できる新年会を開催し、スタッフ同士の交流を深める場となっていました。
しかし、コロナ後はスタッフとの関わりが減り、寂しさを感じています。現場で働いてくれている社員やパート・アルバイトの皆さんともどうしても距離が生まれてしまうため、過度になりすぎないよう積極的に話すよう心がけていますが、やはり業務上だけの繋がりではスタッフ一人ひとりの人となりは分かりません。こうした機会を設けることで、苦手だと思っていた相手が実はとても良い人だった、というような気づきが得られることもあります。ホテルや飲食業は365日営業をしており、集団感染防止の観点からもスタッフ全員が集まるのはまだ難しい状況なので、各セクションで交流を深める機会をつくっていきたいと思っています。
「五方よし」経営で地域に貢献
自社の発展は地域の発展と等しく、相互関係にあると考えています。弊社は創業期からつくば市の発展と人の流れの中で成長してきました。地域が発展すれば人も集まって産業と雇用が生まれ、その好循環により地域も潤います。弊社が拠点を置くつくば市、研究学園駅周辺の発展に貢献していくことで、お客様や地域企業、最終的に自社にとっても良い経営が出来ると確信しています。弊社では、お客様よし、従業員よし、会社よし、お取引先よし、地域よしの「五方よし」を目指していきます。
サービスと社内のDX化による変革により、柔軟で魅力ある会社へと成長
目まぐるしく動く時代を生き抜いていくためには、変化に対応し先を見据えた挑戦が不可欠です。弊社では、新システム導入によりサービスと社内のDX化を進めています。しかし導入して満足するのではなく、得たものを有効活用し業務の効率化に役立てられるように各スタッフのスキルアップを奨励し、売り上げの最大化に注力していきたいと考えています。
また、現在は街の発展に伴い求人数が増えたため、人財の確保に苦戦しています。今後はスタッフが働く中で自らの成長を感じられるような魅力ある環境の整備が課題です。
事業承継については、弊社の3事業とのシナジーが生まれる案件を話し合いにより見極めたいと考えています。拡大が目的ではなく、互いの事業を必要と感じ、かつビジネスの上流を確保できる関連事業者との協業を検討しています。また、ゼロからオリジナルブランドを立ち上げた場合に管理運用のサポートをしていただける業種も選択肢として挙げたいと思います。
社長就任から約8年が経った現在は、会社や事業をよりよい形で継続していくための方法を考えているところです。これからも五方よしを実現し、地域の営みの中で存続し繁栄していくために、経営や承継の選択肢を広げ、いざというときにも柔軟に対応できる会社であり続けたいと思っています。
地域発展の機運とともに先代が不動産賃貸業をスタート
弊社は、私の父である会長が1987年に創業した、不動産業が原点となっています。
創業前の1980年代は、つくば研究学園都市への研究機関や大学の整備が進み、1985年にはつくば市で国際科学技術博覧会(科学万博つくば’85)が開かれたことで、周辺地域の人の動きもビジネスも活発になり初めていました。先代は、それまで外資系製造業の工場で工場長を勤めていましたが、発展の機運の高まりとともに事業を始めたいと考え、脱サラを決意しました。最初の事業は上手くいかず、新たに株式会社ベストランドを設立して不動産賃貸業を始めました。創業時は先代が1人で会社を運営していましたが、母も途中から入社し、家族経営のような形で会社を運営していきました。
創業当時12歳だった私は、脱サラして異業種である不動産業界に身を投じ試行錯誤しながら働く父の姿を見て育ちました。最初の事業がうまくいかなかった中でも子供達を不安にさせる事無く、不動産業を立上げ、家族を養い、発展・安定させた事に対し尊敬し感謝しています。
ホテル、飲食業の新設により後継者としての覚悟を決める
私は大学を卒業後、1998年4月に新卒で茨城県内の筑波銀行(旧関東銀行)に入行しました。社会人としてのスキルや経験を磨く中で、身の振り方を考えるようになり、30歳の節目を迎えた2005年に退職をしました。家業のベストランドには、ゆくゆくは入社することになるだろうとは思っていましたが、金融業界から不動産業界にいきなり飛び込んでもできる仕事は限られると思い、転職し金融の知識を介して不動産業への知識を深めてから後を継ぐ考えでいました。
2005年には都内直通のつくばエクスプレスが開業する事が分かり、駅の目の前に土地が確保出来、ホテルを建てることが長年の夢であった先代は、ホテル建設を決意しました。
私が後継者の立場であることを改めて意識させられたのは、ホテルの開業資金のため借入をする際の連帯保証人となる必要があると判明した時でした。ホテルの新築には莫大な資金が必要となり、借入の返済が長期にわたることから、息子である私が法定相続人として連帯保証人とならざるを得ませんでした。当時は別会社の内定をいただいていましたが、重責を担うのであれば後悔のないよう事業立ち上げから携わろうと覚悟を決め、2005年4月に入社し、ホテル業の立上を中心に手伝うようになりました。
2007年には先代の念願であったホテルベストランドを立ち上げ、ホテル事業をスタートさせました。同時期にはホテル内の飲食テナントとして自社運営で飲食店を開始し不動産、ホテル、飲食サービスの3事業へと拡大していきました。
当時、研究学園駅前には弊社のホテルしかありませんでしたが、徐々に近隣の開発が進み、大規模ショッピングセンターがオープンしたことで街が賑わうようになりました。独立系ホテルで知名度もブランドも確立されていなかった弊社にとっては、駅周辺の土地開発は追い風となり、稼働率も確保され軌道に乗ることができました。ホテルのオープン翌年の2008年には、リーマンショックにより国内産業は大ダメージを負いましたが、弊社は地域全体が活性化する大きな流れに守られる形となり、事業への影響はそれほどありませんでした。先代が開業を決めたタイミングも良かったのだと思います。
3.11復興支援者のひと時の安らぎの場となる
ホテル開業から3年後の2011年には、東日本大震災が発生しました。つくばも震度6強ほどの揺れがあり、水道管の破損により断水となり、ガスや電気などのインフラも一時的に使えなくなりました。揺れが大きかったためエレベーターのかごやワイヤーがずれて使えなくなるなど、ホテルの設備にも震災の影響が大きく出たため復旧には時間を要しました。他社は震災のあった3月11日から5月頃まで営業ができない宿泊施設もありましたが、幸いなことに弊社ホテルのある地域の電気はすぐ復旧して暖は確保できるようになり、実家が井戸水だったので飲料水を確保することができました。
限られたサービスではありましたが、震災後、宿泊を希望するお客様のために休まず営業を継続しました。被災地の復旧、復興支援のために東北へ向かう方や、被害状況の把握のため出張した保険の査定人などのお客様にご利用いただきました。復旧当初は従来通りのサービスを提供できなかったため、お客様は不便な思いをされた部分もあるかもしれませんが、一刻も早い復興が望まれる中で、被災地に向かう方や被災地から避難し他県に向かう方が、ひと時でも安心して休める場を提供できたことを誇りに思います。震災後の無休での営業継続をきっかけに、常連や固定客となった方も増え、他者を想う行動は相手に伝わり、期待や信頼となって返ってくることを実感しました。
震災を経て代表取締役に就任、コロナ禍の低迷を機に変革とDX化を図る
震災同年には、事業承継を踏まえた組織づくりのためホールディングス化を進め、不動産業の「ベストランド」とホテル業の「ホテルベストランド」の下に、飲食運営会社の合同会社「ベストランドフードクリエイトパートナーズ」「ホテルベストランドパートナーズ」を持ち株会社とする形で分社化をしました。
併せて、ホテルベストランドの代表取締役を務めることとなり、その後は自社合併前のベストランドフードクリエイトや、合同会社の代表取締役も担いました。
8年前の2015年、40歳の時には社長に就任し、父は会長を務めてもらうことになりました。肩書きが変わっても、親子で経営し意思決定をしていく部分は変わらないため、承継への気負いはそれほどありませんでした。
創業以来、事業の安定化を図り軸足を増やすために新規事業への挑戦は常に続けていたこともあって、変動や変化への耐性はあったつもりでいました。しかし2021年からのコロナ禍により、弊社のホテル業や飲食業は大きな打撃を受けて、かつてないほど売上が低迷しました。今後はこれまでの経営は通用しないことを痛感するとともに、事業や会社を変化させる転機にもなり得ると考え、アフターコロナの体制へと踏み切りました。
現在は意思決定の早さを活かしてIT化も進めながら、事業の再構築を進めているところです。補助金を活用し、フランチャイズの焼肉店「肉匠坂井」をオープンし、自動チェックイン機器やオーダー端末、自律走行型のルームサービスロボットの導入など、DXによりスタッフの負担を軽減しながら、万が一緊急事態が発生した時にも対応できるようなBCPの役割も期待しています。外的変化に対応できるように内部の革新を進めながら、ホテルの全面リノベーションも行うことで変革を可視化し、ブランディングにも繋げられるようにしました。原価高騰や人財育成などの課題は山積みですが、アフターコロナの世の中ではどのように変化し適応していけるかという会社方針に社運がかかっています。現在は危機を乗り越え発展していく転換点であり、スタッフや地域のためにも安定した経営を継続できるように改善を試みているところです。
食材や空間を通じたつくば市ならではのおもてなし
現在のグループ全体の売り上げは10億ほどです。コロナ禍での危機的状況もあり売り上げの上下はありますが、グループ全体として上昇傾向にあります。現在社員は40名で、パート・アルバイトも含めると120名程になります。
社長に就任した当初は、社長は会社の成長にだけ注力していればいいと考えていましたが、困難を経た今は、お客様をはじめ、スタッフ、地域、取引先、社会に必要とされ、生かされていると気付かされました。だからこそ企業体は付加価値を高め、利益を還元していく努力が必要だと思い至りました。
弊社の強みは経営陣が茨城出身であり、地元企業であることです。大手の競合他社と比較しても、地域特性や地域のお客様をよく知っているという点は差別化のポイントとなっています。特にホテル業は、他県から茨城県へ、あるいは海外から訪れる方の足がかりにもなっており、お客様を茨城やつくばにお迎えする入口のような役割も担っています。地産地消の食材や食事、アメニティなどのアイテムを通じて、お客様にはつくばならではの体験をしていただきたいと思っています。今後はお土産など地域をPRできるスペースも設け、非日常をさらに楽しめるサービスを提供できるようにしていきたいと考えています。経営陣も含めた全員がつくばという地域に対して愛着を持っていますし、地元だからこそできるサービスを模索しながらお客様に満足いただけるよう取り組んでいます。
好立地が見つかれば他県での展開の可能性もありますが、原価高騰や人財確保の問題もあり一筋縄ではいかないと思っています。また知見のない他県で事業を始めるよりも、地域の観光やトレンド、行政との結びつきも強い地元の魅力を発信していく方が、地域おこしにもなり、弊社のためにもなると思っています。今後もつくば市を中心に展開し成長しながら、地域密着の経営を続けていきたい考えです。
「生きる目的」と「働く目的」のシンクロを目指すクレド
経営理念を作りたいと考え始めたのは入社から6年後、ホテル事業立ち上げから少し経った頃でした。後継者にもなったことで、コンサルタントをしている友人からの助言もあり、会社の方針を経営理念に落とし込む作業を行いました。しかし当時は若く経営者として未熟だったこともあり、会社としての在り方や目標ではなく、スタッフに対して「こうしてほしい」という利益を優先したメッセージを織り込んだ内容になってしまいました。結局、納得のいく理念にはならず、経営者としての経験を積み、目指す組織像が明確になってから再考しようと決めました。約10年後、40歳で父から事業を引き継ぐタイミングで改めて理念を定めるため、外部セミナーや経営陣の集いに参加し、自社や経営者としての存在意義を問い直しました。
人が生きる目的は「幸せになること」であり、「幸せ」は「笑顔」でいられるような関係性や環境が大切だと思います。「生きる目的」と、生活のうち最も長い時間を過ごす会社での「働く目的」がシンクロすれば、弊社を支えるスタッフが一番良い形で幸せになれると考え「全ての人々を笑顔に!幸せに!!」を理念として定めました。
理念や社訓、社是、行動指針などは「アワークレド」(Our Credo)に記し、社員の名前や自己目標、日付を書けるようにデザインし配布しています。クレドは、世界で最も優れたホテルとして名高いザ・リッツ・カールトン・ホテル・カンパニーのクレドカードを参考にしました。会社目標と個人目標を可視化し、勤務中には常に携帯してもらうことで目的意識を持って働き、実現に向けて行動し励まし合えるようになっていけたらと思っています。
さらに、新入社員として加わった方には、理念や指針について話すオリエンテーションの場を設けています。どのような組織であるか、働く心構えを共有するだけではなく、日々の現場で先輩社員の考えと行動を通じて理念の浸透を図っています。
ありがとうを「目的」に。おもてなしという「手段」
清潔な部屋を整え、お客様を最高のサービスでおもてなしすることは、目的ではなく「役割」「手段」だと考えています。弊社のホテルは、出張の前泊などビジネス利用のお客様が6割から7割を占めています。ビジネス利用のお客様の「目的」は「翌日の仕事の成功」と「仕事に集中するための休息」であり、弊社は「お客様の前日の疲れを癒し最高のパフォーマンスを発揮できるように快適な環境とサービスを提供すること」が私たちの「役割」です。
ホテル業も飲食業も、突き詰めれば日常のやや外側で宿泊や食事などを通じてリフレッシュを図る「コト消費」であり、レジャーやエンターテインメントにも近い分野だと思っています。お客様の目的を理解した適切な判断とサービスが弊社にとっての付加価値であり、お客様の目的を間接的に実現できるのはお客様に最も近い場所で働く現場スタッフです。ホテル、飲食、不動産と畑は違えど、全ての事業は「お客様とスタッフの幸せと笑顔」のためにあります。社員、スタッフはお客様からの「楽しかった」「幸せだった」「また来るね」「ありがとう」という感謝の言葉をいただける喜びとやりがいを、日々プライドを持って仕事をしてくれています。
互いを理解し心を繋げ働くためのコミュニケーション
仕事をしている中ではなかなか各店舗や事業所を全て見て回ることは難しいため、気づいた点は率直に指示しています。
以前は、年2回から4半期1回のバーベキューや飲み会、社員やスタッフの家族も自由に参加できる新年会を開催し、スタッフ同士の交流を深める場となっていました。
しかし、コロナ後はスタッフとの関わりが減り、寂しさを感じています。現場で働いてくれている社員やパート・アルバイトの皆さんともどうしても距離が生まれてしまうため、過度になりすぎないよう積極的に話すよう心がけていますが、やはり業務上だけの繋がりではスタッフ一人ひとりの人となりは分かりません。こうした機会を設けることで、苦手だと思っていた相手が実はとても良い人だった、というような気づきが得られることもあります。ホテルや飲食業は365日営業をしており、集団感染防止の観点からもスタッフ全員が集まるのはまだ難しい状況なので、各セクションで交流を深める機会をつくっていきたいと思っています。
「五方よし」経営で地域に貢献
自社の発展は地域の発展と等しく、相互関係にあると考えています。弊社は創業期からつくば市の発展と人の流れの中で成長してきました。地域が発展すれば人も集まって産業と雇用が生まれ、その好循環により地域も潤います。弊社が拠点を置くつくば市、研究学園駅周辺の発展に貢献していくことで、お客様や地域企業、最終的に自社にとっても良い経営が出来ると確信しています。弊社では、お客様よし、従業員よし、会社よし、お取引先よし、地域よしの「五方よし」を目指していきます。
サービスと社内のDX化による変革により、柔軟で魅力ある会社へと成長
目まぐるしく動く時代を生き抜いていくためには、変化に対応し先を見据えた挑戦が不可欠です。弊社では、新システム導入によりサービスと社内のDX化を進めています。しかし導入して満足するのではなく、得たものを有効活用し業務の効率化に役立てられるように各スタッフのスキルアップを奨励し、売り上げの最大化に注力していきたいと考えています。
また、現在は街の発展に伴い求人数が増えたため、人財の確保に苦戦しています。今後はスタッフが働く中で自らの成長を感じられるような魅力ある環境の整備が課題です。
事業承継については、弊社の3事業とのシナジーが生まれる案件を話し合いにより見極めたいと考えています。拡大が目的ではなく、互いの事業を必要と感じ、かつビジネスの上流を確保できる関連事業者との協業を検討しています。また、ゼロからオリジナルブランドを立ち上げた場合に管理運用のサポートをしていただける業種も選択肢として挙げたいと思います。
社長就任から約8年が経った現在は、会社や事業をよりよい形で継続していくための方法を考えているところです。これからも五方よしを実現し、地域の営みの中で存続し繁栄していくために、経営や承継の選択肢を広げ、いざというときにも柔軟に対応できる会社であり続けたいと思っています。
会社概要
社名 | 株式会社ベストランドホールディングス |
創立年 | 1987年 |
代表者名 | 髙野 勝憲 |
資本金 | 500万円 |
事業エリア |
本社
305-0817 茨城県つくば市研究学園5丁目12-10 研究学園スクエアビル2階 |
La Porta(ラポルタ:イタリアンレストラン)/ お菜屋わだ家つくば店
305-0817 茨城県つくば市研究学園5丁目8-4 ホテルベストランド1F |
|
肉匠坂井つくば研究学園店
305-0832 茨城県つくば市西岡419-1 |
|
カラオケバックス
305-0817 茨城県つくば市研究学園5丁目13-11 MYU・MYU3階 |
|
本社住所 |
305-0817 茨城県つくば市研究学園5-12-10 |
事業内容 | 不動産事業(賃貸、仲介)、ホテル事業、飲食事業 |
URL |
https://www.hotel-bestland.co.jp/
|
会社沿革
1987年 | 不動産事業として株式会社ベストランド創業 |
2007年 | ホテル事業としてホテルベストランドを開業 飲食事業としてラポルタを開業 |
2011年 | ベストランドフードクリエイト、ホテルベストランドなど事業ごとに分社化しホールディングス化 髙野勝憲が分社した事業会社の代表取締役に就任 |
2015年 | 髙野勝憲が株式会社ベストランドホールディングスなど全体の代表取締役に就任 |
株式会社ベストランドホールディングスの経営資源引継ぎ募集情報
公開日:2023/03/09
※本記事の内容および所属名称は2023年3月現在のものです。現在の情報とは異なる場合があります。