豊川
豊川市
千代田区
小田原市
総合物流会社「トヨコン」が歩んできた変容の60年と進化のこれから
株式会社トヨコン
SDGs・DX・地域社会への貢献を柱に新たな価値提供を目指す
経営理念
価値の共創(かちのきょうそう)
お客様を「支え」、「つなぎ」、「守り」新たな価値を創る
■お客様との共創
お客様とともに新しい価値を創ります
■社員との共創
働くことを通して人生の価値を高めます
■社会との共創
社会にとって価値のある会社を創ります
代表者メッセージ
株式会社トヨコンの前身である豊川梱包工業株式会社が愛知県豊川市で産声をあげたのは、1963年のことです。以来60年にわたり、包装設計や梱包、資材、物流管理システム、輸送などをそれぞれ専門的に担う弊社のグループ会社と連携することで、総合的な物流サービスを提供してきました。
2014年8月には、お客様の商品をより安全・確実にお届けするため、そしてお客様にとって付加価値のある高品質な物流サービスを提供していきたいという思いから、組織改編を行い、「新トヨコングループ」が新たにスタートしました。これにより、お客様への対応が一層スムーズになり、さらにクオリティとコストパフォーマンスの高いサービスをお届けできています。
いまや生活に欠かせない重要なインフラのひとつとなった物流でお客様を支え、お客様とお客様をつなぎ、お客様の製品を守るのが弊社の仕事だと考えています。
2030年に向けては、「SDGs」「DX」「地域社会への貢献」を柱に掲げて、事業展開していきます。
未来を見据えてお客様のお役に立てることを誇りとし、これからもお客様のベストパートナーであり続けるためにトランスフォーム(変容)し続けていきます。
代表取締役社長 明石 耕作
私たちのこだわり
大手メーカーの工場内で梱包業者として創業
弊社は総合物流会社です。約200名の社員を抱え、豊川市に本社を持つほか、愛知県内に6つ、東京と神奈川にも拠点を持ち、さらに2つの子会社を持つ形で事業展開しています。
弊社は、私の父親が1963年に立ち上げた豊川梱包工業株式会社を前身とした会社です。愛知県豊川市に工場があったミノルタカメラ株式会社(以下:ミノルタ/現:コニカミノルタ株式会社)とは、弊社の創業以来、深い縁を築いてきました。1963年当時、ミノルタがOA機器工場を豊川に作るタイミングで、梱包業者を探しているという話を聞きつけた父親が名乗りをあげて以来、関係は続いています。そのため、当初はミノルタの豊川工場専属の梱包業者として、工場内で創業しました。その後、工場の外に本社事務所を借りたようですが、業務自体は基本的にミノルタの工場内で行う時代がしばらく続いたと聞いています。
実家と会社は車で1時間ほどの距離があったため、私の幼少期の頃には、社長業をしている父親の姿を見ることはほとんどなく、家業を身近に感じる機会がないまま育ちました。
5年間のサラリーマン生活を経て家業の会社に入社
東京の大学で4年間学び、就職活動に入ると、時代はバブル経済の真っ只中で、空前の売り手市場でした。そのような折、父親からミノルタの販売会社で求人面接があると伝えられ、会社訪問に行ったところトントン拍子に話が進み内定をもらいました。うれしさはありつつも、家業と縁が深いミノルタに入ることの意味を考えると、父親の敷いたレールに乗ったようで複雑な気分でした。
ミノルタのOA機器販売会社で、最初の3年間は営業を行い、その後の2年間で商品企画の仕事をし、合計5年在籍していました。家業である弊社に戻るきっかけは、弊社の2代目社長からの誘いです。当時は父親が会長になり、2代目の社長が弊社をまとめていました。その2代目社長から「戻ってきてほしい」と頼まれ、1993年に一般社員として入社することになりました。
その当時の弊社はグループ会社が13社もあり、私が配属されたのは、ミノルタのコピー機やプリンターを組み立てる「アジアハイテックス株式会社」です。
弊社にグループ会社が増えたことには理由がありました。当時は円高で1ドル200円台から100円台になり、日本の製造業は海外に生産拠点を移し始めている時期で、ミノルタもちょうど中国に工場を作っており、弊社の受注できる仕事が減っていくことは明白でした。そうした背景があり、新事業創出のきっかけを掴んでほしいという父と2代目社長の思いから、私は既存事業ではなく、グループ会社に配属されることになりました。
私が社長に就任したのは、入社から約10年が経過した2003年のことです。フィルムカメラから、デジタルカメラ時代になり、カメラメーカーやフィルムメーカーは苦境に陥っていました。ミノルタも例外ではなく、コニカ株式会社と合併して、コニカミノルタ株式会社となりました。
2代目社長が別事業に専念したいということから、私が3代目社長を引継ぎましたが、外部環境も含めて大変革期の社長交代でした。
私が社長に就任して最初の5年間でもっとも注力したのが13社のグループ会社の整理・統合です。先代が将来を見据えて多角化したものの、収益が上がっていなかったり、シナジーを生み出せていない会社が多くなり、負債を増やしていたからです。最終的に弊社を含めて3社に集約しました。もちろんドラスティックに3社にしたわけではなく、1社1社をどう存続させるか考え、負債をどうしたら減らせるかを考えながら、最終的に20年かけて再編してきた格好です。
低コスト、リサイクルを考えた包装設計はオーダーメイド
弊社の強みは、梱包、包装資材にかかわる業務をワンストップで対応できる点にあります。単に商品の梱包・包装をするだけではなく、包装資材の販売、倉庫で商品の管理をしながら、商品に合わせて包装設計をオーダーメイドで行うなど、ワンストップ対応だからこその複合的な仕事を受注できています。
昨今では、梱包する商品のデザインはさまざまで、壊れやすいデザインや繊細なパーツもあります。それを安全に箱の中へ付属品とともに納めるためのノウハウを有しているのが弊社です。
梱包する際に、以前は発泡スチロールなどのプラスティック製品を多用していましたが、現在では環境に優しくリサイクルしやすい素材、例えばすべて紙にしてほしいといわれることもあります。
弊社なら多くの梱包資材を扱っているので、さまざまな資材から環境に優しく、コストも抑えられる包装設計ができることも強みだと言えます。
思っている以上に社員に浸透していた経営理念
経営理念は10年ごとにブラッシュアップしています。現在の経営理念「価値の共創」は2014年に打ち出したものです。これからのビジネスは「価値」を生み出し、提供していくことが大事で、そのために「お客様を支え」「つなぎ」「守る」ことが弊社の取り組むべき仕事だという思いを込めました。弊社の仕事は、段ボールを売ることでもなく、倉庫で商品管理することでもなく「お客様の商品を守り、ブランドを守ること」です。同時に、弊社だけでは価値を生み出せないものと考えます。お客様と共に創る、社員と共に創る、地域社会と共に創る、そういう考え方がベースにあるからです。
こうした経営理念については、毎年7月に行っている経営指針発表会や年始に行っているグループの幹部が集まるミーティングの場で必ず伝えるようにしています。全社員に完璧に浸透しているという状況ではありませんが、新卒対象の合同企業説明会に一緒に参加した社員が、経営理念を学生相手に自分の言葉で話していて、私が思っている以上に浸透していると感じる部分はあります。とはいえ、まだまだ十分とはいえないので、理念の浸透は永遠のテーマに掲げて、発信し続けていきたいと思っています。
新卒採用の復活を契機に社内の雰囲気が活性化
私が社長に就任する10年前までは新卒の高校生を採用していましたが、業績の影響を受けて実施しなくなっていました。そこで社長就任後に取り組んだのが、大学生の新卒採用です。幸い、社長になったばかりの頃に採用した新卒は、今では経営幹部として活躍しています。
ただ、最初は社内にいろいろな摩擦も起きました。そもそも社内には大卒者がいなかったので、採用を決めた時には「大卒の新人が来ても我々は教えられない」といった声がまず上がり、実際に入社したら「挨拶もろくにできない」などといった不満の声が随所で聞こえてきました。
ただ、毎日顔を合わせている新入社員たちが、仕事を覚えて、成長していく様子を目の当たりしていくと、そうした声はあがらなくなりました。そして新卒採用を開始して3、4年目になる頃には、社内の空気も大きく変わり、新入社員だけが成長していくのではなく、教える社員、受け入れる社員たちの成長を感じられるようになっていきました。「採用が一番の教育」という言葉があるように、これからも理念に共感する人を集めるために採用活動に力を入れて参ります。
「SDGs宣言」の意味と地域への貢献
現在、弊社は2030年に向けた10年ビジョンを実現するために3つの柱を掲げて取り組んでいます。それが「SDGs」「DX」「地域社会への貢献」です。これまでの弊社の歩みがそうであったように、10年後にはお客様も取り扱い商品も変わっているはずなので、時代に合わせた強みを生み出しながら、会社をトランスフォーム(変容)していきたいと考えています。
中でも「地域社会への貢献」は、より力を入れていきたい部分になります。弊社にとっては、営業所のあるところは、豊川市も小田原市も、安城市、名古屋市、そして東京都もホームタウンといえます。それらの地域すべてで地域貢献に注力していくことで、新たな価値提供ができるようになるのではないかと、色々進めているところです。
地域社会への貢献という部分では、元気を失っている地域に対して少しでも貢献していきたいという思いもあります。特に弊社の営業所がある小田原市は、企業の市外流出が増加しており、強い危機感を持っていると聞いています。そこで小田原をホームタウンにするフットサルチーム「湘南ベルマーレ」を去年からサポートするようになりました。
このことをきっかけに地域、小田原市との連携も深まっていて、その縁から小田原市の小学校に招かれて、弊社の社員が生徒たちに話をさせていただきました。こうした地域貢献をきっかけにした縁から、弊社や弊社の事業を知ってもらうきっかけにできればと思います。
M&Aについては、弊社の業務と近い運送業や倉庫業の引継ぎを考えていましたが、3つの柱に絡めてさらに枠を広げてもいいのではないかと考えているところです。地域で困っている企業と提携することも、「地域社会への貢献」になるので地域の活性化に貢献するために検討していきたいと思います。
大手メーカーの工場内で梱包業者として創業
弊社は総合物流会社です。約200名の社員を抱え、豊川市に本社を持つほか、愛知県内に6つ、東京と神奈川にも拠点を持ち、さらに2つの子会社を持つ形で事業展開しています。
弊社は、私の父親が1963年に立ち上げた豊川梱包工業株式会社を前身とした会社です。愛知県豊川市に工場があったミノルタカメラ株式会社(以下:ミノルタ/現:コニカミノルタ株式会社)とは、弊社の創業以来、深い縁を築いてきました。1963年当時、ミノルタがOA機器工場を豊川に作るタイミングで、梱包業者を探しているという話を聞きつけた父親が名乗りをあげて以来、関係は続いています。そのため、当初はミノルタの豊川工場専属の梱包業者として、工場内で創業しました。その後、工場の外に本社事務所を借りたようですが、業務自体は基本的にミノルタの工場内で行う時代がしばらく続いたと聞いています。
実家と会社は車で1時間ほどの距離があったため、私の幼少期の頃には、社長業をしている父親の姿を見ることはほとんどなく、家業を身近に感じる機会がないまま育ちました。
5年間のサラリーマン生活を経て家業の会社に入社
東京の大学で4年間学び、就職活動に入ると、時代はバブル経済の真っ只中で、空前の売り手市場でした。そのような折、父親からミノルタの販売会社で求人面接があると伝えられ、会社訪問に行ったところトントン拍子に話が進み内定をもらいました。うれしさはありつつも、家業と縁が深いミノルタに入ることの意味を考えると、父親の敷いたレールに乗ったようで複雑な気分でした。
ミノルタのOA機器販売会社で、最初の3年間は営業を行い、その後の2年間で商品企画の仕事をし、合計5年在籍していました。家業である弊社に戻るきっかけは、弊社の2代目社長からの誘いです。当時は父親が会長になり、2代目の社長が弊社をまとめていました。その2代目社長から「戻ってきてほしい」と頼まれ、1993年に一般社員として入社することになりました。
その当時の弊社はグループ会社が13社もあり、私が配属されたのは、ミノルタのコピー機やプリンターを組み立てる「アジアハイテックス株式会社」です。
弊社にグループ会社が増えたことには理由がありました。当時は円高で1ドル200円台から100円台になり、日本の製造業は海外に生産拠点を移し始めている時期で、ミノルタもちょうど中国に工場を作っており、弊社の受注できる仕事が減っていくことは明白でした。そうした背景があり、新事業創出のきっかけを掴んでほしいという父と2代目社長の思いから、私は既存事業ではなく、グループ会社に配属されることになりました。
私が社長に就任したのは、入社から約10年が経過した2003年のことです。フィルムカメラから、デジタルカメラ時代になり、カメラメーカーやフィルムメーカーは苦境に陥っていました。ミノルタも例外ではなく、コニカ株式会社と合併して、コニカミノルタ株式会社となりました。
2代目社長が別事業に専念したいということから、私が3代目社長を引継ぎましたが、外部環境も含めて大変革期の社長交代でした。
私が社長に就任して最初の5年間でもっとも注力したのが13社のグループ会社の整理・統合です。先代が将来を見据えて多角化したものの、収益が上がっていなかったり、シナジーを生み出せていない会社が多くなり、負債を増やしていたからです。最終的に弊社を含めて3社に集約しました。もちろんドラスティックに3社にしたわけではなく、1社1社をどう存続させるか考え、負債をどうしたら減らせるかを考えながら、最終的に20年かけて再編してきた格好です。
低コスト、リサイクルを考えた包装設計はオーダーメイド
弊社の強みは、梱包、包装資材にかかわる業務をワンストップで対応できる点にあります。単に商品の梱包・包装をするだけではなく、包装資材の販売、倉庫で商品の管理をしながら、商品に合わせて包装設計をオーダーメイドで行うなど、ワンストップ対応だからこその複合的な仕事を受注できています。
昨今では、梱包する商品のデザインはさまざまで、壊れやすいデザインや繊細なパーツもあります。それを安全に箱の中へ付属品とともに納めるためのノウハウを有しているのが弊社です。
梱包する際に、以前は発泡スチロールなどのプラスティック製品を多用していましたが、現在では環境に優しくリサイクルしやすい素材、例えばすべて紙にしてほしいといわれることもあります。
弊社なら多くの梱包資材を扱っているので、さまざまな資材から環境に優しく、コストも抑えられる包装設計ができることも強みだと言えます。
思っている以上に社員に浸透していた経営理念
経営理念は10年ごとにブラッシュアップしています。現在の経営理念「価値の共創」は2014年に打ち出したものです。これからのビジネスは「価値」を生み出し、提供していくことが大事で、そのために「お客様を支え」「つなぎ」「守る」ことが弊社の取り組むべき仕事だという思いを込めました。弊社の仕事は、段ボールを売ることでもなく、倉庫で商品管理することでもなく「お客様の商品を守り、ブランドを守ること」です。同時に、弊社だけでは価値を生み出せないものと考えます。お客様と共に創る、社員と共に創る、地域社会と共に創る、そういう考え方がベースにあるからです。
こうした経営理念については、毎年7月に行っている経営指針発表会や年始に行っているグループの幹部が集まるミーティングの場で必ず伝えるようにしています。全社員に完璧に浸透しているという状況ではありませんが、新卒対象の合同企業説明会に一緒に参加した社員が、経営理念を学生相手に自分の言葉で話していて、私が思っている以上に浸透していると感じる部分はあります。とはいえ、まだまだ十分とはいえないので、理念の浸透は永遠のテーマに掲げて、発信し続けていきたいと思っています。
新卒採用の復活を契機に社内の雰囲気が活性化
私が社長に就任する10年前までは新卒の高校生を採用していましたが、業績の影響を受けて実施しなくなっていました。そこで社長就任後に取り組んだのが、大学生の新卒採用です。幸い、社長になったばかりの頃に採用した新卒は、今では経営幹部として活躍しています。
ただ、最初は社内にいろいろな摩擦も起きました。そもそも社内には大卒者がいなかったので、採用を決めた時には「大卒の新人が来ても我々は教えられない」といった声がまず上がり、実際に入社したら「挨拶もろくにできない」などといった不満の声が随所で聞こえてきました。
ただ、毎日顔を合わせている新入社員たちが、仕事を覚えて、成長していく様子を目の当たりしていくと、そうした声はあがらなくなりました。そして新卒採用を開始して3、4年目になる頃には、社内の空気も大きく変わり、新入社員だけが成長していくのではなく、教える社員、受け入れる社員たちの成長を感じられるようになっていきました。「採用が一番の教育」という言葉があるように、これからも理念に共感する人を集めるために採用活動に力を入れて参ります。
「SDGs宣言」の意味と地域への貢献
現在、弊社は2030年に向けた10年ビジョンを実現するために3つの柱を掲げて取り組んでいます。それが「SDGs」「DX」「地域社会への貢献」です。これまでの弊社の歩みがそうであったように、10年後にはお客様も取り扱い商品も変わっているはずなので、時代に合わせた強みを生み出しながら、会社をトランスフォーム(変容)していきたいと考えています。
中でも「地域社会への貢献」は、より力を入れていきたい部分になります。弊社にとっては、営業所のあるところは、豊川市も小田原市も、安城市、名古屋市、そして東京都もホームタウンといえます。それらの地域すべてで地域貢献に注力していくことで、新たな価値提供ができるようになるのではないかと、色々進めているところです。
地域社会への貢献という部分では、元気を失っている地域に対して少しでも貢献していきたいという思いもあります。特に弊社の営業所がある小田原市は、企業の市外流出が増加しており、強い危機感を持っていると聞いています。そこで小田原をホームタウンにするフットサルチーム「湘南ベルマーレ」を去年からサポートするようになりました。
このことをきっかけに地域、小田原市との連携も深まっていて、その縁から小田原市の小学校に招かれて、弊社の社員が生徒たちに話をさせていただきました。こうした地域貢献をきっかけにした縁から、弊社や弊社の事業を知ってもらうきっかけにできればと思います。
M&Aについては、弊社の業務と近い運送業や倉庫業の引継ぎを考えていましたが、3つの柱に絡めてさらに枠を広げてもいいのではないかと考えているところです。地域で困っている企業と提携することも、「地域社会への貢献」になるので地域の活性化に貢献するために検討していきたいと思います。
ツグナラコンサルタントによる紹介
創業60年を超えるOA機器、医療機器の梱包・包装資材に関わる業務をワンストップで行う企業様です。環境に優しい資材やコストを抑えた包装設計もご提案できる強みがあります。経営理念の浸透を重視しており、2030年に向けて「SDGs」「DX」「地域社会への貢献」を3つの柱として掲げていらっしゃいます。変化に柔軟に対応して会社を常に変容させていくと宣言されており、地域貢献となる事業承継にも意欲的です。
会社概要
社名 | 株式会社トヨコン |
創立年 | 1964年 |
代表者名 | 代表取締役社長 明石 耕作 |
資本金 | 10000万円 |
事業エリア |
豊川営業所
442-0837 愛知県豊川市川花町2丁目62番地 0533-84-3181 |
物流企画課
442-0837 愛知県豊川市川花町2丁目62番地 0533-84-5315 |
|
穂ノ原営業所
442-0061 愛知県豊川市穂ノ原3丁目14番地6 0533-84-5431 |
|
安城営業所
446-0004 愛知県安城市尾崎町豊阿弥45番地1 0566-98-3351 |
|
名古屋営業所
491-0824 愛知県一宮市丹陽町九日市場字中田148番地 0586-48-5081 |
|
小田原営業所
250-0208 神奈川県小田原市下大井716番地 0465-20-9100 |
|
東京営業所
100-0006 東京都千代田区有楽町1丁目6番10号6階B室 03-6277-0950 |
|
豊川事業所
442-0843 愛知県豊川市桜町2丁目2番地19 0533-89-1161 |
|
蒲郡事業所
443-0036 愛知県蒲郡市浜町67番地4 0533-67-4022 |
|
システム販売課
441-0103 愛知県豊川市小坂井町宮下85番地3 0533-95-4100 |
|
包装設計課
441-0103 愛知県豊川市小坂井町宮下85番地3 0533-95-4030 |
|
穂ノ原事業所
442-0061 愛知県豊川市穂ノ原3丁目14番地6 0533-84-6845 |
|
製造課
442-0061 愛知県豊川市穂ノ原3丁目14番地6 0533-85-8053 |
|
本社住所 |
442‒0837 愛知県豊川市川花町2丁目62番地 |
事業内容 | 包装資材及び物流機器販売、包装設計、システム開発、倉庫管理業務、梱包業務、組立事業 |
URL |
https://www.toyocongroup.co.jp/
|
会社沿革
1964年 | 豊川市四ツ谷町に豊川梱包工業株式会社設立 |
1965年 | 本社を豊川市八幡町にあるミノルタカメラのBM工場内に置く |
1969年 | 本社をミノルタカメラのBM工場内から豊川市八幡町へ移転 |
1973年 | 資材販売部を分離独立してグループ会社・豊川東海資材株式会社設立 |
1974年 | 本社を豊川市大堀町に移転 倉庫業務開始 |
1981年 | グループ会社・アジア精工株式会社設立 |
1983年 | 本社屋を豊川市豊が丘町に建設、移転 |
1984年 | 社外へ包装ノウハウの販売を開始 |
1986年 | 社外向けコンピューターソフトの販売開始 |
1989年 | 業務部を分離独立してトヨコンフローシステム株式会社設立 豊川梱包工業株式会社を株式会社豊梱に商号変更 グループ会社・アジア精工株式会社がISO9001認証取得 |
1996年 | グループ会社・アジア精工株式会社をアジアハイテックス株式会社に商号変更 |
1999年 | アジアハイテックス株式会社がISO14001認証取得 |
2007年 | グループ会社・トヨコンフローシステム株式会社が人材派遣事業開始 |
2008年 | トヨコンテクニカルサポート株式会社設立 システム開発と包装設計を集約し、物流部門に特化したノウハウ販売を開始 |
2010年 | 株式会社豊梱とグループ会社・トヨコンフローシステム株式会社が合併し、株式会社豊梱に統合 |
2014年 | 株式会社豊梱、豊川東海資材株式会社、トヨコンテクニカルサポート株式会社の三社を合併し、株式会社トヨコンに商号変更 株式会社トヨコン、設立50周年を迎える |
2019年 | 株式会社トヨコン本社を豊川市川花町へ移転 |
2020年 | 株式会社トヨコンとアジアハイテックス株式会社が合併し、株式会社トヨコンに統合 |
株式会社トヨコンの経営資源引継ぎ募集情報
公開日:2023/04/03 (2024/03/25修正)
※本記事の内容および所属名称は2024年3月現在のものです。現在の情報とは異なる場合があります。